俺の命と言うやつはもうほとんど残っていないらしい。 24年の命は結局何も残せないまま終わる。 なんともばかばかしくて、切ない話だろう。
一浪して入った大学を卒業したのは一昨年。それから、今の職場に入ってやっと仕事も慣れてきた。この仕事を楽しいと思えるようになった。そして、彼女とも結婚する決意をしていた。 未来ばかりを語っていた今までの人生が急に過去形ばかりでしか語れなくなる。ふと、それが死を受け入れたことなのかと思った。
「どうして、俺が?」 「嫌だ、死にたくない。」 散々わめいて暴れた。こんなに暴れたのはガキの頃以来だろうか。いや、ガキの頃でもこんなに暴れたことはなかった。それでも、受け入れなくちゃいけない。 「俺は、死ぬ。」 今はもう、ベッドの上で自分の命の終わりに怯え、その時が来るのが少しでも遅れてくれればいいと願うだけだ。
そんな日々の中、もう一人失意のどん底に落ちているやつがいる。俺の彼女、沙織。毎日毎日病室に訪れては、目を潤ませながらも甲斐甲斐しく俺の世話をしてくれる。少しでも俺との時間を過ごそうと思ってくれているのだろう。でも、その姿は痛々しすぎて却って俺を辛くさせる。
「ゆうちゃん、そばにいるからね。ずっと。ゆうちゃんだけ、愛してるからね。」 帰る間際に俺の手を握ってこう言う沙織の目はいつも真っ赤だった。
沙織が帰った後、俺は一人で考える。俺が彼女の幸せを妨げてしまうんじゃないかって。多分、あいつは俺がいなくなっても思い続けてくれるだろう。もしかしたら、他のヤツと結婚もしないかもしれない。一生俺のことを引きずるかもしれない。あいつは何にも悪くないのに。 「それだけは、あっちゃいけない。」 知らず知らずのうちに言葉が漏れる。沙織にはずっと微笑んでいて欲しいんだ。あいつの笑顔、それが何よりも好きだから。最近じゃめっきり見られなくなってしまったあいつの微笑み。なんとしてでもそれを守りたい。 もし、沙織から俺に関わる全ての記憶がなくなってしまえば、あいつはずっと笑っていられるだろうか。たった24年で消えてった男のことなんか忘れて自由に生きられるんじゃないだろうか。
「どうか沙織から俺の記憶を消してしまってください。」 なんて、馬鹿なことを神様に真剣に願ってみたりもする。そんなもの信じていないくせに。いや、信じていなくても願わずにはいられない。神様じゃなくったっていいんだ。たとえ悪魔だってなんだっていい。この病魔に蝕まれた身体でよければ、悪魔にだってくれてやる覚悟だ。 だから、どうか沙織に幸せを。俺はもう、あいつを守ってやれない。
『その願い叶えてやろうか?』 冷たく低い声が頭の中で響く。
『お前が命をかけてまで叶えたい願いなら、聞いてやろうか?』 それはどこか楽しむような、そして嘲るような声。
「命ならくれてやる。今すぐ死んだってかまわない。彼女が、沙織が俺を忘れて幸せになるなら、なんだってする。」
『そうか、そこまで彼女を思っているのか。なら、叶えてやる。その代わり、お前の言葉通り命はいただくぞ?』 迷う必要なんてなかった。
「あぁ、それでいい。」
その時、病室に沙織が入ってきた。
「あっ、ゆうちゃん。なんだか忘れ物をした様な気がして戻ってきたんだけど・・・。忘れ物なんかしてないよね?」
「あぁ、何も忘れて言ってないと思うぞ。」 出来る限り平静を装って答える。これが沙織と会う最後になるはずだ。
「そっか。でも、今日はゆうちゃんに2回も逢えたからいっか。また、明日も来るね。」 沙織が優しく微笑む。でも、その微笑みはどこか疲れた色を見せている。
「うん。沙織、ありがとうな。」
「ゆうちゃん、一人でしんみりしてどうしたの?なんか変だよ。身体、辛いの・・・?」
「違う、違う。なんでもないよ、じゃあな。気をつけてな。」
「うん・・・なんでもないならいいけど。また明日も来るからさ。じゃあね。」 そう言って沙織は部屋を出て行った。
『あの女が病院を出たところでお前との記憶を全部消してやる。』 沙織が出て行ったのを見計らってまた声が響く。
「あぁ、最後に逢わせてくれてありがとう。」
『お前の命もここで終わりだ。いいな?』
「あぁ」 おれは一つ頷いた。もう覚悟は出来ている。
『それにしても、馬鹿だな。』
「彼女を守ろうとすることがか?だってそれは・・・」 言葉の途中で遮られる。
『違うな、こんな願い事をするってことがだ。』
「だってそれは、彼女には幸せになって欲しいから・・・」
『どうして、もっと生きたいと願わなかった?』 俺は何も言えなかった。だって、そんな願いはとうに諦めてしまっていたから。
『私を呼び出したのはお前の強い願いだ。彼女を守りたいというその強い願いだ。だから、願い事は何だって叶えられたんだ。』 一瞬の沈黙が長く感じられる。
『神様は何だって叶えられるんだよ。だから願ったんだろ?』
その瞬間猛烈な痛みと共に俺の魂と身体が引き離された。 そして俺が見たのは、小さな頃に絵本で見た自愛に満ちた神様の微笑だった。
それは、悪魔なんかじゃなかった。 大きな間違いに気づいた時、俺の意識は消えた。
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