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作品名: 作者:syuru

第2回   アルバイト始める
 一枚は手書きの書面で森中さんの挨拶と条件に見合った会社が見つかりましたのでご検討願いますと言う内容で、もう一枚はその会社の求人票だった。
 従業員五十人、資本金一億円、年商五十億円、年収四百五十万〜五百万、年間休日百五日、組合なし。
「申し込むだけ申し込んどいたら」
「うーん、この程度の会社じゃなあ・・」
「やっぱりその程度の会社しかないんやて」
「アホか。
 もう一人の担当の人は俺くらいの経歴やったらなんぼでもええとこあるわって言うてたわ」
「お世辞やんか。
 向こうからしたらあんたは一応お客さんやねんから。
 お客さんに向かって、あんたこれやったらどこも決まりませんわって言わへんやろ。」
 
 次の日、また森中さんからファックスが来た。
 辞めた会社で昔担当していた、町の小さな問屋だった。
「ええん違うの。
 社員の人も知ってる人ばっかりやし、どんな仕事してんのかもわかってんねんから」
「下手に知ってるから嫌やねん。
 まあ、社長で迎えてくれるんやったら考えてもええけどな」
 森中さんに断わりの返事を入れようかどうか迷ったが、向こうから何か言ってくるまで待とうと思い、辞めた。
 結局、この日以降、潟Pプトンからは一切連絡が来なくなった。

