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作品名:天人伝承 作者:安芸

第13回   13
 第四領地から第一領地境までは大農耕地帯と起伏のある丘陵地が続き、四か所の交通の要所の中継を経て、未開発の原野をよぎった。彼方には峻嶮なオーラン山脈が聳え、古来より寸分変わらぬ威容を誇っている。
 小型の漁船二隻がようやく行き交うだけの川幅と深さを維持するザール川に着いた頃、正午になった。この川が領地の境目であるだけに人も物資も往来は途切れることなく、一行は順番を待ち、二手に分かれて渡し船に乗り、向こう岸に到着した。憲兵は両岸にいて雑事や揉め事、見張りに従事していたが、用向きを伝えると最敬礼と共に一行を送り出した。
 第一領地に入ってはじめの町ポルトで休憩をとった。馬を休ませ、餌と水を与える。一行も身分を明かさぬまま旅客人用の食堂で食事と用足しを済ませた。一バーツ後、出立した。
 人里から離れているためか、まるで人気のない静かなるヒースの森を抜け、シュイ湖に到着したのはそれから二バーツ後である。
 湖は十年前とほとんど変わらぬ趣だった。
 時間帯による光の加減と、周囲の樹木の成長はともかく、湖そのものは十年前と同じくそこにあった。湖面は光を反射してきらめき、小波がゆるく湖岸に打ち寄せている。
 キルヴァは皆を制して馬を下り、湖の淵までいった。春の陽射しが眩かった。緑の新鮮な薫りが鼻孔をくすぐった。風がやわらかで心地いい。
 キルヴァは湖の真ん中に視線を定め、胸一杯に息を吸い込み、眼を閉じた。ゆっくりと息を吐きながら眼をあけると、そこに、十年前の幻影を見た。
……セグランが、傷ついている天人を曳いてこちらに戻ってくる。
 湖岸に眼を移す。
……今度はセグランと幼き日の自分が向き合っている。
 あの日ここで、二人で絶対の秘密を誓った。
 あれから十年――。
 あの日から五日後、キルヴァはセグランと別れた。
別れてからの十年の月日は長いようで短く、また、短いようで長いものだった。こうして思い出の地に立つと、埋もれていた記憶がまるで昨日のことのように蘇ってくる――。
 
「私は軍師になります」
 セグランは片膝をついてキルヴァと目線を合わせ、決然と言い切った。
「いずれあなたがこの国を統治なさるとき、私も微力ながらお手伝いをしたいのです。あなたとあなたの守るこの国を私も守りたいのです。そのために、私は学ばなければなりません。何年も何年もかかるでしょう。ですが、次にお目にかかったときにはあなたのお役にたてるものとなり、あなたのために必要なものであるように全力を尽くします。私のこの我儘を、お許し願えますか?」
 セグランは押し黙るキルヴァの手を押し戴いた。
「……本当を申しますと、このままでは私は殺されます。お静かに。声を荒げてはなりません。どうぞそのままお聞きください。私についてはおそらくは湖の一件だとは思うのですが、他にも何人か、なにに対してかは不明ですが、憲兵に疑われて捕えられ、罰を受けたようなのです。疑わしきは始末せよ、と軍師リューゲル・ダッファリー殿から指令がおりているようで、既に処刑されたものもいると聞きます。私も今日のところは帰されましたが、私だけがこのまま無事に済むとは思えません。王子は大丈夫です。王子は他ならぬ王の御子、王が守ってくださいます。私は、まだ死にたくありません。あなたを残しては死にたくないのです。ですからいっそ、この秘密の渦中に飛び込もうかと思います」
 セグランは血の気のない顔で微笑した。
「軍師殿は王命でしか動きません。なにが起きているのかはともかく、なににせよ、軍師殿が動いている以上、国家規模のなにかであることは間違いないのです。そしていずれはあなたにも関係のあることとなるでしょう。そのとき私ばかりがなにも知らない存在ではいたくないのです。いついかなるときも、あなたのお力になるためには、無知のままではいられない……たとえそれが、禍々しい、白日のもとにはさらされぬ悪逆の秘密であったとしても。あなたが負うものは私も負いたい……身の程知らずかもしれませんが、お許し願いたいのです。しばらくのお暇を、どうか。私は、リューゲル・ダッファリーのもとへ参ります」
 セグランに向け、キルヴァはひとことだけ口を利いた。
「……私になにかできることは?」
「……余裕のあるひとに、おなりください。あなたはやがて王になられるお方。ですから目先のことにのみとらわれてはなりません。常に先を見て、常に先を読むように、常に先のことを考えるようにするのです。それには余裕が必要です。余裕のあるひとだけが、他者にも優しくできるのです。そうすれば、あなたは立派な王となられるでしょう。……もっとも、いまでもあなたはその心をお持ちです。あなたはお優しい。どうかその心をいつまでも忘れないでください……王子、私の王よ。いつの日にかまた必ずお傍に参ります」

 キルヴァは物思いより醒めてからもしばらく動かなかった。懐には、今朝届いたばかりのセグランからの書状がある。それを読んで、参戦の意を決めた。ついに起つときが来たのだ。あとは迅速な行動、的確な判断と無駄のない指令がものを言うだろう。
 だが――発つ前にどうしてもやらねばならないことがある。


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