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作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第6回   お互いを気遣い合う二人

 加代は、田島という与力の言った言葉を思い起こしていた。
 宴席に出なくてはならないだろうとは思う。しかし、急に、軍之進の身の上のことが心配になってきた。
 
 あの時、大橋の南詰めのところで、からんで来たのは、鎮撫使一行の酔漢たちなのだ。
 その難儀なところを、軍之進が助けてくれたのだ。
 悪いのは、軍之進ではない。
 しかし、それによって、軍之進が鎮撫使一行の兵士にうらみを買い、軍之進の身に災難が降りかかるのは、いやだった。
 軍之進の身に、もうすでに、面倒なことが起こっているのではないだろうか。加代は気になり、うちを飛び出していた。
 
 向かう先は、文武修道館だった。軍之進は修道館に通っている。
 白潟本町の豪商、後藤九八郎の屋敷に行く時間には、まだ十分、間がある。

 加代は、小走りに道を行きながら、たとえ、軍之進に会えなくても、修道館には下足番(小使い)の源爺(げんじい)がいると思った。
 
 源爺との付き合いは、かつて御手船場の河岸で溺れかけた男の子を軍之進と一緒に助け上げ、軍之進恋しさから、修道館を訪ねてきて以来だから、もう3年になる。

 源爺なら、何か軍之進のことを知っているかもしれない。これまでも、軍之進のことは、源爺から聞いていたからだった。

 加代は、修道館の剣武道場に着いた。しかし、稽古はされていなかった。
「お加代さん、どうなすった?」
「あっ、源爺」
 加代が振り向くと、修道館の下足番の源爺がいた。
 
 源爺の笑顔がいい。加代の心が和む。
「お加代さん、今日は、稽古はお休みだよ」
「あらっ!」
「どうしたもんかねぇ。若いもんときたら、近頃は、寄り合いばかりで。剣の修行もおろそかになっているみたいだのぉ」
「源爺は、お休みにしないの?」
「いやいや、わしは、毎日、こつこつとやるのが性に合っておるでのぉ。それに、若いもんたちの日々の成長が楽しみで、こうして毎日、修道館に来ておる」
「ねぇ、源爺、教えて。石川さまも、恩田さまも、その寄り合いには熱心なの?」
「ああ、どうも、そのようじゃ。あの二人はまた格別に、正義感の強い若者じゃから」
「石川さまは、恩田さまの家にも行って、そういうお話をされるのかしらね?」
「いやいや、そこまでは、このわしにもわからん。ともかく、あの二人は仲がいい。互いに、互いの家を行き来しているらしいが…」
「源爺、恩田様のところには、ひとり、妹さんがおられるのよね」
「ああ、確か、八重さんとか言ったな…」

「どんな人なのかしらね」
「うわさでは、気立てのいい娘さんだと聞くが…」
「恩田さまの妹さんだもの、器量もきっといいわよね」
「そがぁなこと(そんなこと)、わしに聞かれてもなぁ。わしゃ、八重さんと会ったこともないし…」

「ううん、わたしには、わかるの」
「はぁ、そういうもんかのぉ。じゃが、わしゃ、加代さんも、気立てもええし、器量もええと、思うがのぉ」
「まぁっ、源爺ったらぁ」
「いやいや、すまぬ、すまぬ。じゃれごとを言うてしもうた」

「でも、石川さまも恩田さまも、これから、どうなさるのかしら」
「若いときは、血が騒ぐもんでなぁ」
「源爺も、そうだった?」
「ああ、そうだった。わしは、些細なことで喧嘩をしてしもうて、侍を首になったんじゃ」

「まぁ、そうなの。戦さはなかったの?」
「侍として、戦さには出んかったのぉ。長州征伐のときは、もう、侍はやめておったし。そのときゃ、わしゃ、小荷駄隊として、鉄砲、弾薬、食糧の運び人足をしておったし。そいで(そして)、長州が、多伎まで攻めてきたときも、松江藩の陣営張りの手伝いをしておっただけじゃった」
「そお、長州軍が多伎まで、攻めて来たの?」
「そぉじゃ。長州の大村益次郎の兵がのぉ、津和野を通り、益田を攻め、浜田の城を攻め、多伎の村までやって来た。松江藩と、長州藩とが、その多伎の村で、にらみ合ったのじゃぞ」

「どうして男の人って、戦さが好きなのかしらね」
「どうしようもないのだ。男には、闘争本能というのがあっての」
「命を無駄にするなんて、わたしには、わからない」
「男というものはなぁ、命なんぞより、体面だの意地だのを大切にするところがあるんじゃろ」
「いやいや、そんなのは、いやっ!」


 軍之進は、家に居ても落ち着かなかった。胸騒ぎがするのだ。
 まさか、とは思う。
 
 いやしくも鎮撫使一行の兵士なのだ、馬鹿なことはすまいと思うのだ。
 確かに、大橋のたもとで起きたことは、彼らには屈辱だったかもしれない。しかし、加代さんとおじさんに、仕返しをするなんてことはしないだろうと思うのだ。仕返しをするなら、この俺にすべきことだ。
 そうは思いながらも、加代さんたちのことが、軍之進には心配であった。兵士たちが加代たちの家を見つけ出し、再び狼藉を働くことはないだろうか気がかりでならぬのだ。
 軍之進は、家を出た。

 売布神社の前にさしかかる。
 と、軍之進は、向こうからこちらへ、加代が歩いて来るのに気がつく。
 胸が震える。
 しかし、勇気をもって、前に進む。
「加代さん!」
「あっ、軍之進さん!」

「あの、このあいだの、大橋南詰めの一件で、あれから、変わったことはないよね」
「えっ!?」
「いや、鎮撫使一行のやつら、また、加代さんたちに、いじわるなことをしていないか、気になって」
「まぁ、心配してくれているのね」
「いや、その、心配というより、彼らのことだ、もしかして執念深く付きまとったりしていないかと思って…」
 加代は、軍之進の顔をじっと見ている。
 軍之進の顔が赤らんでいる。その赤味の差している顔を見ると、胸がドキドキする。
「そんな。そんなことないわ。そんなしつこいことなんか、するはずないわ」
「ああ、よかった。付きまとわれたりしていないんだね」
 軍之進の顔がさらに赤くなった。
 でも、ほんとうにうれしそうな顔をしている軍之進に、加代は、なぜか、どぎまぎしている。
 でも、加代は、軍之進に、今晩、鎮撫使たちが泊まっている後藤家に、お酌をしに行くということが告げられないでいた。                                                      (つづく)


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