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作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第2回   家老に血気にはやることを諭される
 
 石川軍之進は、売布神社の前を通り、和多見の町に向かっていた。
「おい、軍之進!」
 軍之進は振り向く。
「あっ、ご家老さま」
 軍之進は、すでに深々と頭を下げていた。

 ゆっくりと、頭を上げる。家老の大橋茂右衛門がそばまで来ていた。供(とも)の者が3人、付き添っていた。城下の東本町から船で大橋川を渡り、御手船場の船岸に着いたのであろうか。
「軍之進、顔色がわるいのぉ。どうしたのだ?」
「いえ、どうも致してはおりませぬ」
「そうか、まぁ、よい。わしは、これから白潟本町の後藤家に行くところじゃ。当主と会う約束の刻まで、少し間がある、ちょっと、わしに付き合わぬか?」
 大橋茂右衛門が、供侍たちに何か言っている。
「おまえたちは、先に後藤九八郎殿のお屋敷に行っておれ。わしもすぐに行くでのぉ」

 石川軍之進は、家老の大橋茂右衛門の後につき従うことになった。
 
 恩田清介と石川軍之進との仲のように、かつては、上士の大橋茂右衛門と、軍之進の父親である、下士の石川不及(半右衛門)とは文武修道館の仲間として、親しい間柄であったらしい。
 軍之進の父は5年前に亡くなっていた。そして、大橋茂右衛門は何かと軍之進に目をかけてくれるのだった。

 和多見の茶屋に上がることになった。
「軍之進、まぁ、やれ」
 大橋茂右衛門が酒を注いでくれている。
 軍之進は、恐縮していた。城代家老の大橋茂右衛門は、若侍たちの間ですこぶる評判がいい。いばったところが少しもない。若い者たちにも実に腰が低いのだ。それに、藩主の松平定安公の信頼も厚い。軍之進にとっては、雲の上の人であり、しかも、心から尊敬する人でもあった。

「軍之進よ、時代の流れをよく見るのじゃぞ」
「はぁ?」
「わしとて、まぁ若い頃は、そうであった。まるで先のことが読めなかったからのぉ。じゃが、わしから、おまえに言っておく。昨年の12月には王政復古の大号令が発せられたのじゃ。政権は、徳川様から朝廷に移ったのじゃぞ。徳川慶喜さまとて、自ら大政奉還をなされたのじゃ。これからは朝廷を中心にして政治が行われる。それに、士農工商の身分は徐々に解消されても行こう。近々、朝廷より五箇条の御誓文も発表になるらしい。つまり、その原案によれば、ひとつには、万機公論に決すべし、という条項があるらしい。国のめざすべき方向は、武士の中の、ごく一部の者によって取り決めるのではなく、広く民(たみ)の声を聞いて決めていこう、という意味なのじゃ」

「しかし、お言葉にはございますが、徳川様に代わって、長州藩や薩摩藩の武士たちが政治を取り仕切ろうとしているだけではございませんか?。薩摩と長州は、ただ、関ケ原の戦さで徳川軍に敗れた時の怨念を果たそうとしているだけではございませんか?」
「いや、ちがう。朝廷中心の政治をし、国力をつけ、わが国を諸外国と対等に付き合えるような立派な国にしよう、ということなのだ」

「それにしても、ご家老さま、薩摩藩と長州藩は、朝廷の天皇さまを後ろ盾にして、その勢力を伸ばそうとしているだけにはございませぬか?」
「それは、ちがうぞ」

「いえ。お言葉を返すようではございますが、真に朝廷中心の政治をめざすなら、薩摩藩と長州藩の武士たちで構成される官軍は、その軍務規律において、もっと厳しくてもよいではありませんか。それが、鎮撫使一行は、松江城下で、かずかずの子女たちへ狼藉を働いているようでございます。それは絶対に許されることではありませぬ」
「そうか、そうか。おぬしも若いのぉ。たしかに、かつて、戦国の御世においては、織田信長公などは、朝廷を拝したてまつり、天下統一をめざして軍勢を京都に入れられしときは、その軍律の厳しいこと、この上もなかったものらしい。京都の町の人たちに狼藉を働く兵士たちには、容赦のない裁きを下されたものだと聞く…」

「だからこそ、われわれ同士は…」
「はぁ、そうか、そうか、若い者たちは、一矢(いっし)を報いたい、というわけか!」

「いや、そのぉ、そのようなことは…」
「まぁ、よい。だが、無駄なことはするな。これからの世を創って行くのは、おぬしたち、若い者なのだ、命は大切にせねばならぬ」

「先のことは、確かに読めませぬ。しかし、市中を荒らし回っている総督の兵士たちを追い払わねば、出雲武士としての面目が立ちませぬ」
「馬鹿者!。この城下を炎で焼き尽くすつもりか。罪もない町人たちの家や命を、おまえたちは犠牲にして、何とも思わぬのか!」

「しかし…」
「われらはのぉ、今まで、農民や町民たちからの年貢や税で暮らしてきたのよ。しかし、これからは、士農工商の身分制度は廃止されて、四民平等の世の中になるのじゃ。いつまでも武士が特権階級としてのさばっていくような時代ではないぞ。武士がいばっておる時代はもう終わったのじゃ。武士も武士たることを辞めて、町民や農民の中に入っていく。そして、農民、工人、商人、皆々が同じ立場で働き、新しい国づくりをしていかねばならぬ」

「……」
「よいか、軍之進。騒ぎ立てをしてはならぬ。おのれの一時の感傷におぼれたり、体面ばかりを気にしてはならぬ。まずは、城下に住む良民たちの命を考えておかねばならぬ」

 軍之進は、うなだれていた。
(俺は、俺のことだけを考えていたかもしれぬ。俺はただ、おのれの死に場所だけを考えていたのかもしれぬ…。待てよ、武士をやめれば、俺とて、加代さんと所帯を持てるかもしれない。何をして働こうか。いやいや、今は、そんなおのれだけの幸せを考えている場合ではない)
                                  (つづく)


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