外で事故があった。 藤堂高虎の陣営の前で、土塁積みの指揮をしていた山師の、渡辺備後が、城から進み出た兵士に鉄砲でねらわれ、負傷を負ったのである。 しかし、渡辺備後は、まわりの者たちに、 「これぐらいのことで、びくびくするな」 と、どなった。そして、そのまま指揮を取り続けた。
この事件は、かえって、石見銀山の仲間たちの士気を高めることになった。 十蔵は、うらやましかった。 しかし、それを顔に出すことはなかった。 そして、すぐに気持ちを切り替えていた。 (わしは、わしに与えられた仕事をやり通すだけじゃ)と、自分に言い聞かせていたのである。
昼、茶磨山には、12月の乾いた寒空の下、山の者たちが土石の入ったかますを運ぶ際に発する、掛け声が届いていた。 また、夜、茶磨山の山頂からは、穴(トンネル)の掘り口から藤堂高虎の陣営の前の防塁のあたりまで、かがり火が点々と灯っているのが見えた。
十蔵は、子どものときから、母親が働く姿を見ていた。 十蔵は、杜氏たちが、徹夜で酒造りをしている時のことを思い出したのだ。
母親は、杜氏たちに生水は飲まさず、冷やしておいたお茶を勧めていた。 握り飯には、適度に塩をまぶし、杜氏たちがガブリと頬張ってもよいように、種をはずした梅干を中に入れる。たくあんも添える。味噌汁はやや濃い目にし、細ねぎを刻んだものも振りかける。それは、匂いもいいし、見た目にもいい。
十蔵は、ほとんど徹夜で食事の準備にあたった。 そして、仲間たちには、仮眠の前には、必ず手拭で汗を拭かせた。
12月16日、400尺も掘り進んだ時であった。 井伊の陣営の前から、国崩しという大砲が、大坂城に向かって打ち放たれたのである。 穴掘りと国崩しは大坂方に、相当、心理的な衝撃を与えたらしい。
さらに、念の入ったことには、徳川陣営は、大坂方の兵士たちに伝わるよう、『やがて、穴(トンネル)が天守閣の真下にまで掘り進められれば、そこで大量の火薬を爆発させることになろう』という風評を流した。
12月19日、ついに大坂方との講和が成立し、21日には陣払いすることが触れて回られた。
20日の夜、徳川の本営から、石見銀山の宿営に、酒樽が届けられた。 直会(なおらい)がはじまり、十蔵は、仲間から勧められるままに酒を飲み干してしまった。 ほとんど徹夜に近い状態が続いていた。 酒には強い十蔵ではあったが、さすがに、いつの間にか、人事不省に陥り、眠ってしまっていた。
ふと、十蔵は目覚めた。 そばに、久左衛門がいた。そして、吉三も一緒だった。
「おお、十蔵、目が覚めたかや」 吉三がうれしそうに言う。
十蔵は、何やら照れくさい。早めに酔いつぶれてしまったと思ったからだ。 照れくささを押し隠すように、問う。 「吉三、他のもんたちは、どがあした?」
「ほかのもんやちゃは、町へあそびに行ったわや」 と、赤ら顔をした吉三が答える。久左衛門とふたりで、今までかなりの酒を飲んでいたのであろう。
(なんで、吉三は、ほかのもんたちと、遊びに行かんかったんじゃろう?)と、十蔵は思う。
「十蔵や、これで大森に帰れるのぉ」 吉三が笑顔で言う。 「そうじゃのぅ、また、帰って、穴掘りをするか!」 十蔵は、うれしそうに答える。ふるさとの青い山が、目の前に見える。
「おお、そうじゃ、わしゃ、戦さはいやじゃ。大森の山で、銀を掘っておった方がましじゃ」 そう答える吉三に、十蔵は意外な面持ちがして、食い入るように吉三を見ている。
吉三も、大坂行きに張り切っていた人間の一人であった。出発前の大森では、吉三も、『わしらは、侍のように戦さに加われるんじゃ』と自慢げに、しゃべっていたのだ。
十蔵は、吉三の働きぶりを見ていた。そして、大工の甚左とも仲良くやっていた…。
「吉三は、よう、がんばったのぅ」 十蔵は誉めた。
「馬鹿こけ。皆の掛け声に励まされただけじゃ。それにのぉ、十蔵、おまえの作った握り飯は、大森の山で食ったもんと、ひとつだい変わっておらんかったぞ」 吉三の、その言葉は、まんざら、お世辞でもあるまいと、十蔵は思う。
最初は、飯の支度なんぞ、地味な仕事に思えて仕方がなかった。しかし、みんなが、うまそうに食事をするのを見て、十蔵は、うれしくなったきたものだ。そして、今、吉三から、握り飯の味を誉めてもらった。それに、何だか、母親のことがなつかしかった。そして、畑中屋で働いている、お芳のことが思い起こされた。
(あいつは、ちったぁ、わしのこと、想ってごしておるだろうか?) 十蔵の目の前には、大きな目に、うっすらと涙をにじませている、お芳の顔が思い浮かんでいた。 (地味な仕事じゃったが、けっこう、わしゃ、がんばった。これで、お芳の前で、胸が張れるかもしれんな)
田村久左衛門は、にこにこしながら、十蔵と吉三の様子を見ていた。 久左衛門は、山の者たちに感謝する気持ちで一杯であった。
(この者たちは、わしら奉行所の都合で、こうして大坂くんだりまで、連れて来られた。しかし、こいつらは、何という、いい仕事をしてくれたことか。いつか、山の者たちに、恩返しができるようなことがあればいいがのぉ…) 久左衛門は、酒盃を空けながら、そう思った。 (つづく)
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