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作品名:暁香の王 作者:さち子

第20回   二章(5)
「マーサ! こちらへおいで。リア、紹介するよ」

 木の根本に足を投げ出して寛いだラファエルが、頭上に向かって呼び掛ける。
 その声に応じるように舞い降りてくる黒い鳥を見るなり、リアは顔面が強張るのを自覚した。
 先程飛び掛かってくる姿を目視したときから、どうやらまずいことになったとは思っていたが。

「ラファエル様、それは害鳥です。さすがにお戯れが過ぎます。皇帝陛下がお定めになられた法を、お世継ぎでいらっしゃる貴方様がお破りになるなど」

 王子の肩に止まった烏は、リアに向かって無声のまま大きなくちばしを開けてみせた。

 ユマ帝の御世になってからソランド帝国の首都は急速に発展し、周辺の森は数年ごとに拡張される城壁の中に飲み込まれた。次第に街に移り住んだ烏による被害が深刻になり、皇帝は都を挙げてその駆除に乗り出したのである。
 この中型の黒鳥は古来より魔鳥として恐れられ、よく響く鳴き声は死を呼ぶ不吉なものとされている。民草の間でも忌むべき存在であったがために容赦なく住み処を追われ、今では都の上空を黒い影が横切ることさえ滅多になくなった。
 しかし法は未だ有効であり、巣を見つけて放置した場合は罰せられることになる。

 まさか、帝位を継ぐべき第一王子が法を犯すとは。
 やんごとなき家柄の者は罰金を払えば実刑を免れるのは事実だが、罪は罪として公衆の面前に曝されることになる。

「聞いておられますか、殿下!」

 彼の小言には関心のない様子で鳥に何事か話しかけているラファエルに対し、リアは珍しく語気を強める。
 こんなことが露見すれば一大事だ。少しは王子としての自覚を持ってもらわねば、ラファエルの人望が損なわれるばかりである。それはすなわち、王家の権威の失墜にも繋がるだろう。

「面白くないな」

 ラファエルの口から、低い呟きが滑り落ちる。

「ここにいるのは害鳥などではない。僕の大切な友のマーサだ。それだけではいけないのか」

「殿下、しかし」

「そんな呼び方をするな」

 そう吐き捨てた彼の横顔には、憤りの念があった。

「……申し訳ありません。ですがわたしは、貴方のことが心配なのです」

 伏し目がちに弱々しく反論したリアは、その肩を乱暴に引き寄せられて視線を上げる。そこには、身がすくむほどに真っ直ぐな主の目が待ち構えていた。

「よく見ろ。この美しく光る黒を。お前と同じ、気高い色だ。一体何が違う?」

 ラファエルの手が、こざっぱりと一つにくくられた彼の黒髪をゆっくりと撫でて過ぎた。

 リアやアウロのような漆黒の髪と瞳を持つ者は、この地方では珍しい。
 帝国の首都サラサは大陸でも有数の貿易港であるため、市井は様々な国や民族の商人で溢れている。近年では裕福な商人を移民として積極的に都に住まわせるようにもなり、民の間では混血も進んでいると聞く。
 その反面、王宮内に出入りを許された家柄の者たちは生粋のソランド人である場合がほとんどである。金髪碧眼の鮮やかさを尊ぶ貴族の集団の中で、リアたち親子の存在は嫌でも目立ってしまう。

「リア、僕はね、君たちのこの色が大好きなんだ。――姿形に捕われることの愚かしさを、君はよく知っているだろう?」

 確かに、そんな人間の暗黒面を彼は飽きるほど見せつけられながら育った。
 出自のはっきりしない異民族の者が王の一番のお気に入りの座を勝ち取ったのだから、嫉妬と憎悪の視線が常にまとわり付いてくるのは至極当然のことであった。リア自身、謂れのない誹謗中傷や嫌がらせを受けるのは日常のこととして、もはやいちいち構うこともない。
 それでも時折、やり切れない思いに駆られることも否定はできない。

「今ここにいるのは、友達のマーサと弟分のリア。鳥だとか王子だとかはやめにしよう」

 ラファエルは、空の色を映し込む硝子玉のように青い目をすがめて笑った。
 その顔は歳の割には幼く、汚れを知らないように見える。しかし王子が決して無知ではないことを、リアはよく知っていた。

「マーサも、リアはいい奴だから安心して。君の大事な子供たちに危害を加えたりはしないから。ね、リア」

 軽い調子で同意を求められて、苦い思いで唇を噛む。
 分かっていてもなお、一見無垢なこの笑みに騙されるのだ。

「ずるい人ですね、貴方はいつも」

 結局、彼はラファエルには逆らえない。主従関係とはまた別のところで作用する、兄弟のそれに近い繋がりがそうさせるのか。

「分かっています。“ラフィ兄様”の交遊関係には口を出しませんよ」

 幼い頃、二人の間でだけ使われていた呼び名を口にする。
 兄様と呼べど、実状は我が儘な弟のようなものだ。こんな無茶苦茶な理屈に付き合わされていたら身が保たないとも思う。
 同じような経緯で見逃してきた秘密が一体いくつあるだろうと考えて、リアは溜め息を吐いた。

 それでも、この王子に生涯仕えお守りしたいと心が叫ぶのだ。
 この気持ちが単なる情なのかもっと崇高な何かなのかは、今のところは彼自身にも分からないでいる。

「ほらね。リアは僕を理解してくれる、一番の友人なんだよ」

 カラスに話しかけるラファエルの声には、どこか誇らしげな響きが含まれている。
 彼の顔の陰から、“マーサ”が黒目をきょときょとさせてリアを見た。リアは仕方なく、それに曖昧な笑みを返す。

「その代わり、少しはわたしの立場も考慮していただきたいものですね」

 彼の精一杯の負け惜しみに対し、ラファエルは片眉を上げて考えるそぶりをしてみせた後、肩に止まった友に何事か声を掛けた。
 カラスが光沢のある黒を艶めかせて空中に舞い戻ったのと同時に、彼も立ち上がる。

「ウィル、エド、帰ろう!」

 朗らかな呼びかけに応じて、王子の愛馬ウィリアムが喜々とした様子で駆け寄ってくる。
 輝く太陽を思わせる金色の髪の青年に美しい白馬が寄り添う様は、南国の抜けるような青い空によく映えた。

 リアが手綱を繋いでしまったために身動きの取れない栗毛のエドマンドが、不満げに低くいなないた。


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