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作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第22回   加代を抱いてしまったことを悔いる公望

 公望は、加代が安来から、この米子の城に戻って来たことを知っていた。
 聞けば、加代は寝所で臥せっているという。

(どうしたというのだろうか?)
 しかし、公望は寝所にいる加代のところに行けない。
 
 加代が、家老赦免の奉書を持って出かけてから、公望は、副総督の川路から告げられていたのだ。
「総督、家老の命は助けました。しかし、松江藩から金は出させましょう」
「なにっ!、何のことだ」
「軍の用途金でございます。つまり、われらが京都より参った遠征費にございます」
「しかし…、出すかな?」
「出させるのでございます」
「大丈夫かな?」
「松江藩では、若侍たちの間に不穏な動きがございましたが、どうも、藩の上層部が押さえたようでございます。されば、われら官軍の軍用金の要求も、飲むでありましょう」
「で、いくらなのだ?」
「30万両にございます」
「………。出すかな?」
「出させます。もし出さぬとあらば、奥羽の佐幕派追討のため、松江藩より、藩士1,000人を兵士として差し出せ、と申し付けます」
「……」
 公望は、総督の地位にありながら、副総督の川路に、反論ができかねていた。
 加代のために、家老助命を、川路に無理矢理飲ませた後ろめたさがあったのだ。

 家老の命は助けてやった。
 しかし、まだまだ松江藩(出雲藩)への無理難題は続いている。
 公望としては、加代に合わせる顔がなかったのだ…。

 夕飯になっても、加代は部屋に閉じこもったまま、出て来なかった。
 公望は、さすがに心配になった。
 食事を済ませると、いそいそと加代の部屋へと向かう。
 襖をそろりと開ける。
 加代は、向こう向きになって寝ている。
「加代、わたしだ…」
「……」
「食事も執らず…。わたしは心配なのだ」
「……」
「どうかしたのか?。気分でもわるいのか?」
「……」
 公望は、加代に近づき、布団の上から、少し、加代の肩口をゆすってみる。
 すると、加代が肩で、いやいやをした。
「どうしたのだ、そなたの顔が見たいのに…」
 加代がそっと寝返りを打つ。そして、こちらを見遣る。
 目には涙があふれていた。
 公望は胸を突かれている。
(われが、無理矢理、からだを奪ってしまったからであろうか?)

「加代、安来の寺で、何か、あったのか?」
 公望は、おそるおそる、尋ねている。
 返事はない。

 加代は、こちらをじっと見つめている。
 その目は、決して恋しい男を見つめる目ではない、と公望は思う。
 
 公望は、視線を落とす。
「加代、すまぬ、すまなかった」
「……」
 公望は、意を決したように顔を挙げて、加代に言った。
「加代、すまぬ。そなたが、家老助命の命令書を持って、この城を出ていってから…」
「……」
 加代の目が少し、見開かれたような気がした。
 おびえながらも、公望は続ける。
「副総督に脅され、また、松江藩に無理難題をふっかけるはめになってしまった…」
「……」
「軍の用途金を差し出させることにした…」
「すまぬ。このとおりだ、そなたにあやまる」
 公望は、頭を下げる。

「おとのさま……」
 耳元に、か細いながらも、加代の声が届く。
 少し、公望は安心する。

「わたしは、やはり公家だ。肝っ玉が据わっていないようだ」
 公望は、顔を上げられない。
「で、おとのさま、いかほど?」
「30万両じゃ」
「そのことは、おとのさまが申されてはなりませぬ。副総督さまの口から直々に言わせるのです。松江藩の家老たちが居並ぶ前で。そして、それからしばらく時を置いて、おもむろに、おとのさまが、15万両でよいと、お告げなさって…」
「えっ!」
「そうすれば、おとのさまのお顔が立ちます。おとのさまは上席家老のお命もお助けになったのです。しかも、今度は、軍用金も、半分に値下げをなされるわけです。これで、きっと、松江藩の家老たちも、おとのさまの言うことを、聞き届けますわ」
「加代…」
 公望は、驚いたように、加代の顔を見遣っていた。
 
(本当に、この女、われと年が同じなのだろうか?)

