市兵衛には、手に負えない子どもがいる。 (このはねっかえり者が…) と市兵衛は、腹が立つ。 そのくせ、息子のことが気になってしかたがないのだ。
市兵衛には、男の子は十蔵ひとりしかいなかった。 十蔵が、てっきり酒屋を継いでくれると思っていたのだ。
吉村市兵衛は、石見銀山に近い、温泉津の小浜で酒屋を営んでいる。 息子の十蔵は、15歳のとき、播磨(兵庫県)の酒屋に、杜氏の修業に出されていたのだが、嫌気がさして田舎に舞い戻ってしまった。 温泉津の港で、大きな帆船に伝馬船を漕ぎ寄せ、その積荷を砂場の奥にある市場まで運ぶ仕事をしていたのだが。 それも続かず、半ば家を出るような形で、大森にある石見銀山に入ってしまったのだ。
そして、このたびは、大坂に出かけるというのだ。 しかも、聞けば、戦(いく)さの手伝いだという。
「なんで十蔵が戦さに行かねばならんのだ。あいつは武士でもないのに…」 市兵衛にすれば、十蔵の身が心配なのだ。 「おとなしく銀掘りの仕事だけをしておればよいものを…」 つい、妻の多岐に愚痴をこぼす。
「じい様の血を引いているんでございますよ」 多岐は、いたってのんきである。
しかし、市兵衛にとっては腹立たしい限りなのである。 (十蔵のやつ、まさか、自分から手を挙げて、戦さに行きたい、などと言ったものではあるまいな…)
市兵衛に、娘は3人いる。 がしかし、息子は十蔵ひとりだけなのである。
若い者を大森までやって、十蔵に着物と酒を届けさせた。
がしかし、使いの者の話によれば、 『大坂まで行って来るが、親父には心配するなと伝えてごせ』 十蔵からは、それだけの言づけしかなかったらしい…。
市兵衛は、もっと詳しいことが知りたかった。 久利村に住む、多岐の兄に連絡を取る。 すると、石見銀山の役人と山師、掘り子(銀掘りの職人)たちの一行が、大坂城攻めに出かけるということがわかった。
(怪我をせねばよいが…。まさかに、鉄砲の弾や弓矢に当たって死ぬなんてことはあるまい…) 市兵衛は、額のあたりを曇らせていた…。
市兵衛は父親として何もできないことにいら立っていた。 生きておりさえすればそれでよいと思っても落ち着かなかった。
じっとはしておられぬ気持ちで、仁摩村の満行寺に行くことにした。 十蔵に、小さな掛け軸状になった阿弥陀様を持たせてやりたいと思ったのである。
「どこにおいでになります」 「ああ、いやいや、仁摩の満行寺まで行って来る。今年の報恩講の打ち合わせでな」 「そうですか。それなら、まぁ、気をつけて行きなされ」 「ああ…」
市兵衛は、若い奉公人を連れて、温泉津の小浜を後にする。小浜から仁摩までは、距離にして東へ約3里(12キロ)ほどある。 しかし、十蔵の無事を願い、道中、ときどき、念仏を唱えながらであるので、その道のりはそう遠くは感じられなかった。
「そう心配なされるな」 と、満行寺のご院家(寺の宗主)は言われる。 「家康さまも、御年、73歳になられるという。長期戦にはなりますまい。しかも、豊臣方の勇ましい武将は、関が原の戦いで、ほとんど討ち死にをしたらしい。さによって、今回、豊臣方は、城から盛んに討って出ることはありますまい」 ご院家は、慰めてくれた。 多少、市兵衛の心が落ち着く。 満行寺では、阿弥陀様を丸くたたんで木箱に納めてもらい、それを、連れて来た若い奉公人に持たせ、石見銀山にいる十蔵のもとに届けさせた。
帰りは、馬路の、琴ケ浜の砂浜近くの道を歩く。海をながめる心のゆとりもあった。振り向くと、高山が見えた。 (あの山の向こうに、十蔵がいる) 市兵衛の目の前に、十蔵の笑った顔が浮かんできた。 (親父殿に、よく似ている) 市兵衛は、心の中で、今は亡き父に、十蔵の無事を見守ってくれるよう、祈っていた。
銀山方役人の田村久佐衛門は、気が重かった。 上司である元締(もとじめ)から、銀山の穴掘りたちを連れて、大坂の城攻めに行くように言われたからだった。 (何の、鉄砲の弾がこわくて、さむらいと言えるか…)
元締の話によれば、大森の石見銀山の者たちは大坂で、徳川の神君(=徳川家康)さまの命により、「穴攻め」の仕事を仰せつかることになるという。
銀山からは、下財(銀掘り役)、手子(銀掘りの手伝い役)、柄山負(銀鉱石の運び役)など約300人の人間たちを連れて行くことになるらしい。 彼らは、色々な山から、かき集められる。
田村久佐衛門は腕組みをして考え込んでいる。 (ご奉行も、元締どのも行かれぬとなれば、これらの者を、わしが束ねていかねばなるまい。 御直山(奉行所直轄の鉱山)の者たちならば、奉行所の役人である、わしの言うことも聞いてくれよう。 しかし、自分山(民間経営の鉱山)の者たちをまとめるのは、きっと骨が折れるにちがいない)
