銀掘りや柄山負たちの中には、戦に対する不安を感じているものもいた。それに、まだ、藤堂陣営から、『穴掘りをはじめろ!』といった命令もない。
十蔵は、少々退屈であった。 がしかし、緊張感はある。いつ何時、穴掘り開始の命令があるかわからないからだ。 十蔵は、小屋の中でひとり寝る。 不安に駆られた連中は、夜中、こっそりと集まり、隠れるようにして酒を飲んでいるらしい。 が、十蔵は、放っておいた。人は、いったん、やる気になったらやれるものだと思っている。細かいことを言ってもきりがない。
「十蔵、起きてごせや」 誰かが、からだを揺り動かしているのだ。
「十蔵、助けてごせや。甚左のやつが、なたでわしを殺そうとする」 十蔵は、やおら、起き上がる。 目をこする。 見ると、それは、銀掘りの吉三である。
「ああ、わかった。まぁ、落ち着け。わしが止めちゃるから。で、なんで、そがなことになったんか?」 十蔵は、ゆったりと聞く。
「何もしとらん。ただ、酒を飲ましてやっただけじゃ」 銀掘りの吉三は、怯えている。
「だいたい、あいつは、酒癖がわるいと、わかっておろうが。それなのに、おまえが飲ますから、いかんのんじゃ」 「そがなことを言うてもな」 「で、おまえ、甚左に何か、言うただろう?」 「いや、何も言うとらん」
「うんにゃ、何か、あいつが怒るようなことを、おまえが言うたんだろう。おまえは、そうとは思わんだったろうが…」 「わしゃ、ただ、『しゃんと土留めをせいよ。穴の中に入るのは、わしらだからの』と言うたまでじゃ」 「それだけか?」 「それだけじゃ。あとは、『濠の水が上から漏ってきたら、溺れて死ぬのは、わしらじゃからの』と言っただけじゃ」 「ふーん、そうか。わかった。わしの言うとおりにせいよ」
十蔵は、何となく、穴大工の甚左が怒った理由がわかった。 甚左は、腕のいい職人なのだ。御直山からでさえ、声がかかるほどの腕を持っている。 甚左にとって、その腕を、疑われるのは、絶対に許されないことにちがいない。
十蔵は立ち上がった。 「吉三、行くぞ!」
「わしはええ」 吉三は、しり込みしている。
「おまえも行くんじゃ」 「いやだ。わしは行かん。行けば殺される」
十蔵は、しかし、嫌がる吉三の首根っ子を捕まえて、歩き出した。酒好きなやつらが集まっているところは、わかっている。
と、いつもは、暗い、窪みになっているところに、かがり火が焚かれていた。そして、人だかりがしている。いつのまにか、みんなが、騒々しさに気づき、寝小屋から出て、ここに集まってきたらしい…。
十蔵は、右手では、吉三を引っ張りながら、左の手で、人ごみを掻き分けていた。
と、人垣の真ん中で、甚左が、空に向かって、なたを振り回していた。 足がふらついている。
(だいぶ、飲んでるな) 十蔵は、そう思った。 (酒飲みを相手にしたのでは、どうにもならん) 十蔵は、一か八かの勝負に出ることにした。
十蔵は、何も言わず、怖がっている吉三を、真ん中に引き出す。 なたは怖い。 顔に当たれば、鉄砲の弾より怖いかもしれない。
しかし、十蔵は、甚左の前に、吉三を連れて行き、いきなり、吉三の頬をなぐった。 「おまえがわるい。甚左にあやまれ。甚左の腕をおまえは知らんのか!」 十蔵はしかった、吉三を。 なたを持っている甚左には、無防備にも、背を向けている。
吉三は、十蔵の目が怖くて、怯えている。が、その一方では、十蔵の目に真剣さを見ていた。 十蔵は、いつも自分に声を掛けてくれる。十蔵のことが好きだった。十蔵にこれ以上、迷惑はかけられない、と思った。
甚左のやつは、昔、人を傷つけ、牢屋に入れられたことがある。甚左は怖いやつだ。しかし、吉三は勇気をふるって、甚左の足元にふれ伏していた。 「甚左、ゆるしてごせや。わしがわるかった」 吉三は、土下座している。 十蔵は、 「吉三も、あがぁ、言っておるで、ゆるしてやってごせや」 と、やさしげに言いながら、甚左のそばに寄る。 甚左は、何が起こったのか、わからないような顔をして、突っ立っていた。
十蔵は、甚左の右手から、ゆっくりと、なたを抜き取っていた。 「誰か、これを預かっといてごせや」 十蔵が、なたを放り投げる。 誰が、前に出て、それを拾い、すぐに後ろに下がった。
十蔵は、甚左の寝小屋の場所を知っている。 「そんなら、はぁ、寝ようこい」 甚左は、十蔵に、さっきまでなたを握っていた手を、引かれていた。
十蔵は、甚左の小屋に入った。 誰もいなかった。 そうだろう。みんな、わが身の危険を感じて、この小屋を出たのだろう。 あるいは、ここには、誰も、戻っては来ないかもしれない、甚左を恐れて。
(甚左は、ひとりでは、寂しいかもしれんな) 十蔵は、そんなことを思う。
十蔵は、甚左を寝かせた。 そして、その隣に、自分用に、藁(わら)を引き寄せた。
(甚左の酔いが醒めるまで、付き合わざるを得まいて…) 十蔵は、仰向けになって、目を瞑った。
甚左は、実は、十蔵と、山で相撲を取ったことがある。十蔵の腕っぷしの強さは、よく知っている。おとなしく寝らざるを得ない。 ふと、静かな寝息が、甚左の耳元に届く。それがしかし、妙に心地よいのだ。いつしか、甚左は、深い眠りに落ちていった…。 (つづく)
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