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作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第9回   加代は副総督に家老の命乞いをする

 副総督の川路利恭は、さっきまでおもしろそうに、座敷のありさまを見ていた。
 しかし、頭の中では、別のことを考えていたのだった。

(新政府になってから、長州藩出身者と薩摩藩出身者の主権争いか。まったく、いやになる…)
 と川路利恭は思っている。
 
 主導権争いといっても、刀や鉄砲で、というわけではない。陰謀術策を用いて、公家をどう取り込むかということに尽きるのだが。

 鎮撫使一行とはいえ、一枚岩ではない。
 長州出身の兵と薩摩出身の兵とのいがみあいがある。
 だからこそ、上には、公家をいただいておかねばならぬ。公家は、少なくとも、われわれの重しには、なるのだ。
 
 川路利恭の頭の中に、総督である三位中将の顔が浮かぶ。
 ナマ白い顔だ。大した統率力もない。血筋だけで、人の上に座っている。
 あいつの下にいるかと思えば、ヘドが出そうだ。
 しかし、今、薩長が手をにぎるためには、公家という重しが必要なのだ。

 と、さっき、ひとりの娘を部屋から連れ出そうとして、失態を演じた河内山半吾が、宴席の真中に出てきて、白刃を持ち、剣舞を舞っていた。
 その白刃が、若い女の肩先に触れんばかりなのだ。
 その女、さっき、河内山半吾の刃の先から、刺身を口で抜き取って食べた女だった。
 ひょっとしたら、河内山のやつ、剣舞の最後には、さっきの腹いせのつもりで、白刃で女のからだを傷つけるやもしれぬ、と川路利恭は思った。

「河内山、もう、やめんか!。もう、その剣舞は見飽きた!」
 川路が、河内山にどなっていた。
「ふん、えらそうに!」
 河内山が、抜き身を頭上に構えたまま、不服そうにつぶやく。
「いやなに、わしは何も、わしの一存で言うておるのではない。三位中将さまの代理として、そなたに申しつける。もう、その剣舞はやめよ!」
 河内山は、上段に構えていた抜き身を、引き下ろした。
 はらわたは煮え返るようだったが、三位中将さまを持ち出されては、ここは、引き下がざるを得ない。

「そこの女、わしから話がある。わしの部屋に来い」
 川路は、河内山と揉め事を起こし、三位中将さまの顰蹙を買うのはごめんだと思った。
 戦さの手立てのことで揉め事を起こしたのではない。たかだか、女のことではないか。
 川路は、立ち上がって、宴席の部屋を出ていった。

 川路は、廊下を歩きながら、後ろを振り返る。若い女が付いて出て来ていた。
 川路は、後藤家の離れの8畳の間を自分の部屋としていた。
 部屋に入ると、川路は、付いてきた女に言った。
「お前は、みんなの座敷には戻るな。あの座敷には気違いがひとり居る。お前は、しばらく、この部屋におれ。わしと酒でも飲もう。そうだ、酒を持ってくるように、他の女たちに申せ」
「しかし…」
「もう、揉め事はたくさんだ」
 加代は覚悟を決めていた。
(この男は、後藤家で泊まっている一隊の中では、一番偉い人のようだ…)

 銚子と、それに膳も二つ運ばれてきた。
 加代は、副総督の川路に、酌をしている。
「お前、名は何と言うたかな?」
「加代と申します」
「いくつになる?」
「18になります」
「そうか、まだ若いのぉ」
 川路は酒が強かった。
 加代は、酒の酔いで頭が少しフラフラとしている。途中から、飲んだふりをして、咽喉を通さぬようにした。

 夜が更けて行く。
「加代、今晩はここに泊まっていかぬか?」
「まぁっ、なんてことを申されます。わたしは帰ります。父親が心配しておりますから」
「使いの者を出してやる」
「わたしの父親は、目が不自由なのです。わたしがついていてやらねば…」
「いや、加代。今夜、わしの伽(とぎ)をせよ!」
「いやでございます。わたしは松江藩から、お酌をするようにと申しつけられただけでございます」
「わるいようにはせぬ。わしはお前が好きなのだ。なんなら、今度の戦さが終われば、京都に呼んでやってもよい」
「まぁっ、そんなこと!」
「やがて、わしは新政府の軍隊の中で出世もしよう。そうなれば、父親ともども、わしが引き取り、面倒を見てやろう」
「まぁっ、お口のお上手なこと!」
「お前は、京都に連れて行っても恥ずかしくない器量良しだ。是非に…」
 川路は、いらだったように、手を伸ばし、加代の肩を抱こうとした。
 しかし、加代に、上手に身をかわされてしまっていた。

「副総督さま、それより、わたしには望みがございます」
「何だ!」
 川路は、鼻白んでいる。自ら盃に酒を注いで、飲んだ。

「わたしを、米子(よなご)に連れて行っていただけませぬか?」
 川路は女を見た。真剣なまなざしであった。
「なぜ?」

「総督の、三位中将さまに、お会いしたいのです」
「それはだめだ」
「なぜでございます?」
「お前のような、身分の低いものに、中将さまがお会いになるわけがない」
「連れて行っては、いただけないのですね」
「あたりまえだ。それに、お前、中将さまに会って、どうするつもりなのだ」
「お願いごとをしたいのです」

「どんな?」
「ご家老さまのお命を救ってください、と」
「はぁっ、ははははっ。馬鹿なことを申すな。そんなことを中将さまが、お聞き届けなさるはずがない!」
「やってみなければ、わかりませんわ」
「うん?」
「もし、わたしが、お会いして、叶わなければ、そのときは…」
「そのときは、どうする!」
「そのときは、その時は…。そのときは、わたしは、副総督さまの想われ人になりましょう」
「ぅむっ、ムムムッ!」
 川路は迷っていた。
 この娘、これだけの器量よし。しかも、気風(きっぷ)がよいが、どうも生娘のようでもある。中将とて、グラッと来るかもしれない。
 
 中将に、この生娘をあてがう…。
 おのれの出世にとっても、わるくはない話だ。
 
 松江藩の年寄り家老の腹わたなど、欲しくはない。
 要するに、松江藩から、鎮撫使一行400人分の遠征費用を出させれば、その方が、実益があるというものだ。
 川路は、腹の中で、ほくそえんでいた。
 
 しかし、その本音を目の前の女には、言わない。
「お前に、中将さまが果たして口説けるものかのぉ」
「やってみなければわかりません」
「そうか、そうか。それで、中将さまを口説けなかったあかつきには、お前は、わしの女になるのだな」
 川路は、じろりと、加代を見た。
 
 加代は、顔が青ざめていくのがわかる。
 自分はなんと言うことを言ってしまったのだろう。
 酒のせいだと思う。
 いや、この川路という、いやらしい男の手から逃れたいだけの詭弁だったかもしれない。
 いや、この川路という男の機転によって、酔漢の白刃から逃れられたのだとも思う。
 しかし、加代には、加代なりの意地というものがあった。
 自分は自分の手によって、ご家老さまの命を救ってみせる、と加代は思った。

「どうした、加代?。口説ける自信をなくしたか?」
「いいえ。是非、わたしを米子までお連れくださいませ」
「それで、よいのか?。叶わなかったならば、わしとの約束、必ず果たしてもらうぞ、いいな!」
「はい……」
 加代は、目頭が熱くなっている。
 顔を伏せた。
 熱いまぶたを閉じると、軍之進の顔が浮かんできた。
(軍之進さま、ゆるして…)                                                     (つづく)


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