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作品名:天人伝承 作者:安芸

第18回   第二章 誰もがひとりでは生きられないということ
 第二章 誰もがひとりでは生きられないということ



 本隊と合流して四日目の夜を迎えた。
 一日目は待機と嘆願、二日目は交渉と補給と怪我人の収容、三日目は合流し、隊の編成と実地検分、そして今日は周辺の視察と今後の戦略について各隊の指揮官が集まり意見を交わしあった。体調不良を理由に王が欠席、その傍を離れられぬとの理由で軍師と次軍師も欠席、だが王子が出席したことにより戦略会議も無駄にはならず、それどころか、王子自ら頭を下げ、教えを請う姿勢を示されたため、かえって熱のいったものになった。
 キルヴァのもとにその配属指令書が届いたのはその日の午後だった。
 
 以下の者を本日付けで貴下の配下とすることを命ずる。
 セグラン・リージュ、階級は次軍師。隊の副指揮官に命ずる。

 そして末尾に王の署名と王印が捺されている。
 これを持ってきたミシカの知らせでは、身の回りの片づけが済み次第来るとのことだった。
 だが夜まで待ってもセグランは来なかった。

「少し外の空気を吸ってくる」
 キルヴァはじっとしていられず、立ち上がった。
「お供します」
「俺も」
 すぐさま応えたのはアズガルとカズスで、キルヴァは頷きながら長剣を腰に下げた。
「供を許そう。ついて来い」
「どちらへ?」
 訊ねたのはミシカだ。半分腰を浮かせている。危険であれば止めるというしぐさだ。
「国境を見に行く。すぐ戻るがなにかあれば知らせてくれ。地点は九度だ」
「わかりました。お供は二人で大丈夫ですか」
「十分だ。カズス、青角灯をひとつ持ってくれ」
「持ちました」
「王子、お待ちください」
 引きとめて駆け寄ってきたのはエディニィで、その手には黒いマントがある。
「風邪などひいては大変です。マントくらい羽織っていってください。さあ、これでよろしいですわ。外は風が強いのでお気をつけて。あんたたち、頼むわよ」
「ありがとう、エディニィ」
 微笑むと、なぜかエディニィは一瞬怯んだそぶりをみせてから、表情を取り繕い、なにごともなかったかのように笑みを返してきた。
「いってらっしゃいませ」
「いってくる」
 外は確かに風が強かった。見上げると上空を流れる雲の足が異様に早い。
「……嵐になるな」
「結構寒いっすね。マント着てきて正解じゃないですか」
「エディニィに感謝しないと。彼女は本当によく気がつくな」
「王子のことだけですよ。っと、いけね、喋りすぎ喋りすぎ」
 カズスが慌てて口を噤む。キルヴァにはよくわからない理由であたふたすることがカズスは最近ままある。訊いてもへたにごまかすばかりで埒が明かないため、追及そのものをやめることにした。
 キルヴァは天幕の外で歩哨を務める者に「ご苦労」と労いの言葉をかけたあと歩きはじめた。外は真っ暗で、月が雲に隠れているため尚更暗闇が深かった。だがこの近辺一帯の山裾にはヒカリゴケが寄生しており、辺りはぼんやりと仄明るい。歩くには不便がなく、遠目からは見えない青角灯さえ手元にあれば道に迷う心配もなかった。
 現在、前線基地はふたつにわかれている。というのも、強襲に遭い国境線での敗北のため前線を下げざるを得なかったのだ。その際、軍師リューゲル・ダッファリーの指示でおよそ半分に編成がし直された。負傷者と介護兵と護衛兵と、一方は無傷な兵と。前者をゆるい勾配の山裾へ配置し、後者を反対側の急勾配の崖の上に配置した。真中は見通しのよい谷間で凹凸も少なく、陣を張るにはもってこいの広い空間がある。
 キルヴァは九度の地点の崖の上から国境線を眺めた。荒れる夜風が面を打つ。ここからは視界を遮るものはなく、国境線にいまも赤々と燃え立つ炎の柱が見えた。そして無数の夜営の光。それから視線を移して、こちら側を見た。平地野に無数の光。時折動く影があり、ざわめきがある。
 カズスが辺りの気配を窺いながら言う。
「来ますかね」
