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作品名:石見銀山物語T 作者:沢村俊介

第4回   旅先で、こまめに働く十蔵

 石見(いわみ)銀山で掘られた銀は、江戸初期からは、山陽側の尾道までは、陸路で運ばれるようになった。
 陸路の開発、それは、石見銀山初代の奉行の、大久保長安の功績と言えるだろう。


 もっとも、尾道から大坂に向けては、海路となる。
 瀬戸内の海は、日本海に比べ波が穏やかで、船旅は安全だった。
 それで、尾道から大坂川口までは、帆船が使われたのだった。

 大坂の川口から、徳川幕府の御銀蔵のある京都の三条通りまでは、ふたたび陸路とはなる。

 がともかく、御用銀輸送の一行であれば、石見(いわみ)の国の石見銀山から、京都の御銀蔵まで、3泊4日の旅となる。

 さて、今回の大坂城の穴攻めの一行は、尾道から大坂までも、陸路となった。
 一行は、大きくは、御直山と自分山のふたつの集団に分かれていた。

 御直山の者は200人ばかりで、50人ずつ4班に分かれる。
 自分山の者は100人ばかりで、50人ずつ2班に分かれた。

 自分山の2班については、山師(山の経営者)の安原備中と渡辺備後の2人が率いていた。
 奉行所の地役人、田村久佐衛門は、この2班の目付役である。

 一行の泊まり先は、主として、寺や百姓屋(農家の地主屋敷など)であった。
 むろん、奉行所の役人、山師は、宿場町の旅籠に泊まる。
 それで、自分山の鉱夫たちの寝るところや飯の世話をするのは、実質的には、十蔵の采配するところとなっていた。

 鉱夫一行の中にも序列があり、ややこしい。
 銀掘りが一番偉く、次に、柄山負、そして、手子となる。
 
 そのため、銀掘りたちには、宿泊場所として寺の本堂などがあてがわれ、手子たちは一番割りを食い、百姓屋の納屋で寝泊りをしなければならないこともあった。

 その一方で、自分山の一行の中にも、数は少ないが、穴を掘ったあと、木材で土石が崩れるのを防ぐ仕事をする、穴大工(あな・だいく)という職人たちがいた。
 彼らは、異色の存在だ。
 あえて、その序列の位置をいえば、銀掘りに次ぐ地位にある、と言うべきか。
 
 しかし、この穴大工たちは、自分の腕に自信を持っているので、銀掘りの下に立っているとは思っていない。
 銀掘りたちも、彼らの穴止めの技術には一目置いているので、そうそう、柄山負や手子と同じように、あごで使うわけにもいかないのだ。
 彼ら穴大工にも、例えば、屋根付きの寺の本堂とか、百姓屋の母屋が宛がわれる。

 田村久佐衛門は、それとなく、十蔵の働きぶりを見ている。

 実に卒がない。
 山で働く者たちのことをよく知っているようだ。

「いやはや、ここはよい。敷居がきちっとしておって、隙間風が入らんからな。それに畳も上等だ」
 十蔵は、銀掘りたちの自尊心をくすぐりながら、寺の本堂を与える。

「すまんのう、こんな部屋しか、よう、見つけられんで」
 十蔵は、手子たちには低姿勢で、農家の離れを宛がっている。

 田村久佐衛門が感心をするのは、十蔵は、銀掘りや穴大工たちのわがままを、きちんとたしなめる時はたしなめることができ、そして、柄山負や手子たちを決して差別して扱っていないように見えることだった。
 久佐衛門にすれば、わずかのうちに、十蔵は、一行の中で、ひときわ、精彩を放っているかのように見えるのだった。

 一行は、岡山、兵庫を経て大坂に入った。
 そして、徳川方の責任者らしい武士たちから、指示を受け、彼らの後に従う。

 やがて、藤堂高虎陣営に近い、木津村に着いた。
 時に11月15日であった。

「ここで野営を張れ」
と、付き従って来た武士に命令される。
「これからは、藤堂陣営の者の指示に従え」

 藤堂陣営から、5人ばかりの武士がやってきた。
 彼らによれば、20日を過ぎた頃に、徳川の本隊が、この木津村を通り、茶臼山に陣を張るという。それゆえに、石見銀山から来た者たちは、それまでは寝小屋を建ててはならぬ、と言う。それだけ言いおくと、彼らは立ち去って行った。

(冷たいものよのぉ。せっかく、われらは、遠く、石見の国からやって来たというのに…)
 田村久佐衛門は、空を仰いでいる。

 と、十蔵の大きな声がした。
「おまえは、百姓屋に行って、竹と縄を、分けてもろうて来い」
 十蔵が、若い者に、銭を渡している。
(十蔵のやつ、どこで、銭をもらって来たのであろう?)

「おぬしは、莚(むしろ)と藁(わら)をもろうて来い。地べたに寝るのは、さむうて、かなわんからのぉ」
 やはり、十蔵は、若いもんに、銭をにぎらせている。

 田村久佐衛門は、十蔵のそばに行く。
「十蔵、大丈夫か?」

「何が?」
 十蔵が小首を傾げている。

「藤堂陣営の侍たちが言うておったろぉ。徳川の本隊がここを通るまでは、小屋を建ててはならん、と」
「ああ、それは大丈夫じゃ。朝になればたたむ。夕方になれば、また、組み立てる」
「はぁ…」
 田村久佐衛門は、おのれを納得させようとしている。

 まさか、夜中に本隊が通るわけでもあるまい。それに、たいまつの火では、小屋がひとつふたつ建っていても、わかるまい。
 小屋がなくては、やはり寒いのだ。

 田村久佐衛門は、十蔵の知恵と度胸に、頼ろうと思った。何しろ、ここに来るまで、十蔵の采配で、自分山の鉱夫たちのあいだで、揉め事はひとつも起こらなかったのだから…。

 十蔵は、地べたに、棒で、図面らしきものを描き、若い者たちに、竹と縄、莚を使って、入り口が三角の形をした、小さな寝泊り小屋を作らせた。

 久佐衛門は、機転がよくきくものだと、感心している。
 十蔵に、どうしてそのような小屋づくりを思いついたのかを聞く。

 なんと、十蔵の出身の、温泉津の小浜では、砂浜に、むしろやこもを敷いて、刈ってきたワカメを干すらしい。それで、砂浜を上がったところには、むしろやこもを入れる、三角小屋ができているという。今回は、それを真似ただけだ、というのだ。

 が、ともかく、簡単に作れるがゆえに、簡単に壊せるのだ。
 これなら、昼間、徳川の本隊が通り過ぎようと、何ということはない。田村久佐衛門は、やっと安心した。
                                 (つづく)


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