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作品名:天人伝承 作者:安芸

第10回   第二章 命を懸けた誓いに生きるということ



      第二章 命を懸けた誓いに生きるということ



 春―-----
 
 満開の桜、若草は萌え、木々は新しく息づき、あらゆる生き物が眼を覚ます。
 風は芳しく、光は淡く明るく、空はどこまでも穏やかに澄みきってひろがる。 

 雲ひとつなく晴れた春爛漫のこの朝、一通の書状がこの地方の若き当主宛に届けられた。
 それは、のちにこの国の命運を決する出来事へと導くことになるものだったが、まだこのときは誰の胸にもなんの予感もなかった。
 
 差出人はセグラン・リージュ。
 宛先人はキルヴァ・ダルトワ・イシュリー王子殿下―-----名実ともに、この国の第一王位継承者である。

「また少し眼を離せばこれだわ―-----さっきまでおとなしく書状を読んでいたと思ったらすぐにドロン。ンもう、本当に油断も隙もない!王子!隠れてないで出てきてくださいな!あなたさまにいなくなられると私が怒られるんです!ちょっと、なにひとりで寛いでいるのよ。ダリー、あんたどうして王子についていかなかったの」
 ダリー・スエンディーは心外だ、とばかりに顔をしかめて席を立ち、外出用の身づくろいをはじめた。中肉中背、まっすぐ姿勢が保てず、少し左肩が下がる癖がある。金髪は日に焼けて赤茶に近く、眼は少し珍しい色合いで、紫がかった藍である。まだ三十代半ばだが、どことなく緩慢な動きは常にてきぱき、きびきびと行動するエディニィ・ローパスの癇に障り、十以上も年下の彼女にしょっちゅう子供のように注意されている。
 ダリーはエディニィのよく動く口が閉じたのを見てから言った。
「……おまえを待っていたんだ。王子が出かけるから、今日は全員で供をするようにとのことだ。いま、厩舎に馬を取りに行った。クレイとミシカがお傍についている。俺たちも行くぞ」
「え、あらそうなの。じゃ、行きましょう、早く」
 まったく悪びれた様子もなく、エディニィはマント掛けから自分用のそれを取り、日よけの帽子を被り、皮手袋を嵌め、常備する武器用具をざっと検分し、用意が済むと、さっさと踵を返した。なにごとも無駄が嫌いな性分なのだ。背は少し低め、だが足が長いのが自慢でそのうえ脚線美に優れている。顔はやや童顔で、いつも年相応に見られないのが秘密の悩みの種である。無造作に束ねて結いあげた髪は黒、瞳も黒。肌は砂漠出身のため褐色である。
 ダリーはこの口喧しい年下の同僚を猫と同じく扱っている。 

「そういえば、今ぐらいの時期で、ちょうどこの辺りでしたね」
 クレイ・シュナルツァーは馬上でやや身を捻り、手綱を軽く手前に引いて、速度をゆるめながら王子を振り返った。
 なにか、少し考え込んでいるようである。
 短く切り揃えるのが惜しまれるくらいの見事な金髪が風の形にたなびく。王家生粋の翡翠の瞳は静かな胆力と知性が宿り、年不相応に落ち着き払っている。美貌で知られた亡き王妃によく似た整った容貌、武芸に通じた体格は日頃の訓練の賜物である。幼き頃より徹底した帝王教育を施された成果故か、慎み深い物腰の中にも、どこか風格がある。
 ご立派な青年になられた……。
 クレイは眼を細めて心の中で称えた。
 セグラン次軍師がご覧になられれば、さぞやお喜びになられるだろうに……。
「憶えておいでですか。カズス・クライシスを王子がお気に召して、近衛に抜擢した場所ですよ」
「憶えている。あれは傑作だった」
「呼んでみませんか?もしかしたらあいつのことだからまた繰り返すかもしれませんよ」
「まさか」
 キルヴァは一笑した。だが、悪戯心も芽生える。
「やってみるか」
「やりましょう、やりましょう」
 クレイはキルヴァより、ほんのわずかの距離をおいてさがった。
 黙って成り行きを静観していたミシカ・オブライエンは憮然とした表情でクレイを見やった。彼女は彼が王子を眺めて涙ぐむ姿を幾度となく、頻繁に、目撃していた。どうも王子の成長を非常に喜んでいるようなのだが、正直、鬱陶しい。自分より五つも年下で、まだ三十にも届かない若さでありながら、年寄りくさいのも気に食わない。図体ばかり勇ましく、横にも縦にも人並み以上のくせに、顔は意外に繊細というのも気に食わない。薄茶の髪、薄茶の瞳。男のくせに肌のきめが細かいことも気に食わない。要は、同僚でなければ近づきたくない部類の男なのだ。
 まあ、たぶん相手も同じようなことを考えているだろうけど。
 と、ミシカは自嘲気味に口辺を歪めた。ミシカは自分というものをよく知っていた。女でありながら武芸一般に秀で、一方、まともな行儀作法も満足でない。並の男より体格は勝るものの、顔は十人並み、髪も眼も平凡な茶で、胸もなく、腰もくびれていない。とりたてて女らしいところがない。口が下手で、気もきかない。愛想もない。仕事以外に趣味らしい趣味もない。人のことなどとやかく言える人間じゃない。
 ……それでも、やはり気に食わないが。
 キルヴァは空を仰いだ。素晴らしい天気だった。太陽光がきらめき、あたたかく、風も爽やかで、本当に清々しい。
 そう―-----あの日も、こんな朝だった。
 嵐の中、薄暗闇を引き裂いて金色の光が閃いた。
 それが星だと聞いて、胸を躍らせて赴いた湖で―-----。
 私は秘密を抱くことになった。
 あれからもう、十年が経つ。
 十年だ―-----セグラン。
「あれ、どうしました王子」
 はっとする。キルヴァは思考を中断し、なにごともなかったかのようにクレイに向けて微笑した。おもむろに、左腕の肘を折って肩の高さまで掲げた。そして、声高に呼ばわった。
「来い―-----カドゥサ!」


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