「来る。私なら動く。補給や援軍があったことはわかるだろうし、救助と隊の再編成が済んだ頃だということもだいたいわかるだろう。ごたごたが片付き、その間なにもない。この二、三日は気が緩む一瞬で、叩くならいまだ」
 不意に、キルヴァの背後を護っていたアズガルが短刀を抜いて身構えた。ほとんど同時にカズスも振り返り、こちらへ近づいてくる気配に向けて剣を抜く。
「誰だ」
「そこにいるのは誰です」
 双方の誰何が重なった。キルヴァの前に人影が現れたそのとき、ちょうど雲が切れた。円月刀のような細い月が顔を覗かせ、白い幽かな月光が辺りを照らした。
 キルヴァは息を呑んだ。月明かりに浮かんだのは、よく知る者の顔だった。
「……セグラン……」
「……王子、なのですか?」
「え?王子?王子って、キルヴァ王子?」
 聞き覚えのない第三者の声が聞こえたが、キルヴァの耳には入っていなかった。無意識にアズガルとカズスを下がらせ、闇に眼を凝らした。また、月は陰る。向かい合ったセグランがじれったそうに手元の青角灯を眼元まで掲げてこちらを様子窺いしている。
「王子」
 おもむろにセグランが跪く。キルヴァはかぶりを振りながら近づき、この邂逅にまだ呆然としながら言った。
「セグランか?」
「はい」
「顔を上げてくれ」
「はい……」
 十年ぶりの、再会だった。
 キルヴァは言葉を失って、ただ目の前の懐かしい顔を見つめていた。十年前とあまり変わっていない。次に会ったら、あれも話そう、これも話そう、と思っていたことがなにも言葉にならない。胸がいっぱいで、声が詰まって、身動きすらできない。
「ただいま戻りました」
 代わりに、セグランが言った。
「これよりあとは生涯この命尽きるまでお傍を離れません」
「……立ってくれ」
「はい」
 キルヴァは手を伸ばして、セグランの手を握った。
「よく戻ってきてくれた」
 セグランは微笑んだ。キルヴァの知る、記憶の中のセグランそのままの笑顔だ。
「ご立派になられました。あまりに大きくなられていたのではじめわからなかったくらいです。もう私とほとんど変わらないではありませんか」
「本当だ。目線が一緒だな。……これでもう、セグランを跪かせずにすむ」
 言ってキルヴァはセグランの手を更に強く握りしめた。
「これからさき、いつも私の隣にいてくれ。もう私に跪くことはない。臣下でもなく、師でもなく、対等な友人として、決して私の傍を離れず、力を貸してほしい。だめか?」
「……ありがたいお言葉ですが、私はこれでよいのです。友人など、畏れ多いことです。ですがあなたさまが許してくださるのであれば、多少行き過ぎた振る舞いに出ることもあるかもしれません。その際は、どうかご容赦ください」
「あー。ほのぼのご歓談中ちょっとすいませんがー、そろそろ俺もご紹介願えませんかー」
 キルヴァはそのときになってはじめてその男の存在に気がついた。
「そなたは?」
「はじめてお目にかかります。ジェミス・ウィルゴーと申します。こいつの補佐と護衛を担当しています。このたびの配置換えで俺も一緒に就いて参りますのでよろしくお願いいたします」
「そうか。私こそ、よろしく頼む。キルヴァ・ダルトワ・イシュリーだ」
 次いでアズガルとカズスを紹介しようとした矢先、突然伝令が飛び込んできた。
「奇襲です!」
キルヴァとセグランがほぼ同時に問い質した。
「数は!?」
「およそ千!」
「わかった、いま戻る。慌てず、申し合わせ通りに配置につくように各部隊に知らせろ。行け!」
「はっ」
 キルヴァはセグランを見た。
「どう思う?」
「奇襲とはいえ、少ないですね」
「二段構えか?」
「或いは三段かも知れません」
 首肯して、キルヴァは踵を返した。アズガルとカズスが無言で従う。
「私は行く。セグランは――」
「無論、私も共に参ります。もうお傍を離れないと、申し上げましたでしょう?」
 そのとき、雨のはじめの一滴が落ちてきた。低い雷鳴が彼方で轟き、遅れて鈍い雷光が閃いた。
 嵐の中の迎撃戦のはじまりだった。


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