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作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第20回   軍之進の親友が自らを恥じて腹を切る

 恩田清介にとって、家老の落ち着き払った様子は、意外であった。
(ご家老は、ご自分の命など、少しも惜しんではおられぬ…)

 家老の声が、恩田清介の耳に入ってくる。
「恩田、軍之進を責めてはならぬ。もし、おぬしたちが、わしを連行しようというのなら、わしはこの場で、切腹をする。ただし、わしの首だけは、すぐに安来の常福寺へ届けてくれ。検使役の皆みなさまが、待っておられるからの…」
 恩田清介は、家老の言葉が、胸にずしりと入り込んだような気がした。
 そして、白刃をダラリと投げ出してしまっていた。

 ここで、家老に腹を切られたら、元も子もなくなる。自分たちの企てそのものが無になってしまう。家老を人質としなければ、決起は、単なる無謀な集団の戯れに成り果ててしまうのだ。
 恩田清介は、頭の中が真っ白になっていた。

 見ると、家老は、地べたに、座られており、腰の小刀を抜き放とうとされている。
 それを軍之進が止めようとしていた。
 恩田清介は、なぜか、それらを正視することができないでいた。
 そして、家老と親友であった軍之進に、背を向けてしまった。

 軍之進は、ご家老の切腹を止めようとしていた。
 やはり、この道端での切腹は、ご家老の権威にかかわると思うのだ。が、その時、軍之進にとっては敵側であり、しかも家老を奪うはずだった若侍たちが、家老の周りにバタバタと集まり、座り込んで、頭を垂れているのに気がついた。
 そして、若侍たちも、みなが一様に、家老が、この場での切腹を思い留まられるよう、熱望していることがわかった。

「おい、恩田はどうした、恩田がいないぞ!」
 家老が、切腹を思いとどまられ、再び駕篭の中に入られ、みなが、ほっとした時だったのだ。
 軍之進は、蒼くなっている。
 胸騒ぎがしてならない。
 立ち上がって、あたりを見渡す。
 遠く、草叢に向かって、走り去っていく人影が、ふたつばかり見えた。その姿は、だんだん小さくなっていく。

(あっ、あの中に、恩田がいるにちがいない!)
 軍之進はすでに駆け出していた。恩田清介たちの後を追っていく。

 と、人影が見えない。
 軍之進は息切れがしていた。
 走るのを止め、回りを見渡す。

 と、枯草の中に、人影が見えた。
 近づく。
 よく見ると、からだを前かがみにして、ぐったりとなっている者がいるようだ。
 そして、それをひとりの若侍が、背中から抱きかかえている。

「恩田、恩田、どうしたというのだ」
 泣き叫ぶように、軍之進が駆け寄る。
「ああ、ああっ」
 軍之進が大きな声を上げた。

 軍之進がからだをかがめ、正面に回ってよく見ると、恩田清介の腹にべっとりと血が滲んでいるのだ。しかも逆さになった大刀が、腹わたの中に食い込んでいる。
 恩田の顔が、血の気を失い青白くなっている。しかも、くちびるが真っ青だ。
「恩田、貴様、何と言う馬鹿なことを!」
 軍之進は、恩田の手ににぎられている太刀を奪い、抜き取る。
「石川、俺は、残念だ」
 恩田のかすれた声が、軍之進の耳元に届く。
 「ばかっ、なんで早まったことを!」
 軍之進の目に、涙があふれていた。
                                 
「頼む、石川ッ、八重のことを頼む、八重はおぬしのことが好きなのだ……」
 恩田は、血に濡れた手を伸ばし、石川軍之進の腕をにぎっていた。

 が、しかし、その手から急速に力が抜ける。
 恩田清介の目が、閉じられていく。
「恩田、恩田ッ、頼む、死なんでくれ、死なんでくれッ、頼むッ!」
 恩田の肩をしっかりと抱きしめながら、軍之進が泣き叫んでいた。
                               (つづく)


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