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作品名:石見銀山物語T 作者:沢村俊介

第12回   お芳のことを忘れたいと思う十蔵

 山の親方である、光右衛門の家でごちそうになった翌日、十蔵は、光右衛門の忠告もあったので、あまり気が乗らないものの、生まれ故郷の小浜に帰ることにした。

 昼過ぎに、大森(=佐摩)を出た。
 降露坂(ごうろざか)を越え、西田(にした)に出て、道を下り、清水(しみず)の坂まで来た。
 ここ清水からまっすぐ西に向かえば、小浜の町は近い。にもかかわらず、十蔵は、まっすぐに家に帰る気持ちにならなかった。
 理由はあまりわからない。が、あえて言えば、やはり、大坂城攻めに参加し、実は、坑夫たちの飯炊きの世話をしていた、などと、親父殿に言いにくかったのかもしれない。飯炊きという仕事は、十蔵にとっては、やはり、目立たぬ仕事としてしか思えない…。

 十蔵は、清水から松山に向かった。小浜に戻ろうとすれば、これでは大回りになる。松山の坂を降りる。ふところには、少々、銭があった。温泉津の湯に浸かって、骨休み(ほねやすみ)でもするかと思った。
 幸い、温泉津の町の旅籠(はたご)には、幼い頃、港の砂浜で一緒に遊んだ友が働いている。そいつのところを訪ねることにした。確か、旅籠の番頭をしているはずだ。

「久しぶりじゃの。大坂はどげんじゃった?」
 旅籠の番頭をしている茂三(しげぞう)が言った。
 十蔵は、茂三までが自分が大坂に行ったことを知っているのに内心驚いている。

「銀山の役人たちとも一緒での。それで、こっちが勝手なこともできず、大坂の町に、遊びに繰り出すということも、できんかったわ」
 十蔵はいかにも残念そうに言う。

「しかし、おまえも、戦場(いくさば)に行くなんぞ、相変わらず、命知らずのことよのぉ。もっとも、おまえは、昔から、よう、無茶をしよったが…」
 茂三は、やはり、地元にいて、友のことを心配はしていたらしい。

「そげなことはない。わしとて、命は惜しい。ともかく、大坂では遊べんかった。今夜は、羽を伸ばしたい。おまえんところに、いい女はおらんか?」
 十蔵は、茂三の旅籠に泊まる気持ちになっている。

「大坂の女はおらんがの。待てよ、昔、京都におったことがあるという女がおる。そいつを呼んでやろうか?」
 茂三が、そばまでやって来て、尋ねる。

「ああ、おまえに任せる」
 そう言いながら、十蔵は、土間を上がった。

 京の都(みやこ)から来た女ならば、と十蔵が期待したほどには、女はさほど別嬪(美人)ではなかった。顔の色は白いというより青白く、表情もさほど明るくはない。しかし、幼馴染の茂三が世話をしてくれたのだ、相方(あいかた)を換えてくれとも言えない。
 十蔵は、この女を抱くのをあきらめた。

 十蔵は、酒を飲みながら、畑中屋で働いているであろう、お芳のことを考えている。
 お芳が、自分のことを待っているような気がした。
 十蔵は、首を左右に振って、お芳のまぼろしを消そうとしている。
 この女と話をしていれば、少しは気も紛れるだろうと思った。

 十蔵は、やけになったように、よく食べ、よく飲んだ。とっくりが5本もひっくり返った頃から、この女は酒の注ぎようが心憎いと感じるようになった。

「おまえは、何ちゅう名だ」
「キヨといいます」
「京の都に居たのか?」
「ええ」
「番頭の茂三に聞いたんだ。あいつとわしは、幼馴染なんだ」
「そうでしたの」

 女はおとなしかった。
 要らぬことは言わない。
 が、こちらの話は聞いているようだ。
 十蔵は、この女なら、大坂での愚痴を聞いてもらえそうな気がした。

 十蔵は、女に、いや、キヨと言った女に向かって、大坂でのことを話した。
 相手にとってはつまらぬ話だろう。鉄砲や槍を使った、戦(いくさ)の話ではないのだ。穴掘りをする職人たちの食事のために、近隣の農家の家々を廻り、米や野菜を仕入れるなどという話は。
 しかし、十蔵は、自分の話が、相手のからだに吸い込まれていくような気がした。相手は、まんざら自分の話を聞くのがきらいではないらしい。

 十蔵は、キヨの背筋が伸びたような気がした。そのとき、キヨの口から、言葉が漏れ出していた。
「山から掘り出された鉱石って、ごつごつしていますよね。でも、そんなごつごつとした石から、なぜ、あんなにきれいで柔らかい銀が取れるのかしら?」

