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作品名:暁香の王 作者:さち子

第10回   二章(1)


「イーグル……。お前、生きていたのか」
「お久しぶりです、伯父上様。ご無事で何よりです」
 蒼ざめた顔で立っている初老の男の前で、イーグルは深々と頭を下げた。
 首都バノヴェでの逃亡劇から数日後、イーグルとレイドは東へ河沿いに移動し、小さな村落に辿り着いていた。ソランド帝国との戦で生き残った騎士たちがこの地方に逃げ延びているとの噂を、どこからか聞き込んできたのはレイドである。その中にはイーグルの父方の伯父もいた。
 突然尋ねてきた二人を、伯父は無言で集落の外れにある林の中に導き、そこで初めて口を開いたのである。伯父は軍人と分からぬように、他の農民と同じような野良着を着ていた。
「何故、ここに?」
 そう問うた伯父の顔は幾分強張っているように見えた。そのことに微かな違和感を抱きながらも、しかしイーグルは穏やかに笑む。
 この伯父の消息がすぐに突き止められたのは幸運だった。嫡子であった伯父が本家を継いでイーグルの父は分家したため、家格は伯父の方が数段上で、二つの家の間には親戚といえど上司と部下としての歴然とした壁がある。伯父は長年国王の側近くに仕えた有能な騎士で、人望もあった。国内あるいは国外にまで散ってしまったフェルロン王国軍の残党を集め、ソランド帝国に逆襲を謀るには伯父に陣頭に立ってもらうのが得策だとイーグルは考えていた。未だ行方不明である王女の捜索にしても、大勢で組織的に行った方が効率的というものだ。
「帝国軍に捕まって危うく処刑されるところを、この男に救われました。生き延びた以上は、この命が続く限り我が王国のために戦い抜く所存――」
 そこまで言いかけて、イーグルは息を呑んだ。伯父のふところできらめいたものを目にし、咄嗟に後ろへ飛び退る。
 ひゅっと短剣が空を切った。体勢を整える隙を与えず、伯父はさらに二度三度とイーグルに斬りかかる。
「伯父上っ……」
「よくものこのこと現れたものだ。貴様の目的は私の首か? 売国奴め」
「なっ……売国奴!?」
 その言葉に衝撃を受け、彼はたたらを踏む。容赦なく振り下ろされようとした短剣を止めたのは、両者の間に強引に割って入ったレイドの剣の柄である。その陰からレイドは真っ直ぐに、怒りに燃えた男の目を見返した。
「お待ちを。訳も分からず攻撃されたのではこちらとて納得がいきません。まずは落ち着いて話をしませんか、メノー将軍」
「今さら何を話すことがある。貴様もイーグルの仲間か? ならば容赦はせんぞ」
「僕はただの傭兵です。彼の味方には違いありませんがね」
 レイドは微かに唇の端を上げて微笑んだ。二対一では分が悪いと見たのか、将軍は一度後ろに下がって距離を取る。その間にイーグルも体勢を整え直した。
 針葉樹の林の中はじめじめとして薄暗い。鳥や獣の気配もなく静まりかえった空間に、どこかで薪を割る音だけが高く響いていた。
「伯父上……わたしが一体何をしたと言うのですか」
 悲痛な声でイーグルは問いかける。しかし伯父はじっと地面を睨んだままだ。
「わたしは今まで一度たりとも祖国に仇名すようなことはしていません。そんなこと、おぞましくて考えたこともありません。わたしは……」
「黙れ」
 噛み付くような声で伯父は彼の言葉を遮る。
「帰って父と兄にも伝えろ。今後一切、メノー家の姓を名乗ることは許さん。貴様ら親子は我が一族の汚点だとな」
「そんなっ、父や兄が何をしたと言うのですか!?」
 何か恐ろしい誤解が知らぬ間に浸透している。伝えろと言われても、家族の消息を知りたいのはむしろ彼の方なのだ。伯父がなぜわざわざ集落の中を避けて人気のない林まで自分を連れてきたのか。農民と同じものを着ていながら、なぜ短剣をふところに忍ばせていたのか。その理由を考えながら、彼は顔から血の気が引いていくのを感じていた。
 そう、全くの誤解に違いないのだ。彼自身には、何の身に覚えもないのだから。
「貴様らがソランドと内通していたことは周知の事実だ。間諜だった筈の貴様が無事に帰ってくることが何よりの証拠だ」
「内通だなんて、そんな」
 確かにまだ命があるのは奇跡的なことだったが、彼とて必死の思いで生き延びてきたのだ。どうしようもない悔しさが込み上げてきて、イーグルは唇をきつく噛み締める。握った拳が震えるばかりで、言葉が出てこなかった。
 何とか弁明しなければと思う。だが、無実を証明してくれる証拠がどこにあるというのだろう。
「早々に立ち去れ。国中の者から追われてなぶり殺しにされる前にな。ここはもう貴様の祖国ではない」
 言葉の一つ一つが、鉄の矢じりになって彼の身体を貫いていった。足が棒になったように動かない。
「……行きましょう、イーグル」
 レイドがやんわり彼の腕をつかんで促す。イーグルの身体は、風に吹かれたようにゆらりとそれに従った。一歩また一歩と足を引きずるようにして歩き、その場から遠ざかっていく。
 林を抜け、集落が完全に見えなくなるまで、二人は一言も口をきかなかった。




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