          5
「なんかメールが来てるぞ」
 父の電話に、ちょうど昼御飯の時間で一人で行くのがバツが悪かったので娘を自転車に乗せ、実家に飛んで行った。
「なんか、スカウトが来ました、て書いてあるで」
 あわててパソコンの電源を入れ電子メールを開いた。
「あなた様のご経歴を拝読し・・・・」
 外資系の損害保険会社からだった。
「何や、保険の勧誘員か。
 何が、五百人の中から三十人だけに声を掛けさせてもらいましたや、片っ端から声を掛けてるくせに」
「そんな贅沢ばっかりもう言うてられへんやろ」
 娘に目を細めながら、父が、声だけを掛けてきた。
「これだけはあかんわ。
 俺の同期も何年か前に会社を辞めて、同じ様な会社に入ったけど、結局は、同期の俺らに保険入ってくれ言うて頭下げて回ってたからな。
 あんなカッコ悪いことだけはしたくないわ。
 あんなんするんやったら、家族みんなで飢え死にしたほうがましや」
「こんなかわいい子、飢え死にさせるんか」
 父は娘の頭を撫でながら部屋から出ていき、代わりに母が入ってきた。
「なかなかうまくいかへんのん?」
「うん。
 ひょっとしたら、もう、歳かもしれへんなあ」
「せやけど、あんた、K大学出て、あっちこっちいろんな会社辞めたんとちゃう、一つの会社でずっと働いてきて、何も悪いことして辞めたわけやない、自分からいろいろ考えて辞めたんやから大丈夫なんちゃうの?」
「俺もそう考えとったんや。
 せやけど、世間はどうもそうやないみたいやわ」
 俺は会社を辞めて初めて、弱音を吐いた。
「そら雇うほうから考えてみたら、同じ一から教えるんやったら、まだ頭の柔らかい、人件費の少しでも安い人間雇うわな。
 自分では、三十八言うたらまだまだ若い思てたけど、新たに就職しようと思ったら、もうリミットを超えてるかもしれんわ」
 この、母に言った言葉が、やがて、現実であることを思い知らされることになった。
 人材派遣業では日本のトップクラスを誇り、毎年行なわれるマラソン大会のメインスポンサーを務め、選手のゼッケンの上に社名を大きく刻むその一部上場の会社は、梅田のど真中の高層ビルの中にあった。
 エレベーターを降り、受付へ行くと、会社を辞めて半年足らずで7kgも太ってぴちぴちになったスーツの上着のボタンが、胸の高なりで弾け飛びそうなくらい綺麗な受付嬢が「お待ちしておりました」と言って、小さく区切られたブースに通してくれた。
 すぐに古田と言う、三十歳前後の男性がやってきて、丸いテーブルを挟んだ向かいに腰を下ろした。
 名刺には“キャリアアドバイザー”と書かれていた。
「山田さん、退職されたのが二月の末で、半年が経過しておりますが、どのような就職活動を行なってこられましたか?」
「ええ、実は、まあ、コネ言うたらおかしいんですけど、ある方に紹介をお願いをしておったんですけど、どうも当初思っていた通りに話が進まなくてですね、二カ月前くらいから自分でも動くようになったんです」
「これまで何社ほどお受けになりましたか?」
「一社です」
「一社?」
「はい」
「それは何でお調べになって?」
「ハローワークです。」
「良ければ、どちらで?」
「大輝セミナー言う、弁護士だとか会計士を目指す人が通う予備校みたいなとこですわ」
「存じています。
 そちらは営業で?」
「はい。
 最終面接までいったんですけど、煙草吸うから言うて落とされました。訳のわからん会社ですわ」
 古田は俺の言うことを無視して続けた。
「今お受けになっている会社は?」
「ないです」
「そうですか」と言って、古田は腕を組み、手元の資料を見ながらうんうんと首を振った。
「山田さん、こんなことを言っては何なんですけど、お考えを変えていただかないと、少し厳しいかも知れませんね」
 古田の言う意味が良く分からなかった。
「山田さん、転職を希望している二十代の男性が内定をもらうまでに受ける会社の平均数をご存じですか?」
「(そんなもん知るか)いえ」
「十四社なんです。
 それにこういっては何ですけど、山田さんは、今、三十八歳ですよね。」
「(それがどしてん?)ええ」
「全ての求人のうち95%が、三十五歳以下の方を対象としているんです。と言うことは、残りの5%から山田さんは仕事を見つけなければいけないんです。」
「(おまえ、俺の経歴書見たんか? その辺の失業者とは訳が違うんやぞ)そうなんですか」
「ですから、言葉は悪いですけど、下手な鉄砲じゃないですけど、どんどん応募していかないと・・・途中で気に入らないのなら断ってもいいんですよ、面接に行って話を聞くだけでも何かの足しになると思いますので、とにかくたくさん応募するようにしてください。 ちょっと、ご条件に見合った会社を検索してきますのでしばらくお待ちください」
 言い残すと、古田は慌てるようにして去っていった。
「味噌もクソもいっしょにするなよ。
 俺は、その辺で物乞いするようにして会社探してる人間とは訳が違んや」
 吐き捨てるように一人ごち、全面ガラス張りの向こうに見えるスモッグで煙る大阪の街並を見下ろした。
「一度見てください」
 息を切らして戻ってきた古田は紙の束を俺に渡した。
「なかなか消費財系のメーカー営業と言うのは求人自体少ないんですよ。あまり固執しないで、“営業”と言う括りでお捜しになったほうがいいと思います」
 さすがに、飛び込み営業の歩合制の仕事や保険の勧誘員といったものはなかったが、おっ、と目を見張るようなものもなかった。
「如何ですか?」
「うーん、まあ、一回帰ってからよう検討しますわ」
「お受けになろうと思う会社がありましたらご連絡ください。お待ちしておりますので」

「古田さん」
 俺は古田に声をかけた。
「はい?」
 急に声を掛けられて、古田は少し驚いた表情をした。
「古田さんのお仕事ありますよね、このキャリアアドバイザーっていうの、こういうのはどうですかね?」
 実際に、パソコンを使った会社検索で、よくこういった人材派遣業を目にした。大卒以上、四十歳くらいまで、未経験者歓迎と言った文字が踊っていた。
「営業経験が長いですから、こうやって初対面の人間と話すのも苦ではないですし、実際に転職を経験しているわけですから、その人の気持ちになって話ができると思うんですよ」
「うんー、難しいと思うんですけどねえ」
「(おまえ、嘘でもええから、いいんじゃないですかと言えんのか)条件も合ってると思うんですけどね」
「退職してからの期間が長引けば長引くほど条件が悪くなりますから、まあ、どうしてもとおっしゃるんでしたら一度お受けになられてもいいかと・・・」
「(何やその言い方はっ! 受けても通らんて言うんか? おまえよりもっと俺ははきはきと明るく喋れるし、相談に来た人に希望を持たせて帰らせてあげれるぞ。よしっ、内定取っておまえの鼻明かしたろやないか。どうせつまらん私立の大学出て、面接で心にも思てないこと言うて媚び諂ってなんとかこの会社に潜り込んだんやろが。おまえとレベルの違うとこ見せつけたろっ!)わかりました、色々と有り難うございました」
 席を立つと頭も下げずにブースを出、受付嬢の顔をもう一度だけ覗くと、エレベーターに乗ってビルを下りた。
 翌日、朝から実家へ行きパソコンの前にかじりついて、全部で七社の人材派遣会社に応募した。
 中には、資本金一千万、年商十億、従業員数十二名と言う会社があって、何でこの俺がこんな会社を、と思ったが古田の鼻をとにかく明かしたかったので、迷った挙げ句“応募する”をクリックした。
 
