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作品名:暁香の王 作者:さち子

第5回   一章(3)
 

真っ青な空がどこまでも続いていた。三日三晩荒れ狂っていた吹雪は嘘のように去り、風は凪いでいる。
 眼下に広がるフェルロンの首都は、ようやく戦闘の混乱から立直りつつあるようだった。城を初めとする高い塔にはソランド帝国の鮮やかな色合いの旗が立てられ、灰色の軍服を着た兵士たちが街中にたむろする。道の真ん中や広い屋敷の裏庭などには、寒さをしのぐためにところかまわず大きな焚き火が作られている。兵士たちがその周囲で身を寄せ合って暖を取っている様子を見、彼は人知れず微笑んだ。
 ソランドの一般兵はほとんどが南国育ちの若者だ。雪など見たこともない彼らには、高地フェルロンの気候はさぞや堪えることだろう。次の吹雪が来る前に、彼らが凍えないような処置を取らねばならない。戦いずくめの彼らが、疲労から不満を漏らすようになれば軍の士気に関わる。彼は何度も旋回しながら、都の様子をつぶさに観察して回った。
 城壁の外へ目を向ければ、戦闘での死者よりも凍死者の方が目立つ。吹雪の中、家を奪われて行き場のない人々は凍えるよりほかなかっただろう。こちらも、早急な対策が必要だ。
 そうして日が天頂に達する頃、彼はその目を北へ向けた。今はもうソランド帝国のものとなった古い王城を飛び越え、隣国マーラとの国境を隔てる連山を目指す。彼はそこに、一つの捜しものがあった。
 王城の背後を守るかのように聳える山々では、高低の激しい岩場や分厚く雪を被った針葉樹のこずえの所々に、灰色の軍服を着た小隊の姿を見つけることが出来た。山肌を這うように細々と続く街道はマーラへ抜けるための唯一の道らしい道であり、当然そこには蟻の子一匹見逃すまいと、多くの部隊が詰めている。しかし、そんな厳戒体制を敷いているにも拘わらず、目的のものはまだ見つかっていない様子である。
 街は捜し尽くした。後は山に逃げ込んだとしか思えない。もっとも、昨夜までの吹雪の中を無事に生きながらえているならばの話だが。
 その時、上空からでも鼠の尻尾が動くのさえ見分けることの出来る彼の目が、木立の影に隠れるようにして進む二人の人間と一頭のカリブーの姿を捕らえた。カリブーに跨がった人間の方は、体格からして女だろう。外套のフードを目深に被っている。カリブーの手綱を取ってその横を歩く男は、ソランド帝国の灰色の軍服を着ている。その、派手な緑色の髪に目を奪われた。
 彼は音もなく、ぐっと高度を下げる。ちょうどその軍服の男が頭上を振り仰いだので、顔の作りまでしっかりと見えるようになる。男はまだ若く、薄汚れてはいたが端正な顔立ちをしていた。
 彼はそこで、おや、と首を傾げる――。
「陛下!!」
 身体を揺さ振られ、バノヴェの雪山の上空を飛行していた意識と視力は、半ば強引に暖かな自室へと引き戻された。その衝撃が起こした頭痛を堪えながら、ユマ・ソランドはゆっくりと両目を開く。大きな窓からいっぱいに降り注ぐ日差しに目が慣れるまで、しばしの時間がかかった。
「お帰りなさいませ。朝餉も召し上がらずに、この度はどちらへお出かけでございましたか?」
 目の前には唯一信頼の置ける側近の、艶やかな笑顔がある。
「アウロ……。相変わらず女のような顔をして、嫌味な奴だ。せっかく面白いものを見つけたというのに」
「そのようでございますね。新しい玩具を与えられた幼子のように、それはもうにこにこと楽しげに笑っていらっしゃいました」
 ユマの精一杯の応酬にもアウロは全く動じた様子はなく、平然と倍返しにしてくる。自分と同い年の、しかし昔と変わらぬ美貌を持つこの男を、彼は溜め息と共に見上げた。
「主の寝顔を盗み見るとは、全く君らしい陰険な趣味だよ」
 王の寝室に無断で入ることが出来る者は限られている。ユマが許したのは自分の家族とアウロ、そしてアウロの一人息子だけだ。朝になっても起き出して来ないユマを起こすのは必然的に彼らのうちの誰かの役目であり、ほとんどの場合をアウロが一人でこなした。ユマとしては、いくら女顔で美しいとはいえ中年の男には違いない側近よりも、年頃になって近頃ますます可憐になってきた娘に優しく起こしてもらう方がはるかに目覚めが良いというものだ。しかし残念なことに、そのような都合の良いことは滅多と起こらない。
 とはいえ、一国の王であるユマが毎日のように昼までのうのうと寝ているわけではない。それは彼が“力”を使う場合にのみ生じることだった。周囲からは眠っているように見えても本人は普段以上の精神力を費やしているため、まるで徹夜をした後のように全身が疲れ切っている。このまま本当の眠りにつきたかったが、午後の政務は外せない。彼は大きく伸びをし、ベッドから滑り降りた。既にアウロが、皇帝が着るための服をきちんと取り揃えている。
「お顔の色が優れませんよ。もう良いお年なのですから、子供のような冒険は程ほどになさいませ」
 ユマは寝巻きを脱ぎ捨てながら、彼が抜け出たばかりのベッドをせっせと整えているアウロに悪戯っ子のような笑みを向けた。
「ほほう、わたしがどんな冒険をしてきたか、君には分かるのかね」
「おおかた、フェルロン王のご息女様の行方でもお捜しだったのでございましょう。遠出はお控えなさいませと、あれほど申し上げましたのに」
 ずばり、言い当てられて、ユマは視線を彷徨わせる。いつものことだが、この男にだけは敵わない。


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