キルヴァはしばらく空の中を見つめていた。 この天空のどこかにステラがいる。 いつか、会える。 いつか再会の時が来る――ずっとそう信じていた。 だがやはり、現実はそううまくはいかない。ジアに託していた一縷の望みをも断たれたいま、キルヴァは喪失感で満ちていた。ジアの死と、その死によるステラとの細い絆の断絶。十年前のあの日は、なんて遠い思い出となったのだろう。 「……子、王子」 呼びかけに、キルヴァは追想から我に返った。ゆっくり振り返ると、全員が燻った表情でキルヴァの言葉を待っていた。クレイなどはいまにも質問攻めにかかりたそうに眼を血走らせて落ちつかなげである。 キルヴァは黙って懐から書状を取り出し、それを近衛長のダリーに差し出した。 「……これは?」 「今朝届いたばかりのセグラン・リージュからの書状だ」 「なにが書いてあるのですか」 「読んでくれ」 皆の手に順番に渡り、最後にカズスの手からキルヴァに戻された。キルヴァは丁寧に懐にそれをおさめてから、一同を見渡した。ダリー、ミシカ、エディニィ、クレイ、アズガル、カズス。誰の眼にも一部の恐れも見当たらない。これからキルヴァが言うであろう言葉をはっきりと予測して、それを受け入れるつもりなのだ。 「私は戦線へ赴く」 キルヴァは宣言した。びりっと、空気に緊張が漲った。 「セグランの知らせでは父上の負傷は軽いものらしいが、前線基地は壊滅的被害を受けたようだ。すぐにも補給と援軍が必要だろう。こちらに要請はいまのところないが、このたび私は要請がなくとも動く。おそらくそれは待っても無駄だろうから、準備が整い次第出陣する。皆もそのつもりで早速支度にかかってくれ」 「お言葉ですが」 と言ったのはミシカである。 「王の要請もなく勝手に動かれてはのちに軍規違反に問われることになるかと思われます」 「私は待った」 キルヴァは静かに言った。額にかかった髪を無造作に掻きあげる。 「要請があってしかるべき危機に名乗りを上げて、二度とも待機を命じられた。三度目をじっとしているつもりはない。これ以上ただ黙って傍観していれば腑抜けの烙印を押されても仕方あるまい。それに私は成人してもう三年になる。二十一にもなる男がただ大勢の家臣の背に守られていたとあっては、我が祖先にも我が民にも顔向けできないだろう、違うか」 意気込んで、カズスが一歩前に出る。 「俺は行きます。王子が行くなら行きます。どこでも行きます。絶対についていきます」 「頼む、カズス」 「いやだから、カズスだけに頼まないでくださいって。私だって行きますよ、もちろん。私やカズスだけじゃない、皆も行きます、行くに決まっているでしょう。我々は王子の近衛です、王子の行くところ、たとえ奈落の底まで来いと言われても黙ってお供しますって」 クレイの言葉に異を唱える者はいなかった。ミシカも、もう反対しなかった。 キルヴァは頷いた。胸に温かいものがひろがっていく。セグランと離れ、この十年失ったものも多いが、新たに得たものもある。孤独を感じることもあるが、決してひとりではないということがキルヴァを勇気づけた。 「君たちがいてくれてよかった」 「任せてください。俺、いや、俺たち王子命ですから!」 どん、とカズスは胸を叩いた。笑顔は子供のように溌剌としている。それにしても、と大きな声で彼は続けた。 「その姿、王子本当にお似合いですねぇ。ほら、光がちょうど天上から斜めに射して――物語の英雄さながら立派で――まるで紅い軍神みたいですよ」
セグラン・リージュから書状が届いてより六日後、補給物資等の支度を整え、キルヴァ・ダルトワ・イシュリーは第五領地とスザン国との国境線の前線基地へ向けておよそ一万の軍勢を率いて出立した。 リアストン暦九百九十三年、オーエンの月、第二十三日目のことである。
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