20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第7回   どうにもならないふたり
 
 軍之進が、もう帰っていきそうな気配がして、加代は、あわてて呼びかけている。
「軍之進さん、ちょっと、歩かない?」
「えっ?」
 軍之進は、狐につままれたような顔している。

「このところ、物騒でしょ。でも、わたし、竪町まで行ってみたいの」
「……」
 軍之進は、黙っている。心の内では、加代さんと連れ立って歩くなんて、とても恥ずかしいことだと思っているのだ。

「いやなの?。いやならいいわよ。まだ昼間だし、わたしひとりで大丈夫だわ」
「いや、それは構わないのだが…」
 軍之進は、頭の中が真っ白になっている。

 加代が、もう歩き始めている。
 軍之進は、あわてて、後に付いて行った。
 天神町、白潟本町、竪町を通った。
 ふたりは並んで歩いているわけではない。

 加代のあとを、軍之進が、うなだれながら歩いているのだ。
 ふたりは、何もしゃべらない。
「ねぇ、軍之進さん、ここの竪町に昔、わたしのおうちがあったのよ」
「そうなの」
「ねぇ、もう少し、いいでしょ。わたし、床几山(しょうぎさん)に登ってみたいの」
 加代の顔が紅潮しているように軍之進には見えた。とてもきれいだなと軍之進は思っている。
 しかし、とにもかくにも、加代の申し出に、軍之進は黙って頷くしかなかった。
 雑賀の町並みを通り、床几山に向かう。 
 山といっても、小高い丘のようなものだ。
 しかし、ここは、昔、松江城をはじめて築いた堀尾吉晴が、ここに床几を据えて、城を築く場所を決めた、という言い伝えがあるぐらいに、見晴らしのよいところだ。
 頂きまで登ると、宍道湖を一望できる。
 東側に、宍道湖の中に浮かぶ、嫁ケ島(よめがしま)という小さな島が見えた。
 草叢に、ふたりは、腰を下ろした。
「ねぇ、軍之進さん、これからどうなるのかしらね、松江藩は…」
「……」
「鎮撫使の一行は、新政府への恭順の証しを示せ、と言って来ているんでしょ?」
「……」
「軍之進さんは、わたしには、何も言ってくれないのね」
「加代さん、ごめん。俺には仲間がいる。そして親友がいる。俺は、仲間や親友が裏切れないんだ」
「そぉっ!。わたしなんかより、はるかに、恩田さまが大切なのね」
「そういうわけでもないが…」
「わたし、知っているわよ。ご家老さまは、きっとご自分の命を賭けて、鎮撫使さまに、松江藩の安泰をお願いなさるにちがいないわ」
「どうして、君が、そんなことを!」
「わたしにだって、お城の様子ぐらい、わかるわよ」
「ああ、俺は、俺は、どうしていいか……」
「みんなで、米子(よなご)の本営に行き、総督さまにお会いして、ご家老さまの切腹だけはお許しをしてもらえるよう、お願いをしてみたらいいのに…」
「……」
「侍って、頭を下げたり、お金を出したりすることが、そんなにいやなの?」
「加代さん、武士には、武士の意地がある。俺たちは何も鎮撫使一行に逆らってはいない。それに新政府の方針には従うと言っている。それなのに、鎮撫使一行の兵隊たちは城下で狼藉を働き、藩に無理難題を吹っかけて来るんだ。そんな奴らにどうして、われらが頭なんぞを下げられようか…」
「お金を出して、お願いしてみることは叶わないの?」
「松江藩にはたくさんの武士がいる。鎮撫使一行に詫び料を支払えば、その分、藩の武士たちに支払う俸禄の財源がなくなる…」
「でも、その俸禄って、もともとは、みんなお百姓さんたちの年貢なんでしょ。年貢だけを当てにするなんて。それに、命を失くしてしまえば、それで終りよ。でも、お金をなくしても、それは一時的には苦しいでしょうけど、働けばそのうち、またお金は入ってくるようになるわ」
 軍之進は黙っていた。
 加代の言うことも、もっともなのだ。武士が藩から俸禄をもらえるのは、藩のために何か仕事をしているからだ。そして、藩の仕事をすることで、それがひいては良民の暮らしのためになるからだ。
 
 しかし、おのれのことを考えてみよ。
 おのれは、本当に藩のために日々、よき仕事をしているか?。
 そして、良民の暮らしが少しでも良くなるようにと願って、日々のお城勤めをしているのか?。
 良民から税を搾り取ることだけを考えずに、武士はもっと倹約とか貯蓄とかを考えるべきではなかろうか?。
 戦さがなかったら、武士だって、田畑で働くことを考えればいいんじゃないだろうか。鎌倉時代の武士たちは、田地を開墾し、戦さとなれば、いざ鎌倉へ、と駆けつけたものだ。
 武士が武士本来の仕事をしなかったら、もう武士はやめればいいのだ。
 がしかし、今まで、武士として安穏な暮らしをしてきたのだ。すぐに切り替えるというのは、たやすいことではない。
 自分だって、武士をやめれば、何をして食っていけばいいのか、わからない。
 やはり、こうなったら、鎮撫使の一行に切りかかっていくしかない。

「加代さん…」
「なに…?」
「俺は、俺は…」
「……」
「俺は、武士であることをやめられないんだ、かんべんしてください」
「……」
 軍之進は、目を細め、遠くの宍道湖の湖面を見ていた。
 加代は、そばの軍之進の体が震えているのがわかった。もしかして、軍之進さんは死ぬ気になっているのではないかと思った。
 そう思うと、加代は自分のからだすら震えてくるのだった。
 
 と、加代は横を見遣った。
 軍之進が顔を伏せていた。そして、指先で軍之進が目をぬぐっていた。
 軍之進は泣いている。

 加代には、何が起こっているのか信じられなかった。
 加代は、心の動揺を振り払うように立ち上がっていた。
「わたし、もう帰らなくては。お父さんのお仕事の手伝いもあるし」
 加代はそう言いながら、自分の顔が青ざめているのがわかる。
「ああ、そうだったね」
 軍之進の優しい声がした。
 軍之進は、草叢から、立ち上がる。
 宍道湖に夕日が沈もうとしている。
 軍之進は、加代の方は見ずに、宍道湖の方をじっと見ていた。
(加代さんには、目の不自由なお父さんがいる。お父さんの面倒を見てあげられるのは加代さんだけなんだ)
 軍之進は、心が疼いた。
 目の前の宍道湖の景色が、かすんでいくのに気がつく。
『加代さん、俺は名ばかりの武士。ごめんなさい』
 軍之進は、胸を反らしていた。沈む夕日の風景に重ねて、軍之進は加代の面影を見ていた。その幻とも言える面影に向かって、軍之進は心の中で詫びていた。

 加代は、軍之進の後について、床几山を降りていく。
 軍之進は、決して後ろを振り向かなかった。ましてや、加代に手を差し伸べようともしなかった。
(加代さんを幸せにできるのは、俺ではない)
 軍之進は、心の中でつぶやいていた。
 涙がこぼれそうになる。
 胸を反らす。顔を空に持ち上げる。そして歯を食いしばって歩いた。

 加代は、先を行く軍之進の肩先を見つめていた。
 軍之進の肩や背中からは、すべてのものを拒絶するような気配が感じられた。
 加代は、泣きそうになる自分に気づき、顔を落としていた。が、目に涙がにじんでくる。
 加代は歩きながら、心の中でつぶやいていた。
『命を大事にしてね。そして、恩田さまの妹さんみたいな武家の娘さんと、幸せな所帯を持ってね』
                                  (つづく)


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 8565