 ところが、七社全ての会社が不採用となった。
 それも全てが面接にも進めず、書類選考で落ちたものだった。
 もちろんその中には、資本金一千万、年商十億、従業員数十二名の会社も含まれていた。
 あとでわかったことが、未経験者歓迎というのは、二十代の若い未経験者、を言うのであって、四十歳くらいまで、と言うのは、経験のある四十歳、のことを言うのであった。
「やっぱりプロの人が言うことは正しいやんか。
 言う通り、業種は選ばんと、下手な鉄砲数撃ったら」
 妻が野菜炒めの入った皿をテーブルに置きながら言った。

          6
 娘の夏休みも終わり、残暑の厳しさがやっと過ぎ去りかけた九月の終わりになっても、俺は家でぶらぶらしていた。
 就職活動は、雇用保険を貰うためにハローワークでのパソコンを使った求人検索に二回行っただけで、それ以外は何もしていなかった。
 何かしなければいけないと思うのだが、どこかで、傷つけられたプライドが更に傷つけられるのを恐がっているのか、どうしても腰が重くなった。
 朝刊を読みながらいつもの苦いコーヒーを飲んでいると妻が出かける準備をし始めた。
「どこ行くねん?」
「ハローワーク」
 手鏡を手に、目をパチクリさせながら妻が言った。
「ハローワーク?
 何しに行くねん?」
「パート捜しに行くねん。
 前から働きたいと思っててんけど、いい機会やから。」
「なんや、嫌みか?」
「半分な」
「チビは大丈夫なんか?」
「午前中だけのやつ捜してくるから」
「そうか」
「ちょっと、帰りに買い物行ってくるから昼御飯は勝手に食べといてな。カップラーメンやったら台所の棚の一番下にいっぱい入ってるから」
「おう・・・・すまんのう」

 カップラーメンを食べながら昼のワイドショーを見る。
 月曜から金曜までの日替わりで出てくるレギュラー人のタレントの名前を全部覚えてしまった。
 さっきまで見ていた、アメリカ大リーグの松井が所属するヤンキースの打順もすべて覚えてしまった。
 一カ月はあっと言う間に過ぎていくが、一日は長かった。
 妻が晩酌用に買った缶ビールを冷蔵庫から取ってくるとプルトップを開けた。
 外で飲む機会がめっきり減った、と言うか、ガード下の安酒を飲む以外はゼロだった。
 財布の中には小銭しか入っていない。
 妻に小遣をくれとはもう言えなかった。
 貯金の残高を言われるのがオチだった。
 テーブルの上に置いてある朝刊のテレビ欄の下に、消費者金融の広告が載っている。
 最近市民権を得た“グラビア”と言う職業の女の子の口から吹き出しが出て、その中に、お気軽にご相談ください、といった文字が納まっている。
「頼むからサラ金だけは行かんといてな。
 お金なくなったら言うんやで」
 会社を辞めてから、母は俺の顔を見る度に言った。
 