田村久佐衛門は、奉行所を出た。仕事がはかどらないのだ。 わが家に戻る。 「どうなされました?」 妻の珠緒は、久佐衛門の顔が暗いのに気がつき、心配そうに尋ねている。
「いやなに、大したことではない」 「でも…」 「大坂に行かねばならなくなった」 「おまえさまが、銀を運ぶ一行に?」 「そんなことなら、よいが…」
と、玄関口に、人が入って来たような気配がした。 「こんにちは!」 威勢のいい声だ。
「おお、十蔵か」 久佐衛門は思わず立ち上がっていた。 十蔵は、幾分か、いかつい顔をしているが、何とも言えぬ、人懐っこい目をしている。
「いい魚が手に入りましたんで、持ってきました」 「すまんのぉ、いつも」 「今朝、馬路の友ガ浦の港で、上がったもんですわ」 「そりゃ、そりゃ」 久佐衛門は、もらった魚を目の高さまで挙げ、頭を下げて、十蔵に礼を言っている。 「十蔵さん、あがりんさいな」 久佐衛門の妻、珠緒が座敷に上がるよう勧める。珠緒にすれば、お茶でも飲んでいってもらわねば困ると思うのだ。
「いやいや、わしゃ、今日はこれで失礼しますわ。ところで、だんな、今度、わしも、大坂に行くことになりましたんで。よろしゅうたのんますわ」 「おおそうか。そりゃ、心強いのぉ、おまえが来てくれるとのぉ」
久佐衛門は、ほっとした。 幾分か、不安が解消されたような気がした。 十蔵は、御直山(奉行所直轄の鉱山)の者ではない。 自分山(民間人の経営する鉱山)の坑夫頭をしているが、実に頼りになる男だと、久佐衛門は思っている。
しかし、考えてみれば、十蔵と付き合いはじめて、そんなに時間が経っているわけではない。 最初に出会ったのは、昨年のことだった。
初代奉行の大久保石見守長安には、大変な働きがあった。 しかし、昨年、二代目の奉行として、竹村丹後守道清が、この石見銀山にやって来た。神君、家康公の覚えもめでたい人物だという。 その奉行が、就任後まもなく、個人経営の鉱山を見学したいと言い出された。 そのとき、田村久佐衛門も、奉行のお供をした。 そして、十蔵が働いている山に行ったのだ。 奉行の竹村丹後守は、ごあいさつをされた。が、そのとき、大勢の坑夫のなかで、ひとりだけ、昂然と顔を上げて、奉行の話を聞いている者がいた。 御直山の視察では考えられぬことだ。みんながみんな、頭を深く垂れて奉行の話を聞く。
奉行の話は終わった。 しかし、田村久佐衛門は、許しておけなかった。 生意気な男がいるものよ、と、その男のそばに行く。注意をして、今度から奉行さまの話ほ聞くときは、頭を下げさせようと思ったのだ。
久佐衛門が男に近づく。 が、なんと、がっちりとしたからだをしているではないか。肩幅も広い。 ちょっと臆する気持ちが生じたが、今さら引き下がるわけにはいかなかった。
「おまえは、何様のつもりだ。お奉行さまのお話は、きちんと頭を下げて聞くものだ」 「どうしてかね?」 のんびりとした声が、久佐衛門の耳に届く。
「どうしてか、と。あたりまえではないか、奉行さまだからだ」 「ふーむ、そうか。しかし、奉行さまといっても、わしらと何ら変わらぬな。目があり鼻があり、口がある。どこがどうちがうのか、わしは考えておった」 「……」 何と言うやつだ、と久佐衛門は思う。 (わしなどは、まだ、まともに、奉行さまの顔など、見たこともないというのに…)
「奉行さまも、わしらとおんなじ人じゃった。だから、御直山もない、自分山もない。おなじようにがんばって、銀を掘っていこうと思う」 久佐衛門は、ポカーンと口を開けて、十蔵を見た。
奉行の話も、『御直山の者たちとも仲良くやってくれ』という趣旨のものであった。そうすることで、この石見銀山全体での銀の量産が図られる、というものであった。 十蔵は、確かに、奉行さまの話を聞いてはいたのだ。あからさまに怒るわけにも行かなくなった。
「まぁ、今日のところは、大目に見てやろう」 久佐衛門は、そう言いおいて、十蔵のそばから離れていった。
しかし、それから、奇妙なことに、通り道で、十蔵によく会うようになった。 十蔵は、あの時のことは忘れたように、人懐っこい顔をして、あいさつをしてくれる。
後で、仲間の役人たちに、それとなく十蔵のことを聞いてみる。 十蔵は、相撲が強く、25歳にして、自分山ながら、鉱夫頭(こうふ・がしら)を務めているという。 そして、久佐衛門は考えるようになった、 (あいつ、生意気な男のようだが、存外、鉱夫たちを束ねる才を持っているのかもしれぬ)と。 (つづく)
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