20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

最終回   死への旅立ち

(これでやっと苦しみから救われる)
 軍之進は、旅の支度をはじめていた。

 が、その支度をしながらも、加代の面影がちらつく。

 加代は、敵の大将に身を売ったのだ。
 しかも、そうまでされながら、敵の大将を好きになったのかもしれない。
 そうでなければ、気が触れたように歩き回るはずがない。きっと、敵の大将に捨てられたことが、よほどの衝撃であったのにちがいない…。
 がしかし、そんな加代を慰めてやることもできない。
 軍之進は、このまま首でもくくって死にたかった。

 しかし、恩田清介の死ぬ間際の顔が思い浮かぶのだ。
 そして、恩田の顔が軍之進に迫ってくる。
『石川、頼む、八重のことを頼む!』
 軍之進が死の淵に行こうとするのを押しとどめるものは、恩田の最後の言葉だった。
 
 戦に出かければ、生きて帰れるわけでもないのに、結局、八重さんに、何か期待を抱かせるようなことを言ってしまった…。

(優柔不断なために、八重さんにも、結局、迷惑をかけてしまった…)
 軍之進は、ほぞをかんでいた。

 奥羽行きの兵士たちの一行が、松江の城を出立した。
 一行は、京店を過ぎ、松江大橋に向かう。
 大橋を渡ると、八軒屋町を過ぎる。
 和多見の河岸には、松江藩の艦船が2艦、横づけされていた。
 第一八雲丸(329トン)と、第二八雲丸(182トン)であった。

 松江大橋の橋上から、城下の町民が、欄干(らんかん)から身を乗り出さんばかりに、手を振り、兵士たちを見送っていた。

 藩旗のはためく2艦が出立する。

 軍之進は、艦船の上甲板に立ち、小さくなっていく松江城の天守閣を見つめていた。
その天守閣の向こうの空に、加代の顔が浮かぶ。
 加代のために何もできなかった。
 加代のために何もしてやれなかった。
 悔やまれる。
 今、この甲板から大橋川に身を投げたいほどだった。

 しかし、今、ここで死ねば兄上にも迷惑がかかる。
 戦さ場まで行かねば、そして、敵に立ち向かい、そして、鉄砲の弾を、この頭に、この顔面に、この胸に受けなくては…。
『さようなら、加代さん。ごめんなさい。俺は、本当にはあなたのことを愛していなかったのです』
 軍之進の目から熱い涙がしたたり落ちていた…。

 松江大橋の湖畔の太い柳の下に、銀杏返しの髪を少しくずした、若い女が立っていた。しかし、覚束ない足もとである。
 黒襟のかかった、素袷をアダに着こなしてはいるが…。
 女は、加代であった。
 加代は、食い入るように、大橋川を下っていく艦船を見ていた。

 血の気のない顔だった。
 が、その目から涙が流れ落ちている。
 そして、涙の流れる道筋に、化粧が取れていく…。

 加代は、遠ざかっていく艦船をいつまでも見送っていた…。
 もう低い空には黒い煙だけがたなびいている。
 広い川下に、もう艦船の姿はない。
 加代は、ゆろめき、太い柳の下の幹に、思わず、すがりつく。
 すがりついたとたん、加代は、再び熱い涙をあふれ出し、木の幹に爪を立てながら、嗚咽していた。
                               ――完――
(注)「玄丹 お加代」(村松 駿吉 著)を参考にした。


← 前の回  ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 8565