公望は、その場を去り難く、じっと座っていた。 しかし、公望は、女の吐息、そして、女の匂いに、また、自分を失いつつあった。
(あやまちは繰り返してはならない) 理性はそう囁くのだが、公望の欲望は、理性の働きを無視しはじめている。
(加代は、安来からここへ帰らなくてもよかったのだ。安来から松江のわが家に戻ればよかったのだ) 公望は、おのれの欲望が膨らむのを、加代のせいにしはじめた。
(一度、間違いを犯してしまったのだ、もう一度ぐらい…) 公望は、加代がまったく自分のことを拒絶しないことをいいことに、ふたたび、両腕を加代の方に伸ばしていた。 その手を加代の肩に置く。 加代は、その手を払おうとはしない。 公望は、加代の顔を両の手にはさんでみた。 加代の瞳の奥は深い。 (何を考えているのだろう?) が、公望は、おのれの欲望のままに、加代のくちびるを、吸っていた。
幸い、抵抗はなかった。 くちびるからうなじへと、公望の唇が動いていく。
加代は、涙を流している。軍之進への詫びと、自分の無力に対する悲しみであった。 (なぜ、このお城に、ふたたび戻ってしまったのだろう?) 加代は悔いていた。 そして、絶望したような、軍之進の、暗い目が浮かんできた。
公望の手が、胸の着物の併せの中へと、忍び込もうとしていた。 「アッ、いやっ!」 「やはり、そなたには愛しい人がいたんだ」 ビクンと公望が半身を起こし、加代の顔を見遣る。 「……」 加代は何も答えず、目をつむっていた。
「でも、わたしは、そなたが好きだ」 公望は、再び、加代のくちびるを奪おうとした。
が、加代はもがきながら、公望の体を突き放した。 「いやっ」 「どうして、そんなことを言うのだ。そなたは、安来のお寺から、もう松江の城下に戻ってもよかったのに…」 「……」 加代は、黙っているものの、心の中では、公望のことを怒っている。
『この書き物を検使役の役人に渡したら、もう一度、帰ってきてくれるね。もう一度、このお城に帰ってきておくれ。必ずだよ』 そう、出掛けに言ったのは、おとのさまの方じゃないの?と、加代は心の中で思っている。
「でも、加代は、わたしのところへ帰ってくれた、うれしいよ」 耳元で、男の声がする。男は、また、しっかりと抱き締めて来た。
「あああっ、おとのさま、ゆるして!」 「いやだ、いやだ、わたしは、加代のことが好きなのだ」 「どうして?」 「わたしは弱い、でも、そなたには、わたしにはない強さがある」 「そんなこと!」 「わたしは、どんなに高い地位にあろうとも、昼間は弱いのだ。だから、せめて、今、こうしている時だけは、そなたよりは優位な立場に立っていたい」 「いやです」 「お願いだから」 「だったら、昼間、評定の席でも、強くなって。あなたは総督なのでしょ!」 「……」 公望は、落ち込んでいる。 「わたしのために、昼間も強くなって…」 公望は、加代に励まされている。 「ああ、わかった、だから、今は…」 公望は、甘えるように、加代の胸に取りすがった。 加代は、そんな子どものような公望を拒否できなかった。
公望は、加代に甘えながら、徐々に、雄になっていく。
加代は、公望に抱かれながら、だんだんに、捨て鉢な気持ちになっていた。 (もう、軍之進さまの許には戻れない…)
加代は、痛みに耐え、悲しみに耐え、涙を流していた。 そして、いつのまにか、時が過ぎ、加代は、ふと、我に返っていた。
加代は目を開けた。 と、目の前に、公望の顔があった。 公望は、眠っていた。 それは、とてもあどけない顔だった。 加代は、乱暴をされたにもかかわらず、そんな公望に、思わず微笑んでいた…。 (つづく)
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