この男は本当に面白い、と思う。 「何をにやついてるんだ」 訝しげに問われて、レイドは声をたてて笑い出した。 「あなたが立ち直ってくれて嬉しいんですよ!」 「さすが坊ちゃん、悪知恵が……いてっ」 横でぼそぼそと呟いたタムドの太ももを、思い切りつねり上げる。 余計なことは言うもんじゃないよ――。 笑顔のまま、目で脅しをかける。タムドはいかつい顔と身体に似合わず、しゅんとうなだれた。 「すみません、レイド様」 保身と出世のために王女を利用する。そんな風に言えば、イーグルは同意するどころか怒って暴れ出すに違いない。ものは言いようだ。お仕えすべきは王女様だけ――忠誠心に篤い、いや篤すぎるイーグルを動かすには、これで充分だった。 長年レイドの側にいたタムドには、レイドの考えが手に取るように分かったのだろう。 「レイド、こちらの御仁は? 確か、同じ部隊で見かけた気がするが……」 イーグルがレイドとタムドを見比べている。タムドとは班が違っていたために二人はほとんど接触していないが、イーグルは間諜だっただけあって物覚えが良い。 「タムドと言って、僕の用心棒です。まぁ、じいやみたいなものですけど」 軍に入ることが決まったとき、一人では絶対に行かせられないと家族から大反対され、タムドはわざわざ志願してついてきたのだ。年齢制限はぎりぎりだったが、傭兵出身のタムドは実際、レイドよりはるかに強い。 レイドがイーグルについて帝国軍を抜け出してからも、一定の距離を保ちながらずっとついてきていた。今回は緊急事態ということで飛び出してきたのだろう。 イーグルはいきなり、タムドに向かって深々と頭を下げた。 「大切な御主人に怪我をさせてしまいました。申し訳ない」 「やや、やめてください! 立派な騎士さまが、わしなんぞに頭を下げるもんじゃねぇです」 「そうですよ。だいたい、なんで僕には謝罪の一言もないんですか。殺されかけたのに」 イーグルはレイドに向き直ると、嫌そうに顔をしかめる。 「お前、わざと俺を怒らせただろう。だから余計に腹が立った」 「おや、分かっていたんですか」 「……あまり馬鹿にするなよ?」 「怒れば元気になると思ったんですよ。こんなところで終わりにしたら、つまらないでしょう? 僕はもっと、あなたを見ていたいんです」 王国は既に滅ぼされたと言うのに王家への忠誠を失わないとは、まったくおかしな男だと思う。それとも、騎士とは皆そういう生き物なのだろうか? 現実的に考えれば、他国に寝返るなり他に生計を立てる術を見つけるなりした方が、よほど賢明というものだ。あえて苦難の道を選ぶ理由が分からない。分からないからこそ、興味が尽きない。 こんなにわくわくするのは久しぶりだ。 「おかしな奴だな。なんで俺についてくる? 言っておくが、俺に見返りを期待しても無駄だぞ」 レイドは笑った。イーグルはイーグルで、彼のことが理解できないでいるらしい。 「何も期待してませんよ。僕はただ、退屈がこの世で一番嫌いなんです」 好奇心の赴くままに生きる。それが彼の望みだ。 レイドの両親は裕福な商人で、八人いる兄弟の末っ子だったレイドは、家族からも使用人からも可愛がられて育った。彼らは国籍も土地も持たず、国から国へと渡り歩きながら商売をする。レイド自身が覚えている一番古い風景といえば、荷台の後ろから見た長く続く商隊の列と、その向こうの地平線である。 ソランド帝国に定住するようになったのは、レイドが十四才の時である。その頃、帝国は外からの移民を歓迎し、好待遇で招き入れていた。それが度重なる戦争での人員不足を補うためであることは、誰の目にも明らかだった。 それでも尚、老齢になり病気がちの父は安住の地を求めていたのだと、レイドは思う。長男に商売を譲り、妻と未婚の娘たち、そしてレイドとわずかな使用人だけを連れて、帝国の首都に居を構えた。