みずみずしく光る草原を、南東の風が優しく渡っていく。 ソランド帝国王家の広大な私有地であるこの一帯は熊や狼などは滅多に姿を見せず、まして王家以外の人間が出入りすることもほとんどないため、鹿や兎などの草食獣や鳥たちの楽園と化していた。 それでも彼は気を抜くことなく、周囲に目を配りながら馬を駆けさせていた。うっすらと汗をかいた栗毛の馬のたてがみは、午後のうららかな陽光を浴びて輝いている。 小川のせせらぎを飛び越え、彼は真っ直ぐに小高い丘を目指す。 逃亡癖のある主(あるじ)がそこにいることは分かっていた。主の愛馬が丘の上の二本の樹木の間でのんびりと草をはんでいる姿を、彼の視力はかなり早い段階で確認していたのだ。 丘の上まで一気に駆け上がる。 並足で馬を落ち着かせながら大木を見上げると案の定、中程の枝に見慣れた金色の髪の青年が跨がっている。だらしなくぶら下がった片足がゆらゆらと揺れていた。 「ラファエル様!」 声を張り上げると、木の上の青年はびくりと肩を震わせて彼の方を見下ろした。驚きに見開かれた鮮やかな青い双眸が、すぐに明るく輝く。 「やあ、リアか。急に大きな声を出すからびっくりしたよ。いつからそこにいたんだい?」 「たった今ですよ」 「お前も早く登っておいで。卵がかえったんだ」 リアは溜め息を吐きながら鞍から滑り降りた。手綱を手頃な枝に絡ませ、軽い身のこなしで己の身体を木の上に引き上げる。 ラファエルは、二股に分かれた太い枝上の鳥の巣を熱心に覗き込んでいた。あまりに身を乗り出すものだから、バランスを崩して転がり落ちてしまいそうだ。その格好はまるで遊び盛りの子供のようで、じきに二十歳になろうかという身分ある者の姿には、到底見えない。 「ラファエル様」 「なんだい?」 ラファエルの熱い眼差しの先では、一抱えもありそうな巣の中で小さなものたちがじっとうずくまっている。しかし、親鳥の姿がないために何の鳥の巣なのかは判別できなかった。 羽毛も生えていない雛たちの姿はお世辞にもかわいらしいものではなく、観察していても面白くはなさそうだ、とリアは思う。 リアはこほんと一つ、わざとらしい咳ばらいをしてみせた。 「こちらをお向きください、王太子殿下。礼法のご講義では話す時に相手に尻を向けるとお習いになったのですか? 少し目を離したところで、鳥の巣は消えてなくなりやしません」
そこでようやくラファエルは観念したのか、彼の方に向き直った。しかし悪びれた気配もなく笑っている。
「リアは最近小言の言い方がアウロそっくりだな。顔が似てるのは構わないが、性格まで似るのはどうかと思うぞ」
しかめっつらを装っていたリアも、つられてにやりと笑ってしまった。 彼の父であるアウロならば、顔色一つ変えずに、さらなる厭味の一つや二つは言ってのけることだろう。それに比べればまだ優しいと思ってほしいところだ。 リアは王子のペースに流されまいと、急いで表情を引き締め直す。
「それより、また午後の教練を無断欠席なさいましたね。帰ったら大目玉ですよ」
そもそも新兵ばかりの軍事教練に王家の子息が参加するような慣例はない。だが王太子の忍耐と協調性のなさを危惧した皇帝ユマ・ソランド自らの指令により、ラファエルは特例として三日に一度教練に参加することを義務付けられている。 それすらも怠けるとは、通常の日課を放棄するよりも始末が悪い。
「じゃあこのまま家出するよ」
「またそんなことをおっしゃって。殿下はお食事とお休みになられるとき以外はいつも行方が分からないと、皆が噂しています」
昔から、ラファエルの奔放な性格は城の中でも問題になっていた。 まだ帝位を継いでいないとはいえ、彼の年齢ならば何らかの役職を与えられて政務に貢献していてもおかしくはない。しかし万事において怠け癖のあるこの王子はまともに勉学に励んだためしがないために、十代前半のうちに修了すべき学問を未だに学ばなければならない。 責任感に欠ける者には仕事を任せることなど到底できないというのが、皇帝を初めとする国の中枢を担う者たちの共通の認識だった。
「好きなように言わせておけばいいさ。人間などつまらない生き物だよ」
太い幹にもたれ、透き通るような若葉の間から青く光る空を見上げるラファエルの顔は、あっけらかんとしたものだ。 しかしだからこそリアには、人間の社会に上手く馴染むことができない王子が哀れに思えてならない。
「ラファエル様……」
「そんな顔するな。お前は別だよ、リア」
ラファエルはリアを傷付けたと思ったのだろうか。母親譲りの柔らかな孤を描く眉尻を下げ、困ったような顔で笑いかけてくる。
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