 駅前に自転車を止めると、店の前を三回往復した。
 トレーナーの下のシャツに汗が滲んでいるのがわかる。
 通りを歩いている人の視線全てを感じた。
 四回目に前を通ったとき、風に吹かれるようにして店に入った。
“自動契約コーナー”と書かれた扉を押す。
 液晶画面の指示に従い、画面横のスキャナーの上に免許証を置きカバーを下ろすとまぶしい光を発して俺のデータを読み取った。
“備え付けの用紙に必要事項をご記入の上、液晶画面の上に裏向きにお置きください”
 液晶画面が喋る。
 途中、職業を記入する欄があったが、自営業、と記入し、社名は(有)ヤマダ、電話番号は自宅と同じ数字を、月収は三十万と記入した。
 液晶画面に用紙を置く。
 スキャナーがゆっくりと下りてきて用紙をなぞった。
 しばらくすると壁に備え付けてある電話が鳴った。
「ご利用有り難うございます。
 何点かご質問したい点がございますが、お時間のほうは大丈夫でしょうか?」
「大丈夫です」
「ありがとうございます。
 早速ですが、山田様、本籍地はどちらになりますでしょうか?」
「大阪です」
「ありがとうございます。
 で、ご自宅は、こちらはマンションでよろしいんでしょうか?」
「そうです」
「ありがとうございます。
 分譲でしょうか、それとも賃貸でしょうか?」
「分譲です」
「ありがとうございます。
 お差し支えなければ月々のご返済額をお教え頂けないでしょうか?」
「毎月だいたい八万円くらい。ボーナスで約三十万返してます」
「ありがとうございます。
 あと、お仕事のほうなんですけど、自営業とのことですが、簡単にどのようなご商売をされているのか教えていただけますか?」
「樹脂関係の二次流通って言うか、ブローカーって言うか、町の問屋さんとか小さい商社さんと、最終のユーザーさんとの間に入って利ザヤを稼ぐ、まあ、伝票だけの商売で、物も造ってませんし、もちろん在庫も持っていません。
 今年の三月に十四年間勤めていた会社を同僚と一緒に退職して始めた商売なんですけど、まだまだ軌道に乗らなくて生活費がちょっと足りないもんで・・」
「ありがとうございます。
 なお、今後、毎月のご利用残高ですとか色々なお知らせのDMをご自宅に送らせて頂きたいと思っているのですが?」
「いえ、それは結構です」
「承知いたしました。
 もし緊急なご用件がありました場合、ご連絡はご自宅にさせて頂いてよろしいでしょうか?」
「いえ、携帯のほうにお願いします」
「かしこまりました。
 それと、大変不躾な質問なんですが、ご近所にお身内の方はお住まいでしょうか? 決して確認を取るようなことは致しませんので」
「父親が住んでいます」
「お名前を頂戴頂けますでしょうか?」
「宏です」
「ありがとうございます。
 それでは、最後になりますが、山田様、ご本人の確認をさせていただきます。
 干支と星座は何になりますでしょうか?」
「羊年のお羊座です」

 コンビニのCD機は、いとも簡単に一万円札十枚を吐き出した。
 自己破産者が年々増えていくのも無理はないなと思いながら、借りた金なのに何か得したような気分になって、コンビニの向かいのパチンコ屋へ意気揚々として入っていった。
 二時間で三枚の一万円札が無くなった。
 店の前から辞めた会社の元部下の携帯に電話を入れる。
「ああ、どうもご無沙汰してます。
 お元気ですか?」
 電話でそう言った元部下は、待ち合わせの場所で顔を見るなり「太りましたねえ」と第一声を上げた。
 競馬で万馬券を当てたと嘘を言って、寿司屋に入り、カウンターで腹いっぱい飲み食いした後、久しぶりにキャバクラへ行った。
 トレーナーにGパン姿の俺と、スーツ姿の元部下の組み合わせに、横に座る女の子が変わる度に「どういう関係なんですか・・・」と聞かれ、いちいち説明するのに疲れたが、二時間たっぷりと楽しみ、勘定を全て持った。
 恐縮がる元部下に「おまえ達が働いてくれてるから俺が雇用保険をもらえるんだっ」と通りを歩く人の注目を浴びるほど大きな声で叫び、前を通りがかったタクシーを止めると「無理言うて悪かったな」と一万円札を握らせ、車を走らせた。
 財布を開けると一万円札はなく、五千円札と千円札が仲良く肩を寄せあっていた。

