「どこへ行くのですか?」 キヨが聞く。 勝手に、どんどん先を歩く十蔵の後について行くのは、少々つらいものがある。 「まずは、奉行所じゃ」 十蔵は、後ろを振り返りもせず、言う。
銀の吹き屋(=銀の精錬所)に出入りする場合には、銀山役所で、通行許可証をもらわなければならない。
「十蔵、いつもより早いの」 役所の人間が、十蔵に声をかけている。 「ああ、今日は、特別、用があっての」 十蔵は、笑いながら答えている。
「そいで、今日は、この人のもんを、頼むわ」 「ああ、ええよ」
キヨは、おかしかった。 キヨにとって、銀の吹き屋見物は、興味半分のところがある。でも、十蔵の頭の中では特別な用向きに変わっているらしい。それに何だか、十蔵は、キヨが思っている以上に、あけっぴろげの性格をしているらしい。
銀山役所で通行許可証をもらい、いよいよ吹き屋に向かう。
キヨは十蔵の後に従う。 なんと肩幅の広い人かとキヨは思う。 そういえば、背中の格好が、何となく、長崎商人の上谷貞信に似ている。このあいだ、十蔵が宿に泊まった時には気がつかなかったが、足のふくらはぎが太い。 (十蔵さんって、とても、働き者のように見えるわ) と、キヨは思う。
吹き屋(精錬所)は、柵(さく)に囲まれている。 入り口には、左右に一人ずつ、門番が立っている。
「よぉ、今日はふたりで入らせてもらうで」 「ごくろうさんです」 門番が、十蔵にあいさつしている。 キヨは、(十蔵さんは、こういう、いかめしい顔をした人たちとも、友達付き合いのできる人なのかしら)と、不思議そうな顔をしていた。
門を入ると、右側に、吹き屋を出入りする者たちを検閲する小番所がある。 出入りする者は、その前に立ち、通行許可証を差し出し、何の用向きで、誰を訪ねるのかを口上しなければならない。小番所の書記役は、通行許可証に書かれた名や、その者が述べた口上を出入り帳に書く。
キヨは、緊張している。 が、十蔵は慣れているというか、肝が据わっている。 キヨを久利村の波多野吉左衛門の娘と言い、用向きは、型どり役の吉迫藤左に、もち米を届けに来た、と口上している。 誰も、疑っているような気配はない。
(十蔵さんは、よほど、ここらあたりでは信用されているのかもしれない) と、キヨは思う。 狭い庭を進む。 と、ある小屋の前に来た。 見張りでもしているのか、小屋の前で座っている男に、十蔵が話しかける。 「藤左は、おらんかや?」 「おるよ」 「呼んでごせや。山から十蔵が来ておる、と」
藤左は、十蔵の飲み友達だった。 もっとも、藤左はさほど酒に強くはない。ばくち好きなところはあるが、とにかく気のいいところがあって、十蔵は藤左を気に入っているのだった。
「おお、十蔵。仕事場まで来るなんぞ、よっぽどのことじゃの」 「ああ、そうじゃ。よっぽどのことで来た。そいで、灰吹きの仕事場を見せてやってくれや。それに、型どりのところもな」 「おまえが見たいんか?」 「いいや、あの女じゃ」 十蔵は、後ろの方を指差した。
「おまえじゃないんか。そんなら、だめだな」 「そがなことを言わず。わざわざ、あの女、ひとりで、温泉津から見に来たんじゃから」
「何で?」 「何で、と言われても…」
「十蔵、おまえ、温泉津に行って、あの女に、何か、言うたんとちがうか」 「ああ、ひょっとしたら、わしは、酔った拍子に…」
「そうか、そうか。そんなら、しかたがないな」 「すまんなぁ」
「しかし、あの女、可愛げな顔しちょるで。おまえの女か?」 「いいや、ちょっと、温泉津の稲荷町の宿で知り合っただけじゃ」
「しかし、おまえは、おなごにモテるのぉ」 「そげなもんじゃ、ないちゅうに」
それでも、藤左は、特別に見せてやると、言ってくれた。 十蔵は、不安そうな顔をして立っている女を、手招きした。
十蔵は、吹き屋の中に入るのを遠慮した。 もう何度も、中は見ているのだ。 藤左に、キヨをあずけた。 十蔵は、吹き屋の庭先で、立って待つことにした。
なかなかキヨは出てこない。 熱心に見ているのだろう。 十蔵は、吹き屋の片隅で腰を降ろす。 日頃の疲れが出たのだろうか、十蔵はいつの間にか、吹き屋の板壁に背中をあずけたまま、寝込んでしまっていた。 (つづく)
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