第五領地スザン国との国境は既に侵犯されていた。 不意の奇襲に前線基地がやられ、一時退却を余儀なくされた結果である。 これ以上の越境を許すわけにはいかぬ、というディレク王の指令のもとに即時対抗措置がなされた。それからはまた膠着状態に陥り、いままた一触即発の睨み合いが続いている。 第四領地から駆けつけた援軍一万は、出兵要請がなされていないということで、はじめ受け入れを拒否されたが、再三の王子による王への嘆願により認められた。これに伴い、兵の増強、物資の補給、救助の本格化がいっぺんにすすめられ、一時敗色の色が濃かった情勢も持ち直すことになる。
セグラン・リージュは伝令役を務める二人に王命を伝えて送り出したあと、自分の天幕に戻って片づけを再開した。そこへ、見張り役の取り次ぎもなしに入口が無造作に開けられる。 「なあなあ、いまここから出て行ったとびきりの美人はどこの誰だよ」 言いながら勝手に中に入ってきたのはジェミス・ウィルゴーで、赤みがかった茶髪に琥珀の瞳、手足がひょろっと長く、それでいて線の細さを感じさせないという特異な容貌の男だった。いつも変な恰好をしているのだが自分ではその自覚がなく、いくらおかしいといっても聞き入れないので、周りの者もいちいち指摘するのを諦めて、最近では個性として認めようと誰もが口出しをやめていた。今日は緑色の丈の長い上着に黄色いズボンを穿いて紫色の腰帯を締めている。木の細工の飾り物を首から下げているが、形はなんともわからない。 「あんまりいい女だったからさ、ちょっと声をかけたら鉛玉をくらったんだぜ。見ろよ」 セグランはジェミスの掌の中のものを一瞥した。 「それは目潰し用の飛ばし玉です。あたったのですか」 「そんなにまぬけじゃない」 「それは残念」 「……おまえ、いま本心だったろう」 「彼女は王子の近衛です。下手なちょっかいはやめておきなさい」 「王子の?じゃ、あれが“鉤裂きのエディニィ”か!」 「“隠し武器使いのエディニィ”と言ってください」 「どちらも同一人物だろ。あっ、じゃあまさか、その隣にいたのが“難攻不落のミシカ”か!?」 「“不屈不抜のミシカ”と言ってください。なにがまさかなんです」 「だってあんな不細工な面の――危ねぇっ!」 「物を投げるのはよくありませんね」 「投げたのはおまえだろうが!しかも鉛の文鎮!俺を殺す気かっ」 「投げさせたのはあなたです。ミシカは不細工じゃありませんよ。そんなことを外で言ってごらんなさい、袋叩きにあうのはあなたです。私は一向にかまいませんけど」 「……おまえ、俺が嫌いだろう」 「否定しません」 「否定しろよ。おまえ冷たい、冷たいよ。俺はこんなに朝から晩までおまえにべったりくっついて奉仕しているのになんでそんなにつれないんだ」 「あなたは私に就くのが仕事なのだから黙って働いてください」 「おまえってほんと、顔に似合わずひと使いの荒いこと。耐える俺ってけなげだと思わないか?って、うわ、なにその冷たいまなざし。全身で拒否されているな、俺……かわいそうだな、俺……」 セグランは黙って手を動かし続けた。 「あ、そ、無視かよ。だけどどうしてあの無骨な大女が男どもにもてまくる?」 「……ミシカを嫌う男などいませんよ。彼女と少しでも付き合えばわかることです。彼女ほど情に篤く優しい女はそうはいませんからね」 「その優しい女が言い寄る男を片っ端から振るのか?男の純情なめているんじゃねぇの?」 「それは……彼女、口説かれてもわからないくらい恋愛沙汰に鈍い性分であるというだけで、悪気はないのです。まあだから難攻不落などと名誉だか不名誉だかわからない通り名がついてしまったのですがね……とにかくあなたは手を出さないでください」 ジェミスはにやにやした。 「やけに詳しいじゃないの。おまえそれ、牽制か?ああいう女が好みなの?」 「ミシカは知人です。第一、問題は私の好みじゃありません。私が問題にしたいのはあなたです。あなた、年下から年上まで男女問わず見境なく手を出すでしょう。なんでもかんでも身体で解決してばかりで、始末に負えません。それでいったい何度ひどい痴話喧嘩に巻き込まれたことか。とにかく、私の身の回りの人間と、王子の身の回りの人間には手出しは許しませんよ。絶対にやめてください。もしこのことを守れないようであれば私も大人しくなどしていませんからね。いいですね」 「わかった、わかった、わかりました。ん、けど、なんで王子の人間関係までお前の守備範疇に入ってんの?あれ、そういえば、おまえさっきからなにしてるわけ?」 「身辺整理です」 あっさりとセグランは答えた。 「さきほど王より勅命を賜りました。私は今日付けで王子の配下に入ります。ここの整理がつき次第、王子のもとへ参ります。王子にもその旨をお知らせいたしました」 ジェミスは無言で手近にあった椅子を引きよせ、背凭れ部分を抱えるような姿勢でどっかと座った。しばらくセグランをじっと眺めて黙っていたが、ややあって口を利いた。 「長かったな」 セグランはちょっと手を休め、ジェミスに視線をぶつけた。 「いや、たった十年で次軍師の地位まで出世したんだ、長くはないか。たいしたもんだよな。あのリューゲル・ダッファリーに認められるなんてそれだけでも大快挙なのに、王の信頼も篤いときてる。おまけに王子とは懇意だし、まさに我が国の次世代の担い手――というところかな」 「それは皮肉ですか?それとも警告?やっかみ、とは思えませんが」 「褒めているだけだろう。どうしてそう疑り深いんだ?おまえ、もう少し素直になれよ」 「なれません。あなたの前ではこれぐらいでちょうどいい。さ、ちょっと出ていってください。あなたとおしゃべりしていると作業がちっともはかどらない。私は今日中にここを片づけたいのです」 「へいへい。んじゃ、ちょっとその辺見回って来るわ」 ジェミスは片腕を浅く上げて出て行った。セグランは彼の後ろ姿に一抹の後ろめたさを感じた。そう感じてしまう自分に、まだまだ甘いと痛感する。 ここは戦場なのだ。内にも外にも敵はいる。用心するに越したことはない。ましてや今日からは、自分ばかりか王子の身の安全にも気を配らねばならない。すべてのことに対して、いままで以上に細心の注意を払うのだ。 セグランは逸る気持ちを抑えた。抑えきれず、一言、呟きが口をつく。 「……ようやくお目にかかれますね……」
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