 結局、最後の失業認定日の十月の二週目の月曜日までに消費者金融からの借り入れは三十万を超えた。
 急に羽振りの良くなった俺を妻はまったく疑わず、一度聞かれたときは、辞めた会社の労組の積立金が満期になって返ってきたんだと嘘をついた。
「今日多分残業やと思うからあの子帰ってくるまで家におったってな。
 月曜日で四時間授業やから二時までには帰ってくるから」
 ハローワークの帰りにパチンコに行こうと目論んでいた俺は、「えっ」と意外そうな声を出した。
「それくらいええやんか」
 珍しく不機嫌そうに言った妻の髪の生え際に白髪が目立ち始めていた。
「退職金ももうあんまり残ってないで。ボーナス月のローンも待ってんねんから、そろそろ本腰入れて仕事探すか、アルバイトにでもいってや」
 それだけ言うと妻は忙しそうに出ていった。

「この間ようさん申し込んでたんはどうなったんや」
 散歩に出かける父が、玄関から声だけを掛けてきた。
「あかん。
 全部アウトや。
 それも、書類選考で全部はねられた。」
「そうか。
 まあ、はよ決めて奥さん安心さしたりや」
 父が出ていくと、母がずっと待っていたかのようにやってきた。
「うまくいかへんのん?」
「うん。
 なかなか俺を必要としてくれるとこがないわ。
 まあ、それはそれで別にかまへんねんけどな」
「ほら」
 母が手で、マウスを握っている俺の右腕の肘を突いた。
「お父さんには内緒やで」
 母親の左手には封筒が握られていた。
「そんなんええて、まだ金もあるし」
「かまへんから、はよなおしとき。
 サラ金なんか行ってへんやろなあ?」
「大丈夫やって」

 検索された二十社の中から、本社が福井県にあるカニ加工品販売会社、三年前に一度倒産し、外資系の銀行に助けてもらって復活したスポーツ用具メーカー、テレビでコマーシャルをよく見かける介護業界で日本NO1の会社、一部上場のベアリングメーカーの100%出資子会社、大手スーパー専門の食品品質管理会社、メーカーの現業部門にブラジル人を派遣する派遣会社、飛び込み営業はまったくないとうたった会員制のリフォーム会社、に応募した。