だがその代償として、二年後にはレイド宛てに召集令状が来た――というわけだ。 家中から猛反対をくらったが、その意に反して、レイドはそのまま兵士になった。帝国への忠誠心など、はなっからなかった。それ以前に、自分が帝国の民だと思ったことすらない。 ただ、飽いていたのだ。毎日同じ場所で眠り、同じ町並みを眺めることに。 この男は、きっと自分を楽しませてくれる。レイドにはそんな予感があった。 「あなたはきっと王女を見つけ出す。僕と一緒に」 「なんだ、それは」 「ただの勘ですよ」 波紋が広がるようにひざまずく群衆。人々の希望と熱狂が渦巻く中で屹然と立つ、若き女王。そのすぐ背後に控えるイーグルの、輝く銀色の髪――。 (それを一番近くで見るのは僕だ) 素晴らしい結末だと、彼は己の想像力に満足した。 「と、言うわけなので。タムド、どうします? まだ僕についてきますか?」 「あ、当たり前です! つまらんことを聞かんでくださいっ」 タムドへ視線を向けると、彼は身を乗り出す。鼻息が荒い。 「あぁ、そうだ。実家に遣いを送らなければなりませんねぇ。脱走兵だから家にまでお咎めがいくかもしれません。誰かが伝えないと」 「では人を雇いますか」 「それは駄目ですよ。僕らは追われてる身なんですから、ちゃんと信用の於ける者でないと。ね、タムド」 にこりと笑いかける。タムドは文字通り青くなった。 「わ、わしは駄目です! 坊ちゃんのお側を離れるわけには……」 「僕が行方不明になったら、父さんは卒倒するだろうなぁ。あまり心配かけたくないんですよ。タムドは、父さんが僕の安否も分からないまま不安な日々を過ごすことになってもいいんですか?」 「そりゃあ、良くはない、ですけど……」 段々と勢いがなくなってうなだれていくタムドの肩に、レイドは真面目な顔をして手を置いた。 「ではお願いします。あなたにしか出来ない、重要な役目ですよ」 「レイド様……」 イーグルが呆れた顔で彼らを見ているが、それはあえて気付かない振りをする。 「そんなに心配なら、すぐ戻ってくればいいだけの話です。僕たちは、ちょっと先に行っていますからね」 タムドは困り果てた顔をしていた。 ソランド帝国の実家までは、馬を飛ばしたとしても半月はかかる。往復すれば一ヶ月以上の長旅だ。 だが、彼が迷っていたのはほんの少しの間だった。すぐに意を決したように立ち上がる。 「分かりました。わしは急いで旦那さまの所へ帰って、真っ直ぐ戻って参ります。その間、くれぐれも危ない真似はせんでくださいよ?」 そう言ってそのまま立ち去ろうとするものだから、レイドは笑って彼を引き止めた。 「まぁちょっとお待ちなさいよ。いくらなんでも、夜道は危険です。今夜はここで休んで、明日の朝一緒に出発しませんか?」 「いえ、こうなったら少しでも早い方が」 本気でそう考えているらしいタムドに、レイドは優しい眼差しを向ける。この、父親よりも年上のじいやが心底愛おしかった。 「タムド、僕は家族と同じくらい、あなたのことも大事に思ってるんですよ? いくら身体が丈夫だからって、年を考えてくださいね。なるべく長く側にいて欲しいんですから、無茶は許しません」 「坊ちゃん……っ。わしなんぞにそんな、勿体ねぇ」 眉尻が情けなく下がり、今にも泣き出しそうなタムド。これだけ人の善い元傭兵というのも、なかなか珍しい。 レイドは、ぱん、と一つ手を叩いてその場の空気を切り換えた。 「さ、そうと決まったら、今夜は早いとこご飯を食べて寝てしまいましょう」 タムドを促し、若干焦げ付いてしまった魚にかぶりつく。 「悪魔のような奴だな」 タムドとの会話に一度も口を挟まず、黙々と焼き魚に食いついていたイーグルが低く呟く。 レイドはそれを、笑って聞き流した。
|
|