慶長19(1614)年11月3日は、大坂への旅立ちの日だった。 山(鉱山)は休みになった。 十蔵は、平素とあまり変わらない。 (大坂行きは、そんなに大変なことなのか?)
一行は、奉行所の前に集まる。 奉行の竹村丹後守から激励を受ける。 自分山の山師を代表して、十蔵が働いている山の親方である、光右衛門も壮行の言葉を述べた。 光右衛門は、この辺りでは名門の出である。広い山林を持つ。銀精錬の時の燃料となる薪の木を多く拠出していた。 最初、山に入った頃、十蔵は、柄山負(鉱石の運び屋)をしていた。が、その頃から、光右衛門は、十蔵の働きぶりに注目していた。 頑丈な体をしていて、しかも、気風の良さがある。 それで、光右衛門は十蔵を鉱夫頭に抜擢したのだった。
地役人の田村久左衛門は、竹村奉行があいさつをしているとき、時々、横目で、十蔵のことをちらりちらりと見ていた。 十蔵は、胸を反らし、顔を上げて聞いていた。不遜というわけではないが…。しかし、気が強そうには見える。
(相変わらず、あいつには、人を食ったようなところがある) 田村久左衛門は、うつむき加減ながら、そう心の中で思った。
一行は、出発した。 沿道には、人の群れができていた。 山の連中が十蔵に声を掛けている。
女たちも来ていた。 田村久左衛門には、よくはわからない。が、着ているものからして、どうも、水商売の女たちのように思える。 その中に、十蔵に声を掛ける者がいた。 見ると、十蔵は、手を挙げている、その声の方に。 久左衛門は、十蔵の顔を見た。さほど、恥ずかしそうなそぶりはしていない。 久左衛門は、歩きながら、改めて、よくよく十蔵の顔をながめている。 (十蔵のやつ、存外、いい男ではあるな) 久左衛門は、妙に感心していた。
一行は、大森を出て、浜原、九日市を通り、赤名峠を越えた。 三次盆地を進み、吉舎、甲山から尾道に出る。 尾道に着くと、瀬戸内の海が見えた。
十蔵は、海を見ながら、見送りに来ていた、女たちの集団の中に、お芳の姿を見たことを思い出している。
(大坂行きなど、たいしたことではないと言ったはずなのに、なんで、あいつは見送りになんか来たのだろう?) と思う。
(あいつは、かわいそうな奴だ。病いに倒れ、男を取ることができない体になってしもうて。わしなども、いつ、石粉を吸って、病いに倒れるかもしれんが…) 十蔵は、お芳が見送りに来てくれたことを喜ぶ一方で、なぜか、気が重く感じられた。
(まさか、あいつが、わしのことを好きになるなんて…。そういうことはないだろうが。しかし、もし、そういうことになれば、困る。俺は、たぶん、30歳を超えた頃には、両の肺に一杯、粉塵を吸い込んで、床に伏し、苦しい咳をしていることだろうから…)
(鉱山で働く者は、金離れもよくて、格好がいいように見えるかもしれないが。しかし、いつ病気になって死ぬかもしれないのだ。あの女は、そんなこと、わかっているはずだ) 十蔵は、今夜の宿に向かって、歩を進めながら、背伸びをして深い息をつき、それから指先で目頭をぬぐった。 (つづく)
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