20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:石見銀山物語T 作者:沢村俊介

第2回   大坂行きで、悲しそうな顔をするお芳

 十蔵の大坂行きは、山の仲間たちの評判になった。
 何しろ、十蔵たちの山では、十蔵ひとりが選ばれている。

 仲間たちは、寝泊りをする場所というか、飯を食う「飯場」(はんば)で、うわさをし合っていた。
「流れ玉に当たって死ぬかもしれぬ、おぞやおぞや(おそろしい、おそろしい)」という者もいれば、「大坂の町には遊び場が多いし、楽しいことよの」と言う者もいた。

 十蔵は酒が好きだった。
 鉱山で働く仲間と、山の「飯場」で、酒を飲んだ。
 しかし、時には、仲間を誘い、山を降り、久利の町まで出かけ、居酒屋で酒盛りをした。

 大坂行きが決まってから十蔵は、なぜか夕刻になると胸騒ぎがする。
 自分の胸に手をやって、心の中の声に、耳を傾けてみる。
『会いに行きたい。大坂に行くまでに…』
 久利の居酒屋で働いている、酌婦のお芳(およし)の顔がちらつく。

 十蔵は、年下の鉱夫たちに声を掛けた。
「久利に、飲みに行かんか?」
「十蔵さん、また、あそこですか?」
「ああ、また、あそこだ」
「よう、飽きませんな」
「飽きんな。で、おまえは行かんのか?」
「いや、行きますよ、行きますよ」

 十蔵と4人の仲間は、久利の町に出かけた。
 行き先は、居酒屋の「畑中屋」であった。
 お目当ての人は、「畑中屋」のお芳である。

 お芳がそばにやって来た。
「十蔵さん、大坂に行くんだって?」
(なんで、こいつが、そんなことを知っているんだろう?)
 が、理由は聞かない。
「ああ」
 と答える。

「何で、はよう(早く)、わたしに言うてくれんの?」
「そがに、なかなか、ここへは、来られんかった、から…」
「……」

 十蔵は、お芳の顔を見た。
 目が潤んでいるように見える。
(俺の目が、おかしいのだろうか?)

 お芳は、漁師村(りょうし・むら)の生まれである。
 言葉使いは多少荒いが、気はさっぱりしている。それに、目鼻顔立ちが整っていて、かわいい。それで、十蔵は、居酒屋の「畑中屋」に通っているともいえる。
 お芳は、前は女郎屋で働いていた。しかし、病に倒れた。働き過ぎかもしれない。それで今は、居酒屋の「畑中屋」で酌婦として働いている。

 お芳は、十蔵が石見銀山に入る前、温泉津の港で伝馬船を漕いでいたという話を聞いた。その話を聞いたとき、お芳は、自分の父親が船を巧に漕いでいたことを思い出した。十蔵が店に来るたびに、十蔵が伝馬船を漕いでいる姿が思い起こされ、それが父親の姿と重なっていた。

 いつもは、そばになんか寄っては来ないのに…。
 不思議なことだ。
 呼びもしないのに、お芳のやつが、そばに来て、そして、居座っている。
 何となく、気まずい。
で、十蔵は、さしたる話をするでもなく、注がれるままに、盃を重ねていた。
「あれっ、みんなはどこへ行った?」
 まわりを見渡すと、一緒にこの店に来たはずの、年下の鉱夫たちの姿が見えないのだ。
「みんな、それぞれに行きたいところがあるんでしょ」
「そうかな?」
「自由にしてあげなさいな」
「……」
 十蔵としては、あまり面白くない。
 年下の者は、年長者の言うことを聞くものではないか。
 それに黙って帰らなくてもいいではないか。
もっとも、みんなで、この店に居座り、この店の売り上げに協力して、お芳に気に入られたい、という気持ちもある。

「何しに行くの?」
 気がつくと、お芳が、まだ、そばに居た。
「ああ、大坂の城を穴攻めにするんじゃ」
 十蔵は、つっけんどんに言う。
 ふたりっきりになるのは、どうも苦手だ。

「そんな、穴攻めなんて、聞いたこともないわ」
「しかし、わしは、じい様から聞いたことがあるぞ。川本にある、小笠原の温湯(ぬくゆ)城を毛利が囲んだとき、毛利が穴攻めをしたそうじゃ」

「大坂なんぞに行って、本当に、大丈夫かしら?」
「わしが槍を持って戦うわけじゃあるまいし。死ぬことなんてはあるまい」

「あたりまえよ。死んだらいやよ」
「うん?」
 十蔵は、内心、おかしいなと思い、小首を傾げている。
(お芳は、ひょっとして、わしのこと、好きなんだろうか?。てっきり、わしの片想いとばかり、思っていたのに…)

 十蔵は、15歳のとき、兵庫の酒屋に修業に出されたことがある。
それで、大坂城を見たことがある。
 とてつもなく、でかい。
 濠は、広い湖のようであった。そのような広い濠の底を潜って、本丸の下あたりにまで、穴を掘って進むなど、2年も3年もかかりそうな気がした。が、2年も3年も、お芳に会えないというのは、いかにもつらい。が、十蔵は、強がった。
「なに、すぐ帰って来られるわな」
「無事に帰って来てね」
「あっ、ああ…」
 十蔵は、めそめそした女はきらいであった。
 が、今夜は、なぜか寂しそうな表情をするお芳に、心が惹かれてしまう…。

 十蔵は帰ろうと思った。
 そうそう酒ばかりが飲めるものでもない。
 飯場に帰って、寝たいという気持ちもある。
 それに、俺みたいなやつが、お芳をひとり占めしていいわけがない…。

「大丈夫よね」
 お芳の声が耳に入ってくる。
 お芳は、ひとつのことばかりに、こだわっているようだ。
 身が安全なことは、わかりきったことなのに…。
 
 石見銀山の穴掘りたちは、鉄砲を持って戦うわけではないのだ。
 ただ、大坂の城の本丸の下まで、穴を掘っていくだけの話だ。
 危険なわけがない。
 まぁ、ちょっと大坂まで行って帰ってくるだけの話だ。

 十蔵は、胸を張って言った。
「大丈夫だ。きっと無事に帰って来る。そして、この店でまた酒を飲む」
 十蔵は、お芳の目を見た。
 キラキラしていて、すごくきれいだった。
 ドキッと、してしまうじゃないか…。

 お芳のやつが、店の外まで見送りに出る。
 今までにないことだ。
「そがなことまで、せんでいい、って」
「でも…」
 十蔵は、お芳の顔など見ずに、手を振り、畑中屋を後にした。

(お芳のやつ、あんなにかわいい奴だったかな?)
 十蔵は、頭を左右に振りながら、帰り道をゆっくり歩いていた…。
                               (つづく)


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 4134