20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第21回   家老の切腹の時、加代が現れる

 軍之進は、安来の常福寺の書院にいた。
 家老は、昨夕も、そして今朝も食事を執られなかった。

 四つ半の刻(午前11時)になった。
 本堂の前庭に、幕が張られている。本堂から幕のところまで、筵(むしろ)が通路のように敷かれていた。
 筵の通路を進むと、幕の中央には、むしろが一面に敷きつめられており、その上に畳が2枚ほど、裏返しにして置かれていた。
 家老は、向き合っている検使役にあいさつをされる。
 そして、端座された。
 その家老のそばに、介錯役として、太刀を持った軍之進が立っていた。

 軍之進は、なかなか気持ちを落ち着かせることができなかった。
 が、目を瞑り、気持ちを集中させようとしていた。

 と、そのときであった。
「お待ちください、お待ちください!」
 女の、叫ぶような声がした。
 軍之進は目を開けた。

「こらっ、待て。ここは女の来るところではない!」
「いえ、わたくしは、総督さまの使いのものにございます」
 軍之進は女を見た。そして、血の気を失っていた。
 加代だ、加代がいるのだ。

 しかもその加代は、まったく軍之進のいることすら、気がついていないのだ。しかも、何という派手な模様の振袖(着物)を着ているのであろうか。
 そこには、軍之進の見知らぬ加代がいた。

 加代が、両の腕を伸ばし、高々と奉書を検使役に差し出そうとしている。
「ご検使さま、ここに、西園寺総督さまからのご奉書がございます」
 検使役は、急いで奉書を取り上げ、それを開き、文面に目を走らせている。
 検使役が、奉書から目を上げた。
「待て、切腹は待てッ。切腹は相成らぬぞ。この奉書にご赦免とある。しかもこれは確かに総督さまの直筆じゃ」

 刀身を、だらりとぶら下げたまま、軍之進は、加代を見ていた。
 からだが震える、なぜかはわからない。

(加代は、こんなにも美しい女だったのか)
 
 その美しさゆえに、今、軍之進にとって、加代の存在が遠くに感じられるのだ。
 加代の身に何かあったとしか、軍之進には思えない。

 加代は、軍之進の顔を見た。
 加代は、あっと心の内で叫ぶ。
 軍之進の顔が怖い。眉が、目が、吊り上がっているのだ。

 加代は、軍之進の顔を見てはならぬとばかり、着物のたもとで顔を覆い、大地にうつ伏していた。

「加代、おまえは…」
 軍之進は、心の内で言葉にならぬ言葉を発していた。
 頭が真っ白になっている。
 そして、今にも、頭から前にぶっ倒れそうな気がした。が、気力で、前のめりになりそうなおのれの体を、真っ直ぐにと、支えている。

 加代は身を売ったのだ、こともあろうと、にくき敵の大将に。
 軍之進が、がっくりと膝をおとし、大地にへたりこんだ。
 うっすらと涙が目ににじむ。
 顔の皮が、にかわでも塗られたように、こわばる。

 ふと、軍之進が、顔を挙げた。
 乱れた島田の後ろ髪。よろよろとして、加代が立ち去っていく。
 しかし、気が抜けたようで、軍之進は立ち上がれない。

「これっ、軍之進、女の後を、女の後を追ってやらぬか。捨てては置けぬ」
 軍之進は、家老の声がしたような気がした。
 よろよろと立ち上がる。
 加代の後を追っている。

 石段のところでやっと、追いつく。
「加代さん、待ってくれ」
 
 加代は立ち止まった。しかし、後ろを振り向かない。
「どうして、どうして!」
 軍之進は、おのれの声が涙声になっているのに気がついた。
 しかも大きな声が出せない。
 なぜだろう、体の中から力が抜けているのだ。

「あの総督さま、若くてきれいだわ。わたし好きだわ」
 軍之進は、加代が何を言っているのか、わからない。
 しかし、無性に悲しいのだ。
「加代さん!」
 呼びかけながら、軍之進は、涙を流している。
「待っているの、わたしのことを、総督さまは。もう一度帰ってあげなくては…」

「加代さん!」
 軍之進は、足が前に進まない、加代を追っかけようとするのに。
 目の前がかすみ、もう何も見えなかった。涙のせいで、いや、あまりの衝撃のせいで、何も考えることができなかったのだ。

 目から流れ出る涙をしきりにぬぐう。遠くで、加代が黒い駕篭に乗り込むのが見える。
『加代さん!』
 軍之進は叫ぶが、声が出ない。石段の上にへたり込んだまま、動けない。

 その加代の乗った駕篭が見えなくなるまで、ずっとずっと軍之進は見送っていた。

 駕篭が見えなくなって、軍之進は、大地に額をくっつけ、頭を両の拳で叩きつけながら、おのれをいじめていた。
 涙が、後から後から止めどなく、流れ出てくるのだった。
                              (つづく)


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 8565