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作品名:暁香の王 作者:さち子

第16回   二章(4)
「何故、分かる?」
 王家の伝承に従うことが出来ないのならば、それは血族に対する裏切りだ。自ら王家を裏切り、誇りを捨ててまで生きる価値がどこにあろうか。
 しかし身を挺して自分を守ってくれたこの男を殺すことは、彼女にはどうしてもできそうになかった。数日間を共に過ごすうちに情が移ったのかもしれない。皮肉なものだとシーナは考える。
「あんたは真面目で、分かりやすい」
 嫌味な言い方ではなかったが、褒められている気はしない。一つ嘆息して、彼女は苦笑する。
「わたしにはお前の考えがさっぱり分からないが」
「ああ、よく言われるな」
 柔らかな空気が伝わってくる。もしかしたら背後で、ナディルは笑ったのかもしれない。
「確かに俺達の一族と王族は、対立する立場にあった。王族を滅ぼすことが俺達の最大の使命だと、それこそが我らの正義だと皆が信じていた。だが、全て過去の話だ。一族の滅亡と共に、思いも消えた」
 まるで他人事のような話しぶりだった。身内のことを語るには相応しくない淡々とした口調に、妙な苛立ちを感じる。
「だがお前はまだ生きている」
「魂は、里と共に滅んだ。この命は俺のものではない。俺を拾ってくれた、ある人のものだ。俺はその人のために生き、手足となって働くと誓った」
 彼の口から明かされた事実に、シーナは顔を上げる。振り返ると、ナディルは負傷した左足を投げ出すようにしてベッドに寄り掛かり、じっと暖炉の火を見つめていた。
「ある人とは?」
 ナディルは無言のまま、彼女を一瞥する。きらりと光った黒い瞳に拒絶の意思が宿っていることを、シーナは敏感に察した。
 返答を拒否したという行為そのものが、その人物がなんらかの権力に繋がる立場にいることを暗に示している。シーナは無意識のうちに眉を潜め、険しい顔付きになった。
「わたしを助けたのも、その者のためだということか?」
「不利益にはなるまいと……」
 ふとそこで、ナディルの声が途切れる。
「大丈夫か?」
 苦々しげに顔を歪めて俯いてしまった彼が心配になって、シーナは身を乗り出した。
「傷が痛むか? もういい。今夜は休め」
 傷を負ってから、まだ丸一日も経っていない。本来なら起き出してきていい筈がないのだ。
「今にも自分を殺しそうな奴の前で横になれと?」
 珍しく人をからかうような軽い口振りで、彼は首を横に振る。しかしその顔色が暗がりの中で見ても分かるほど芳しくないことに、シーナはようやく気付いていた。
「一時休戦だ。ベッドに上がれるか?」
 手を貸そうと立ち上がりかけた彼女の腕を、ナディルが掴む。その手は熱く、微かに震えていた。
「違う、こんなことが言いたかったんじゃない……」
 低く、そう呟くのが聞こえた。
 顔を上げたナディルの、射抜くような視線がシーナの目を捉らえる。
「本当は、主(あるじ)のことなど考えちゃいない。俺はあんたを死なせたくなかった。王族だろうが関係ない。死ぬことしか考えていないあんたを見過ごせなかっただけだ」
 中途半端に腰を浮かせた状態で、彼女は動けずにいた。
「俺の仇はユマ・ソランドただ一人。王族全体への怨みは、魂が死んだ時に一緒に捨てている。だからこそあんたを助けた。――空の身体でも、生きていれば価値を作り出せる。死んだらそれでおしまいだ。あんたはこのまま終わらせるのか? 何もしないまま、逃げ出すのか」
 その問い掛けに、頭を殴られたような衝撃を感じた。
 彼の吐く息は血の臭いがする。シーナは彼から目をそらせないまま、そんなことを考える。
 きっとナディルは、ずっとこの臭気の中で生きてきたのだ。
(では、わたしは――?)
 死を願うのは逃げなのか。
「……わたしに、何が出来る?」
 舌がもつれて、思うように言葉が出てこない。
 たった独りで、何が出来るのだろう。何の力も持っていないこの身体一つで。
「それは、終わりが来るまで分からない」
 命が尽きるその瞬間まで、可能性は消えない。戦い続けろ。彼はそう言いたいのだろうか。
「地を這って苦しめということか?」
「楽になるために死を選ぶのか」
 問いが跳ね返ってくる。
 楽になりたいから? そうではない――。
「違う。王家の者として、恥を晒せないからだ」
 彼女の答えに、ナディルの目付きが鋭さを増す。腕を掴む彼の手に力がこもる。
「何のために守られてきたのか、もう一度よく考えろ。命を懸けてまであんたに生きて欲しいと願った者たちの存在を無下にできるのか」
 
 ――王妃であった母は、シーナに逃げて生き延びろと言った。フェルロン王家の血を絶えさせてはならぬ、と。
 しかし血を絶えさせないということが実際に何の役に立つのか、彼女には分からない。まさかこの血一つで王国が白日の元に蘇るわけでもあるまい。
 母は独り遺される娘に、何を望んで逝ったのだろう。
 その真意を尋ねることは叶わなかった。フェルロン王国が滅んだあの日、母は追従を許さぬ厳しい顔をしていたし、第一悠長に話し込んでいる余裕など全くなかったのである。
 それでも、そうだ。
(わたしは母上を危めるところだった)
 自ら死を選ぶことは、母を殺すことなのだ。
 一滴の涙も弱さも見せなかった、誇り高いあの人の望みを最後まで守り通せる者は、シーナ一人しかいないのだから。
 全身から力が抜けて、そのまま腰を落とす。
「真性の阿呆だな、わたしは」
 なぜ、こんな簡単なことに気付けなかったのか。
 何かがざわざわと胸の奥から沸き立つような感覚があった。
 死ねない。まだ死ねない。
 彼女は足を揃えて座り直し、ナディルと正面から向き合った。
「お前は、何を望む? このわたしに」
 生きて、その先にあるものとは何か。
 視線と視線がぶつかる。
 痛いような沈黙の中、しかしここで怯めば瓦解するのは己自身だと彼女は悟っていた。


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