 家に戻ると、妻がしかめっ面をしながら肩に湿布を貼っていた。
「おう、ご苦労さん。
 どしたんや、肩こったんか?」
「一日中パソコンの前に座ってデータ入力してたから、もう痛くて痛くて。
 あの子は?」
「友達のとこへ遊びに行ったよ」
「あんたは?」
「パチンコ打ちに行ってたんや、って嘘や。
 あんたが働いてくれてんのにそんなことしてたら罰当たるわ。
 同じ“うつ”でも、下手な鉄砲撃ちに行ってたんや。」
 妻は、はあ!?、と言う顔をした。
「おやじんとこ行ってパソコン叩いてきたんや。
 営業と言う名の付くやつに全部応募してきたわ。
 これであかんかったら、ほんまタクの運ちゃんでもするわ。K大学出のタクシー運転手言うてドキュメンタリーでどっかのテレビ局が追っかけてくれるかもしれんわ」
「あんたには無理やわ。
 色んな客がおんねんで。
 特に夜になったらほとんどが酔っ払いやで。そんな人らになんか文句でも言われたら、あんたのことやから“この俺様に向かって何を吐かしてるんや”言うてすぐに喧嘩するに決まってるやんか」
「アホか。
 こう見えても俺は結構サービス業に向いてんねんぞ。
 愛想もええし、第一お客さんに向かって「ありがとうございました」て言うのが好きやから。学生の時でも、時給のええ塾の先生や家庭教師のアルバイトなんかK大学やからいくらでもあってんけど、あえてサービス業のバイトばっかりやっててんから」
「アルバイトと正社員はまた違うって。
 それより、もしうまくいって、その申し込んだ会社に内定もらうとなったらどれくらいかかんのん?」
「そら、書類選考に一週間から二週間、一次面接があって最終面接があってなんやかんやで一ヶ月くらいはかかるやろな」
「その間何すんのん?」
「そやな、昼まで寝て、起きたらパチンコ行って、勝ったらそのまま飲みに行って、負けたら家でヤケ酒飲んで・・」
「アホか、何言うてんのん!」
「冗談やって。
 そんなムキんなるなよ。
 ちゃんとアルバイトにでも行こうと思てんねんけど、どんなとこ行こかなと思ってな。
 この歳になって、肉体労働はもう無理やし、会社の内定が取れるまでの間だけ働かせてください、内定取れたらすぐに辞めますので、ていうワガママ聞いてくれるとこなんかないやろ」
「短期のやつ行ったらええねん。
 一日だけとか一週間だけとかっていうのがあるから」
「そんな都合のいいやつあるか?」
「ちょっと私の鞄取って」
 確か三年くらい前の誕生日に買ってやったかなり疲れた一応ブランド品の手提げ鞄を渡すと、妻は中から筒のように丸めた薄い冊子を取りだし俺に渡した。
「その中にいっぱい載ってるわ。
“短期”のページ開けてみい」
 言われた通りそのページを開けてみると『短期歓迎、一日から可』と言う言葉がたくさん踊っていた。
「今は昔みたいに働く所に直接申し込むんやないねん。
 仕事を紹介してくれる派遣業者にいったん登録して、そこから色んな仕事を紹介してもらうねん」
「正社員になるのもアルバイト見つけんのもシステムは同じやねんなあ」
「業者は紹介した会社から紹介料を貰えるし、働く人らも一回働いてみてイヤやったらまた別の仕事紹介してもらえるし、良かったらそのまま続けたらええし、どっちにとっても利点があるんよ」
「世の中変わってんなあ。
 それより、なんでおまえそんなん持ってんねん」
「スーパーの前に置いてあったん取ってきてん」
「ただなんか?」
「そうやで」
「えっ!?
 俺ら学生の時確か百円したはずやで。よう買うたがな」
「スーパーの前とか、自動販売機の横とかに置いてあんねん。百円取って本屋にしか置かれへんより、ただにして色んな人の集まる所に置かしてもらったほうがいいんちゃうの」
「そうか・・・で、おまえ、まだ別のとこで働くんか? あんまり無理すんなよ」
「違うよ。
 今のとこもええねんけど、パソコンも私らん時よりようなってんのか知らんけど、データ入力する前に操作で覚えなあかんことが多くてな。
 もうちょっと単純な、お弁当の盛り付けとかみたいな仕事探そうと思て」
「そうなんか。
 やっぱり、俺ら、もう歳なんやで」

 その事務所は、天王寺駅から歩いて十分ほどの雑居ビルの中にあった。
 化粧っ気のない二十歳くらいの国公立大学生風の女の子が二人、男は、二人のうち一人は学生でもないが社会人でもないフリーター風と、もう一人は、自分より少し若い、コンビニの店長といった感じの男、の四人が説明会に来ていた。
 五人は、仕事の予約から給料を受け取るまでの一連の流れを分かり易く説明したビデオを見せられた後、登録書を渡され、早く書けたものからカウンターで待っているまだ二十歳になってないんじゃないのかと思われる髪の茶色い女の子のところへ行った。
「今のビデオで何かご質問はございませんか?」
 仕事は、働きたい日の二日前に電話で予約を入れる。一回で二週間分の予約を入れることができる。
 ところが、ここからが面倒臭く、仕事の前日に、間違いなく明日行きますと確認の“前日コール”を入れ、仕事の当日、朝、家を出る前に“出発コール”集合場所に着くと“到着コール”そして仕事が終わると“終了コール”を入れなければいけない。
 携帯電話から事務所の電話に掛けるので電話代も馬鹿にならず、おまけに、勤務地までの交通費が日給七千二百円の中に含まれていて、更に、日払いを希望する場合は、給与は勤務地で貰えず、わざわざ交通費をかけ天王寺のこの事務所まで取りに来なければいけないどころか、一勤務につき“データ処理手数料”と称して二百円取られてしまう。
 時給九百円があっと言うまに八百円になってしまう。
 こんなこと一言も求人雑誌に書いてなかったやないか、と文句を言おうと思ったが、いい歳をしてこんなとこへ来ていざこざを起こし、更に惨めな気持ちになりたくなかったので、やめた。
「とくにないです」
「それでは、先にスタッフカードをお渡ししておきます」
 入ってきたときに真っ先に渡した免許証用の証明写真を貼り付けた、レンタルビデオ屋のメンバーズカードのようなものを渡された。
「今お仕事は?」
「今年の二月に十四年勤めた会社を辞めまして、今就職活動中です。
 次の会社が決まるまでの間の繋ぎ言うたら怒られるんですけど・・・」
「いえいえ、では、ほかにアルバイトかなにかは?」
「やってないです」
「わかりました。
 では、短期ということでよろしいですね?」
「はい」
「なにかご希望の仕事とかはありますか?」
「まあ、この歳なんで、あんまりハードな仕事は無理やと思うんで」
「そうですか、ではこういったのはどうですか?」

