12月10日、生野(いくの)銀山の銀掘りたちに、穴掘り作戦の命令が下った。 翌日、さっそく、生野銀山から来た連中は、井伊直孝の陣営から、城に向かって、穴を掘り始めた。 しかし、そこは地盤が、ずやずやと、ゆるくて、なかなか前に掘り進むことができなかった。 12月12日、生野銀山の一行は、これ以上掘り進むことは、あきらめざるを得なかった。
十蔵たちには、なぜ、石見(いしみ)銀山から来た自分たちに番が回ってこないのか、そこらあたりの事情というものが、まったくわからなかった。
石見銀山の者たちは、不安を口にした。 「生野銀山の一行が、順調に掘り進めば、石見銀山の出番はなくなるのかもしれない…」 「石見銀山の一行の振る舞いの中で、徳川陣営の参謀たちに、何か、気に触ることでもあったのだろうか…」
12月14日、作戦変更が行われた。 生野銀山の一行が、再び掘りはじめたのだが、今度は、場所を変えたのだった。 井伊直孝の陣の前を移動し、そこから西隣に当たる、藤堂高虎の陣営の前から掘りはじめたのだった。 しかし、これもうまく行かなかった。
12月15日、いよいよ、徳川の本営から、石見銀山の一行に、穴掘りの命令が下った。 石見銀山の者たちから、一斉に、歓喜の声が上がった。まさに、満を持していたのだった。
十蔵は、田村久左衛門の許に走り寄って行く。 「わしゃ、前じゃろうか?」 十蔵は、華々しい仕事に就きたかった。 槍や鉄砲の傷のひとつもつけて、大森の町に帰れば、みんなから喝采を浴びることになる。
田村久左衛門は、穏やかな表情で言った。 「いや、おぬしは、台所まかない役じゃ」
十蔵の眉のあたりが曇る。 「なんで、そんな地味な仕事を、わしが、せにゃいけんのんじゃ」 十蔵は、久左衛門に、つっかかる。
「大事な仕事じゃ、まかないの仕事は」 田村久左衛門は、十蔵の肩をゆっくりと叩き、励ましている。
十蔵は、面白くない顔をしている。 十蔵は思った。 (じいさまの肩には、みみずばれの刀傷があり、腹には槍で刺された傷跡があった) 幼い頃に見たものだが、今になっても、忘れはしない。
(これでは、あの世でじい様に会っても、話の種もないことになる) 十蔵は、不満の心を、あらわにした。 「わしには、前線の土塁積みの仕事をさせてくれ」
田村久左衛門は、腕組みをして、考えている。
穴掘り作業は、1日24時間、昼夜を問わず、行われる。 銀掘りたちは、12交代で、穴掘りの仕事に従事することになる。 食事の回数は、4時間おきで、1日あたり6回にもなるだろう。
この食事の世話というのが、大変なのだ。 飯を食わさなければ、穴掘りどころではないのだ。 田村久左衛門は、十蔵なくしては、これが成し遂げられぬ、と思った。
「おまえにしか、できん」 田村久左衛門が言った。
「いやじゃ」 十蔵が、かぶりを振る。
しかし、十蔵は、久左衛門の悲しそうな顔を見た。 と、同時に、その顔と、同じような顔を、どこかで見たような気がした。
(そうだ、かつて、幼い頃、わしがわるさをするたびに、じい様が見せた顔じゃ…) 十蔵は、心の中に、何か、暖かいものが湧いてきたような気がした。
(久左衛門を困らせたところで何になる…。この人は、いつも、わしの味方をしてくれている…) 十蔵は、久左衛門を見て、にっこり笑った。
「お前さまの言うことなら、聞こう」 十蔵がそう言うと、久左衛門が照れたように笑った。
(この人は、本当に、役人らしからぬ、人の好いお人じゃ…) 十蔵は、そう思った。
銀掘りたちは、地面の真下に深い穴を掘り下げる。 それから、城の方角に向けて、穴を掘っていく。
鑿(のみ)を支え、槌(つち)をふるって、石を砕いていくのだ。 手子(てご)たちは、山箸(やまはし)で、のみを支え、銀掘りたちが、つちをふるうのを助けるが、掘り進める穴の正面が、やわらかい土の場合には、自分たちもつるはしを取って、土壁を削り取っていく。 柄山負(からやまおい)たちは、掘られた土石をかますに入れて背負い、穴の外へ運び出す。 そして、柄山負、手子の者は、外にも出て、ふたり一組になり、土石の入ったかますを天秤棒に通して、藤堂高虎の陣営の前に運び、防塁として、積み上げて行った。
穴の中では、2間(約3.6M)掘り進むごとに、穴大工たちが、地盤の強弱を測りながら、要所要所に、木材を組んで、土止めをしていく。
そして、2間おきに、陶器の皿に菜種油を入れ、油の中に燈芯の布紐を沈め、和紙で四方を囲むという、掛行灯(かけあんどん)を壁面に取り付ていく。 燈芯に火をつける。 暗かった穴が、パッと明るくなる。 これで、昼夜を問わず、柄山負、手子たちが穴の中を行き来できる。 ちなみに、この穴の大きさは、横幅が13尺(3.9M)で、高さが7尺(2.1M)であった。 (つづく)
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