 十蔵は、きれいな、ふっくらとした、キヨのくちびるを見ていた。
(なんで、この女は、変なことを考えるんだ?)と、十蔵は思う。

『本気で、そんなことを聞いているのか?』と、十蔵は、じっとその女の目を見る。女は、『そうですわ』とでも言いたげに、まっすぐ十蔵を見た。
 やはり、こいつはここらあたりの女とは変わっていると、十蔵は思った。

 しかし、一風、変わっているとはいえ、この女がせっかく尋ねたのだ、答えてやろうと十蔵は思う。
 
 十蔵は、キヨを見て、口を開いた。
「まぁ、海の水から塩が取れるようなものだ」

 キヨが、少し、驚いている。海の水と、山の石では、まったくちがうではないか、と内心、思っている。が、目の前の男は、続けて、しゃべっていた。

「播磨(今の兵庫県)の方では、砂場に、海の塩水をかける。お天道(てんとう)さまに水気を吸い取ってもらうと、砂場には塩のかたまりが残る。佐摩(大森)では、松葉や藁(わら)の灰の上に、鉛と銀のまじった、たり鉛(たりえん)を置く。灰には、鉛だけを吸い取ってもらう。すると、灰の上には、銀だけが残る」

 キヨは、目を大きくしている。やはり、不思議なのだ、鉛だけが吸い込まれ、銀だけが残る、というのが。
 キヨは、頭の中で、ぼんやりと考えていた、鉛は重いから灰の中に沈み込むのだろうか。銀は軽いから灰の中に沈み込まず、上に残るのだろうか、それとも、何か、他の理由でもあるのだろうか、と。

 キヨは、そんなことを、聞こうにも聞けないでいた。
 目の前の男は、しゃべりを続けている。

「溶けた銀はの、特別の型に流し込んで、固めるのよ」
 十蔵は、そう言って、盃の酒を飲み干した。

 キヨは、「石見銀(いわみぎん)」という、丁銀(なまこ形をした銀貨)を思い出している。それは、死んだ母親が大切に持っていたものであった。

 母の話によれば、その丁銀は、石見の国の福光という村から、京都に漢方医の修業に来ていた男からもらったものだという。母の口から男の話が出たのは、それだけであった。

 まだ、キヨが京都の湯宿で働いていた頃、長崎商人の上谷貞信に、『これは、佐摩銀というてのぉ、石見国の佐摩村というところで取れたものよ』と言って、ある丁銀を見せてもらったことがあるのだ。
 キヨはその時、心の蔵が止まるほどに驚いた。それは、母が大切に持っていたものと、そっくりだったからだ。キヨは、上谷貞信に頼んで、それを手に取って、しみじみと眺めたものだ。それは、手のひらの、たなごころに、やわらかく、しっとりとおさまっていた…。

 母は亡くなる前、『その人はねぇ、漢方医をめざして、本当によく、学んでおられたのよ。でも、ある日、お侍さんに、おなかを刺されてね。その傷がもとで、亡くなってしまったのよ』と、涙ながらに語っていた。
 それ以来、キヨは、京都に修業に来ていたという、石見国福光村出身の男のことが頭から離れなくなってしまった。

 キヨは、とうとう、その男が自分の父親かどうかは、母から聞きだせなかった。しかし、キヨにとっては、その母親の話が、生きる「よすが」(頼り)になっている。それで、京都から、若い漢方医の郷里であった福光にすぐ近い、温泉津くんだりまでやって来たのだ。
 
 キヨは、その丁銀が作られていくところを見てみたいと思った。
 キヨは、うつむきかげんながら、目の前の男に言った。
「溶かした銀が、丸く固められるところを、わたし、見てみたいわ」

 男は、酒に酔って、とろんとした目で言った。
「いや、せいぜい、たり鉛から、銀のかたまりをつくるところまで、じゃの」

 キヨは、その男を、せっついた。
「それでもいいから、見てみたいわ、やわらかくて、ずっしりとした銀のできるところが…」

 男は、とろんとした目をしながら、言った。
「ええで」

「本当に?」
 キヨはうれしそうに言った。

「ああ・・・」
 男は、そうつぶやくと、目を閉じ、口を半分開けたまま、ごろりと横になってしまた。

 女は、すでに福光の村にも行っていた。そのとき、石とはいえ、とてもやわらかなもので、職人たちが細工をしやすいという、福石(ふくいし)という石材も見た。
 今度は、ひょっとしたら、吹き屋(精錬所)で、銀ができるまでの過程を見ることができるかもしれない。それが、とても楽しみに思えた。

 と、女は、いびきが聞こえるのに気づいた。女は立ち上がり、布団を持って来て、男の肩に掛けてやった。
                                 (つづく)


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