「十蔵、起きれや」 十蔵は目を覚ます。目の前に、友達の藤左がいた。 「おお、終わったか。で、おまえ、型どりのところは、見せてやったか?」
「ほんのちょっとだけな」 藤左はそう言って、目を移す。 その視線の先に、顔を紅潮させた女がいた。十蔵が見るに、女は、吹き屋見学に満足したように思える。が、一応、女に尋ねてみる。
「で、おまえは、少しはわかったかや?」 「ええ、おもしろかったです」 女は、目を輝かしながら答えた。 (ほんまに、変わったおなごじゃ) 十蔵は、そう思いながら、キヨを見ていた。
吹き屋の中を見て来たとはいえ、キヨには、わからないことが多すぎた。 一つは、吹き屋の中に、ガラス細工ができる職人がいたことだった。
その職人は、俵状の、いわば、卵を少しつぶしたような球形・楕円型のガラス瓶を作っていた。そして、その俵型のガラス瓶を、砂の多そうな粘土で覆う。が、その粘土の覆い型の両端には、それぞれ小さな穴が開けられる。 今度は、一方の穴から、先の尖った、細い鉄の棒を差し入れ、粘土で覆い隠されていたガラス瓶を砕く。 そして、他方の穴から、吹息竹(ふいきだけ)を使い、人の吐く息でもって、型の中のガラスの破片を全部、外へ吹き出す。粘土の型の中は、俵形を保ったまま、全くの空洞になる。 そこへ、小さな口の付いた容器を使い、どろどろに溶けた銀を流し込む。やがて、粘土の型の中に流し込まれた銀は、冷めて、固まる。 粘土の型から生み出された銀の固まりは、見事な丸みを帯び、尖ったところはない。
それこそ、母が持っていた、手のたなこごろに、すっぽりと収まるものであった。 キヨは、これは、貨幣ではないと思った。 このようなものは、普通の商いには使われないであろう。
二つ目の疑問は、このようなものが、なぜつくられ、どこに持って行かれるのか、ということであった。
キヨには、しかし、このような疑問を、十蔵や藤左に尋ねるのは、あまり適当ではないように思えた。この疑問は、長崎から、上谷貞信が来たときに尋ねればいい、と思った。
「藤左、すまんかったの。近いうちに一杯やろうや」 「おお、ええで。わしは、いつでも空いとるで」 キヨは、ふたりの男たちがかわす会話の様子を、まぶしそうに見ていた。
藤左は、吹き屋の中に姿を消す。 十蔵は、何かを、女に言わなくてはならないと思った。 「宿まで、送ろうか?」
キヨは、十蔵に無理をさせてはいけないと思う。 「ひとりで大丈夫です」
「ああ、そうか」 十蔵は、ホッとする。 こんな可愛い女と関わっていると、また、お芳みたいなことになる。山の男が金回りがいいのは若い時だけなのだ。いつか、気絶え(=じん肺)のような重い病に罹る。
もっとも、このまま女を放っておいてもよいものか、迷いはある。で、ちょっとだけ社交辞令みたいなことを言うことにした。 「まぁ、また、何か見たいもんがあったら、来いや」
「ありがとうございました」 女が深々と頭を下げている。
十蔵は照れくさい。すぐに、踝を返し、山に向かった。
十蔵は、急ぎ足で、山道を登る。 その途中で、なぜか、お芳のことが想われた。奇妙に、お芳に会いたくなった。
(しかし、会えば、また、情が湧く…) 十蔵は、そう自分に言い聞かせる。 それに、大坂から帰ってから、なぜかしら、からだがしゃんとしない。あるいは、疲れが残っているのかもしれない。久利のお芳の許に行く元気が出ないのだ…。
いつのまにか、十蔵は、山に着いていた。 みんなは、すでに穴から出て、片付けをはじめているところだった。 「すまん、すまん、吹き屋で客人を待っているうちに、寝てしもうておって…」 十蔵は、あやまった。みんなは、いつも十蔵が熱心に働いているので、何も言わなかった。 夕方から穴の中に入って行く連中に、銀掘りの道具を引き継ぐための、多少の片付けが終わると、十蔵は、皆と飯場に向かった。 『一晩寝れば、また、元気になるわさ』 十蔵は、そうつぶやきながら、元気を奮い立たせていた。 (つづく)
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