「もののついでだ。一度バノヴェの様子を見ておきたくてね」 夜半から意識をフェルロンへ向けて飛ばし、バノヴェの近域に生息する猛禽を捕らえて視力を借りた。あらゆる生物の目を通してものを見る――それが彼に与えられた“力”である。鳥や兎といった小動物ならばその身体を操ることも可能だ。しかし目となる対象との距離が離れていればいるほど、捕らえるのは難しく、また消耗もする。その負荷は等分に対象の方にもかかるので、さっきまで彼の目になってくれていたあの鳥は、今頃はもう生きてはいないだろう。人間だからこそ耐えられるが、小さな身体には負担が大き過ぎる。 「それで、いらっしゃいましたか?」 「見つけたと思った途端に君に叩き起こされたのだ」 「それは申し訳ございませんでした」 謝罪の言葉を口にしている割に、アウロの表情には悪びれた様子がない。それはこの際気にしないようにして、ユマは自分が見た映像を反芻した。無意識のうちに顎鬚をさすりながら、物書き用の机のふちに寄りかかる。 あの緑色の髪の男を見た時、何か違和感があったのだ。まるで初めて見る顔ではないような……。ユマはその理由を突き止めようと考えに沈む。アウロが近寄ってきて、手を止めてしまったユマの代わりに彼の上着のボタンを留め始めた。 「それが、おかしな男が一緒にいてね……そいつは我が帝国の軍服を着ていた」 「なんとまぁ。たいした横着者でございますね」 一瞬だけ手を止め、アウロは呆れた顔で彼を見上げる。その顔を見た途端、ぱっとユマの顔が晴れた。そのまま、にまにまと笑み崩れる。アウロは不気味そうに、主の顔を見つめた。 「……如何致しましたか」 静かに問う有能な側近に、ユマはぐっと顔を近づけてささやいた。 「その横着者は、君とよく似た目をしておったよ」 束の間の沈黙の後、アウロの黒い双眸に冷たい怒りが宿る。ユマはしまったと思ったが既に遅い。 「いくら主と下僕という間柄と言えど、解せませぬな。このわたくしめが横着者と?」 「いや、何もそんなことは……」 「長年一心にこの身を捧げお仕え申し上げて参りました所存でございますが、陛下がそのように仰せになられるのでしたら如何にもその通りなのでございましょう。横着者は油断がなりませぬ。寝首を掻かれぬよう、せいぜいご注意くださいませ」 流れるような口上に、ユマはげんなりとする。この男、怒ると何をやり出すか分かったものではない。いつぞやも、大嫌いなマッシュルームを使った料理を連続で五日間も出され、さあさあお召し上がりくださいましと満面の笑顔で勧められてすっかり参ってしまったことがあった。再びあのような仕打ちを受ける前に、さっさと和解してしまうのが望ましい。 「そんなつもりではなかったのだ。どちらにせよ、悪かったと思っているよ。君は私を理解してくれる唯一の友だ。そんな君のことを私が悪く言うと思うかね?」 冷や汗をかきながら弁明する王を、アウロはしばし冷ややかな目で見、やがて口を開いた。 「二十日間は力を使わず、お身体をお休めなさいまし。お約束頂けぬようならば私は今から料理長と夕餉の献立を相談して参ります」 「わ、分かった……しかし、二十日間は……」 二十日もあれば情勢は変わる。何かあった時にすぐに見に飛んで行けないのは、かなり不便だ。 「少しは将校たちにも仕事を分けてやらねば、彼らも退屈してしまいましょう。第一、目があっても口がなければその場で指示が出来るでもなし。それに朝寝坊をなさるお暇がおありならば、殿下と遠乗りにでもお出かけになって父子の対話でもなさるのがよろしいかと存じます」 アウロの言葉には、彼も納得せざるをえない。ユマは低く唸るように、分かった、と答えた。 「二十日間、力は使わぬ」 「わたくしめなどの言葉にお耳を傾けて下さり、恐悦至極にございます」 アウロは晴れやかに微笑んだ。かつて、幾人もの女性の恋心をくすぐった笑顔は、未だ健在だ。それとは対照的に、ユマの表情は疲れてどんよりと曇っている。これではどちらが主だか分かったものではない。 「ささ、昼餉を召し上がるお時間でございます。殿下などは食べ盛りでございますから、遅刻なさればまた叱られてしまいますよ」 「うむ‥」 浮かない顔のまま、アウロに急かされて彼は寝室を出る。上手く丸め込まれた感が否めない。 どこからか心地良い微風に乗って、甘い花の香がした。ソランド帝国は既に春、新緑が芽生える一年でもっとも柔らかな季節を迎えようとしていた。
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