“到着コール”を掛け終え、地上に出ると、一目でこれから同じところで働く奴らだとわかる輩達が、会社へ向かうスーツ姿の人たちから、おまえら何の団体や?と言う目で見られながら屯していた。
 しばらく、辞めた会社の得意先が近くにあったので、知った人がいないか辺りを警戒していると、自転車に乗った、耳にピアスをしてキャップを斜めに被りずり落ちたジーンズから下着を覗かせている若い男の子がやってきて「こっちです」と小さな声を出し、みんなでだらだらとその後を付いていった。
 二つ目の信号を渡り左に折れると、その製本会社の建屋が姿を現した。
「本の検品とラベル貼りですから、そうきつい仕事ではないと思うんですけど」
 天王寺の事務所の女の子が言った言葉を思い出しながら、派遣されてきた会社ごとに置かれた用紙に名前を書くと、いったんその建屋から出、向かいにある二回りは大きい建屋に入っていった。
 五階にある更衣室まで階段で上り、少し息を切らせたまま薄い綿のジャンパーだけを脱いで、また階段で三階まで下りた。
“現場の主”といった六十くらいの鬼オコゼの様な顔をしたおやじが、回りを陣取った俺達をぐるりと見回し、一番恰幅のいい男の子を指差すと「おい、おまえこっちこい」とえらそうに言ってどこかへ連れていった。
「じゃあ、あんたらはこっち来て」
 おそらくは鬼オコゼの子分であろう三十くらいの、丸坊主頭に片方の耳にだけピアスをした男が俺達を手招きした。
 木製のパレットの上に山と積まれた高校受験のための参考書の束をほどき、赤のカバーと青のカバーとのものに分ける作業だった。
 一束は、B4の大きさで厚さ一センチくらいの参考書二十冊で構成されていた。
 少し重かったが、目の前の木製の机に降ろすと、PPバンドをカッターナイフで切って束をほどき、赤のカバーと青のカバーのものに分けて積んでいくだけの作業だった。
 はっ、と壁に掛けてある時計を見ると、作業開始から一時間が経過していた。
 これならなんとかやっていけるな、両肘に筋肉の張りを感じながらも俺はそう思った。
 昼休みになり、片道十分を掛けてコンビニでお握りとお茶を買い戻ってくる途中、ズボンのポケットにいれていた携帯電話が震えた。
 液晶の画面に映った番号は天王寺の事務所からだった。
「山田さんですか?」
「はい」
「お仕事大丈夫ですか?」
「あっ、ありがとうございます。
 なんとかやれてますんで。」
「そうですか。
 じゃあ、またお昼から頑張ってください」
 電話を切ろうとした女の子を俺は止めた。
「明日まで予約入れてあるんですけど、あと木曜と金曜も入れてもらえます?」
「わかりました。
 予約状況を見ますのでしばらくお待ちいただけますか」
 しばらくして、大丈夫です、と言う女の子の声を聞いて、急ぎ足で俺は元来た道を戻った。
 ところが、慌てて食べたおりぎりの塩味を舌の上に残しながら職場へ戻ると、とんでもないことが待ち受けていた。
 鬼オコゼが俺に声を掛けてきた。
「ちょっとこっち来い」
 誰にえらそうに言うとんじゃ。
 思っていると、エレベーターに乗せられ、二階で降りた。
「流れてくるやつを二つ重ねてもらって、正面に“理科”って言う文字が来るようにしてください。あと、端をきれいに合わせてください。梱包の時にずれたりしますので」  
 鬼オコゼから後を継いだ人の良さそうな三十くらいのお兄ちゃんが丁寧に説明してくれた。
 ラインの前に立ってみる。
 五年生の理科の教科書の束が流れてきた。
 掴む。
 重くない。
 束を重ねる。
 “科理”!?
 慌てて乗せたほうの束を掴もうとしたが、指がうまく間に入らず教科書の山を崩してしまった。
「そんなあせらんでいいですよ」
 もう一度、止めたラインを動かしてもらう。
 今度は“理科”が正面に来た。
 五回に一回“科理”になったが、だんだんと慣れていった。
 三十分もすると鼻歌が出るようになった。
 しかし、理科の教科書は次から次へと流れてきた。
 おまけに朝から立ちっぱなしで、ふくらはぎの裏が激しく張ってきた。
 慣れないときは時間の立つのが早かったが、慣れてくると、何回壁に掛けてある大きな時計を見ても、時計の針はほとんど動いていなかった。
 そして、五時の終業のチャイムが鳴ったとき、五分のトイレ休憩を一回はさんだだけでずっと同じ位置に立ったままの両足と、日本中の五年生の理科の教科書の束を掴んだのではないかという腕と言うよりは十本の指は硬直して動かなかった。
 フランケンシュタインのようにして五階の更衣室まで上ると、朝一緒に来た連中は、ずっと同じとこにいたのか、俺のようにどこかのラインに立たされていたのか知らないが、みんな何事もなかったかのようにけろっとした顔をしていた。

