時が流れる。 ダリー・スエンディーとアレンジー・ルドルの一騎討ちは音高くはじまり、いつまでも続いた。剣戟が十合、二十合、三十合、四十合という具合に延々と繰り返された。斬り結び、撥ねつけて、圧しあいながらめまぐるしく立ち位置を変え、ぶつかり合う。 実力はほとんど拮抗している。 英雄同士の戦いとはかくあるものだ、というべく激しく高度な衝突の応酬に、先に馬の体力が尽きそうであった。 「さすがだな、戦場の黄姫!」 「貴殿こそ噂にたがわぬ腕前だ。どうだ、ここは広い心を示して俺に負けてはくれまいか」 「断る」 喜々としてアレンジー・ルドルは答えた。薄暗闇の中での表情は溌剌としている。 「久々に手ごたえのある相手と巡り会えて嬉しいぜー。あー愉しいな、っと!」 一方、 ミシカ・オブライエンとゲオルグ・ニーゼンの攻防は精緻を極めていた。 腕力で劣るミシカ・オブライエンの剣がゲオルグ・ニーゼンに圧されれば、すかさず脇からキルヴァの一手が繰り出される。ゲオルグ・ニーゼンがこれを弾き返せば、すぐさまミシカ・オブライエンの強烈な一撃が見舞われる。 ゲオルグ・ニーゼンは数々の修羅場を潜り抜けてきた歴戦のつわものであったが、これほどまでに息の合った二人がかりの攻撃に遭ったのははじめてのことだった。それもどちらも十分に手強い器量を持ち合わせているので一瞬たりとも油断できない。二人共を相手にするのは得策ではないのでどちらかひとりを先にやっつけてから、と思いきや、キルヴァの振る舞いがそれを許さなかった。ミシカ・オブライエンを狙えばキルヴァが全力で攻撃にかかってくるためそれは容易ではなく、そうかと言ってキルヴァを狙えば、ミシカ・オブライエンだけでなくカズス・クライシスとアズガル・フェイドが絶妙に護り手にまわる。 ゲオルグ・ニーゼンは乗馬をぶつけてきた。ミシカ・オブライエンは手綱を引き、馬を棹立たせて方向を変えこれを避けた。わずかに体勢が揺らぐ。ゲオルグ・ニーゼンの剣がミシカ・オブライエンの首をめがけて水平に薙ぎ払われる。キルヴァはほとんど真後ろからゲオルグ・ニーゼンを襲う。心臓を狙った渾身の突きは紙一重の差でかわされ、ミシカ・オブライエンの首は宙を舞うことなく、ゲオルグ・ニーゼンの刃は空を斬った。 「きりがないな」 ゲオルグ・ニーゼンは憮然として言った。 「おとなしく負けを認めてくれてもよいぞ」 ミシカ・オブライエンは剣戟戦に移りながら囁いた。 「ほざけ」 「一対一なら私の負けだろうが、後ろにこの面子が揃っていては私の負けはない。潔く我が軍門に下るがいい」 「いくら難攻不落のミシカの哀願でもそれはちょっときけないな。なにせ、まだ給料未払いの部下が大勢いるものでねー。俺がいなくなると暴動が起きてしまう」 恐ろしい速さで重ねられた刃と刃が結ばれる。ゲオルグ・ニーゼンとミシカ・オブライエンは額を突き合わせて対峙した。周囲は薄明るくなりはじめ、ぼんやりと互いの輪郭が浮き上がってゆく。 「間もなく夜が明ける。それを待っているのだろう?」 「それはそちらも同じこと。矢攻めにするつもりだな」 「さあて。どうかな。っと」 キルヴァは取り出した短刀をゲオルグ・ニーゼンの兜めがけて投げつけた。避けられる。だがミシカ・オブライエンが圧し負けることにはならなかった。 「ゲオルグ・ニーゼン殿」 キルヴァは二人が適当な距離をおいた一瞬を逃さなかった。よく通る声で、ミシカ・オブライエンの次の行動に制止をかける。 「拝見したところ、あなたは優れた指揮官であるばかりでなく、部隊の信頼も篤い、好かれた方のようですね」 「……なんだって?」 「統制も取れていますし、命令違反もない。あなたの言うことを皆よくきいています。