 公望は、寝所を去りがたく、じっと正座をしたまま、加代のそばにいた。
 
 加代も、起き上がって、着物の併せを整わせながら、布団の上に座っている。
 その加代の横顔が、冴えたように美しく、そして、その目が燃えているように思えた。
 公望は、ひょっとして、加代には好きな男がいたのではないかと思った。

「加代、そなたは、どうして、こうまでして、家老の助命を願い出たのだ?」
「ご家老さまには、ご恩があって…」
「しかし、それは、そなたの父親のことであって…」
「父は、病に罹って、視力を失いました。そして生きる気持ちも失ったのです。ご家老さまは、その父に生きる希望を与えてくださったのですから…」
「それだけか?」
「……」
 加代は一瞬、軍之進のことを想った。
 軍之進は、鎮撫使一行の酔漢たちに乱暴されそうになったとき、助けてくれたのだ。しかし、酔漢たちにすれば、腹の虫はおさまらない。軍之進に、これ以上の災いが降りかかるのだけは避けたかった。だから、自分は、藩の家老や与力の命令で、後藤家に泊まっていた鎮撫使の幹部たちの酒盛りに、酌婦として出かけたのだ。しかし、それは小さなことだと加代は思った。

「おとのさま、わたしは何も、松江藩を救おうなどと大それたことを考えたのではありませぬ。ただ、父がお世話になったご家老さまのお命を助けたかっただけにございます」
「ああ、そうなのか。わたしは、てっきり…」
「えっ?」
「いいのだ、いいのだ。それにしても、わたしはそなたを抱いてしまった。家老の命と引き換えに、なッ」
「……」
「ゆるしてくれ、加代…」
 公望は、頭を下げた。
 目を瞑る。
 本当に申し訳ないと思う。

 と、女のからだから、何か、とてもいい匂いがしてきた。
 きっと、女は、正面を向いたのだろうと思った。それを確かめるように、公望は、目を開き、顔をゆっくりと挙げた。

 加代の目と、目が合う。加代の目が濡れている。
 その目に魅せられたのか、公望は、胸がキューンと絞られるような気がした。
 が、そんな胸の内を悟られては恥ずかしい。
「さぁ、加代、ゆっくり休むのだ、からだを休めれば、また、心も元気になれる」
 公望は、加代の肩に手を掛け、そして、加代を寝かせつけている。
 加代を寝かせつけてから、公望は、半身を起こし、立ち去ろうとした。
 しかし、身が起こせない。
 見ると、加代の腕が伸び、自分の肩口に、加代の手が掛かっている。
 公望は、動揺している。
 動揺して、思わぬ言葉を加代に吐いていた。
「加代、そなたには好きな男がいたのではないのか?。今なら、まだ間に合う…」
 加代の目が、見開かれた。
 しかし、加代は、顔を左右に、いやいやとでも言うように、振っている。
 その加代の目から、涙が一筋、流れ出た。

「加代、そなた…」
 公望には、本当のところはわからなかった、加代に好きな男がいたのかどうか…。ただ、カンを働かせて言ってみただけなのだ。
 でも、加代の反応は大きかった。
(ひょっとしたら、本当に、加代には、好きな男が…)
 しかし、今は、加代がいとおしくてたまらない。

 公望には、もう、加代の小さな、紅色のくちびるしか見えなかった。
 そのくちびるの甘さと柔らかさを、公望は、すでに経験しているのだ。
 公望の頭の中から、理性が吹っ飛んで行ったような気がした。

 公望は、破れかぶれの気持ちになっていた。
 目を閉じ、顔を加代に近づけていく、くちびるを求めて。
 唇が、加代のくちびるにそっと触れた。
 柔らかく、湿っぽい。
 頭の中を、電流が流れる。

 加代は逃げない。
 公望は、手を伸ばし、加代の肩を抱いていた。
 加代をすぐに抱き寄せる。

 加代のくちびるは甘かった、そして、いい匂いがした。

 くちびるを重ねていると、公望の頭の中が、麻痺し、蕩けて来る。
(これ以上進めば、また、われは、加代を傷つけることになる…)
 加代のくちびるから、おのれの唇をはずして、加代に告げる。
「加代、すまなかった…」
 加代は、顔を伏せ、目を閉じていた。
 加代の額のあたりに、公望は、何かしら悲しさのようなものを感じる。
 加代には好きな男がいたのに、加代はわれのために、体を開いてくれた。

 あやまちを二度と繰り返してはならぬ…。

「加代、すまなかった。でも、おまえのために、これからも、精一杯、やれるだけのことはしよう。だから、許してくれ」
 公望は、加代の肩に置いた手をはずし、深く頭を垂れた。
                                (つづく)


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