 翌日、事態は更に悪化した。
 昨日一番最初にやっていた、高校受験のための参考書の束を解いて赤いカバーと青いカバーに分ける作業をしていると鬼オコゼが声を掛けてきた。
「おまえ、四階に上がれ」
 四階でエレベーターを降りると、目の輝きを失った小柄な三十歳くらいの男が手招きした。
「どんどん流れてくるんで後ろのパレットに積んでいって」
 ラインの上に本の束が置かれている。
 本は、家でよく妻がお菓子を食べながら読んでいる、厚さ5センチはある通販のカタログで、一束はそれが5冊で構成されていた。
 元もと手の小さい俺は、束を掴むだけでも一苦労だろう。
 それをラインから降ろし、後ろのパレットに積んでいかなければいけない。
 握力はすでにゼロに等しかった。
 更に悪いことには、ただパレットに積んでいけばいいのではなく、フォークリフトで運ぶときに荷崩れを起こさないようバランスよく積むため、一段ごとに束の向きが違い、それを覚えなければいけない。
 ラインが流れ出す。
 束をなんとか掴む。
 パレットに下ろす。
 束がやってくる。
 掴む。
 下ろす。
 束。
 掴む、下ろす。
 束。
 掴む、下ろす。
 束。
 掴む、下ろす。
 束。
 手に力が入らない。
「こらっ、早よせんかいっ!」
 束。
 掴む、下ろす。
 束。
 掴む、下ろす。
「おいっ、方向が違うやろっ!」
 束。
 掴む、下ろす。
 束。
 掴む、下ろす。
「こらっ!
 おまえまた方向が違うやないかっ!」
 もう限界だった。
 束。
 掴む、下ろす。
 束。
 掴む、下ろす。
 束。
 掴む、下ろす。
 束、束、束、束、束、束、束、束、束、束、束、束、束、束・・・・・・・。
 ラインが止まった。
「あんたもうええわ。
 三階に降りといて」
 徘徊する認知症の老人のように俺はエレベーターに向かう。
 後ろで男達の声がする。
「使いもんにならんのう」


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