あなたの危機にはいつでも身を投げ出して庇いそうだ」 「それは行き過ぎだ。愚直な行為そのものだ。俺は好かん」 「でもやるでしょう。そういう気配です。皆あなたのことを本気で心配しているようです」 「命のやり取りの最中におかしなことを言わないでくれ。気が削がれる」 「どうでしょう。もし私と一緒に来てくださいとお願いしたら叶えてくれますか?」 「……それは、捕虜になれということか?」 「違います。どうか、私の味方になっていただけませんか」 「正気か!」 「正気です」 「本気か」 「本気です」 「無理だ」 「なぜです?」 「なぜもなにも、敵同士だろう、俺たちは!」 完全に気を乱されてゲオルグ・ニーゼンは攻撃の手を休めていた。これが心理攻撃の類でないことはキルヴァの真剣な声の調子でゲオルグ・ニーゼンにもわかったのだ。 「私の敵はあなたではなく、スザン国です。我が国を戦に巻き込み、領土の侵略に乗り出した国主です。その命に従う立場にあるだけの、あなたではありません。だからもしあなたさえ私を信用して味方になってくださるというのであれば、私はとても嬉しい。あなたは我が国にとっても、私にとっても、素晴らしく頼もしい騎士のひとりとなってくださるでしょう」 「俺に国を、仲間を裏切れと言うのか」 「国は、そうです。ですがお仲間はその範疇にありません」 「どういうことだ」 「あなたの部下もその家族も友達も知人も恋人も皆連れてきてしまえばよいのです。歓迎致します。本当です。なにも心配いりません、私が守ります」 その場にいたすべての者が絶句した。 我知らず、ゲオルグ・ニーゼンは静かなるキルヴァの迫力に気圧されていた。 周囲の彼の部下はひとり残らず固唾を呑んでことの成り行きを見守っている。 「……なるほど。あなたが人たらしと呼ばれる所以がわかりましたよ……いやいや、参りました。つい誘惑に負けそうになりました」 ゲオルグ・ニーゼンは柄にもなく微笑した。自然と口調が改まる。 「せっかくですが、お断りします。俺は既に我が祖国に二心なき忠誠を誓った身です。それはできないことです。しかし困ったことに、いまはもう……俺にはあなたを攻撃することはできそうにない……」 言って、ゲオルグ・ニーゼンはおもむろに剣をひいて鞘におさめた。 そのとき、東の彼方に夜明けの曙光が射した。 金色の光が扇状に地平を染め、地上に瞬く間に明るさが満ちてゆく。 「夜明けだ……」 長い夜の終焉を告げる光の鐘は雨上がりの清々しい風と共に場を照らした。 そこにひろがっていたのは戦争の生々しい爪痕そのもので、夥しい死傷者の姿がゲオルグ・ニーゼンの立場や役目、務め、目的といった現実を叩きつけた。 「……だがこのまま引き下がるわけには参りません。御身を預からせていただきましょう」 ゲオルグ・ニーゼンはすっと片手を上げた。それを合図として、峠に予定通り陣取った味方の本軍が現れる。最前列に整列した弓矢部隊は全員弓に矢をつがえ、攻撃指令を待つのみの態勢であった。 だが、この窮地に動ずることなく、キルヴァはまったく別の方角を眺めていた。 ――紅と黒の二筋の狼煙が上がっている。 先にそれに気がついたのはダリー・スエンディーをどうしても攻略できずに互角勝負のまま朝を迎えたアレンジー・ルドルだった。 「なんだ、あの叫びは」 「――ム王子ご落命!タルダム王子ご落命!タルダム・ヨーデル・スザン王子ご落命――!」 「なんだと」 「ご落命!タルダム王子ご落命!タルダム・ヨーデル・スザン王子ご落命――!」 「全軍至急帰還せよ!全軍至急帰還せよ!」
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