20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ
 ようこそゲストさん トップページへ ご利用方法 Q&A 操作マニュアル パスワードを忘れた
 ■ 目次へ

作品名:町娘と若侍の恋 作者:沢村俊介

第16回   家老に説き伏せられる軍之進
16 家老に説き伏せられる軍之進

 蝋燭の炎の揺らぎのせいか、家老の顔に、陰影が見られる。
「実は、な、わしは、明日、安来に向けて立つ。そして、安来の常福寺にて切腹をすることにした」
「えっ!」
 軍之進は息を呑んだ。

「まぁ、落ち着いてよく聞け。ついては、お前はわしと一緒に安来まで行ってもらいたいのじゃ。そして、お前に介錯の労を取ってもらいたい」
「ご家老、それはなりませぬ。われらは、その前に…」
「軍之進、なんじゃ、その前にとは?」
 軍之進はハッとした。見ると、家老の顔が険しい。思わず、軍之進は顔を伏せた。
 軍之進も、仲間との約束があって、それ以上は口にできない。

「軍之進、わしには、わかっておる。たぶん、お前たち若侍の一行が、安来に向かうわれらの行列を襲うというのであろう」
「えっ、ご家老には、そんなことが…」
「おぬしたちの考えておることは、わかる。わしを人質に取り、藩の上層部をゆさぶって、鎮撫使一行と一戦を交える覚悟であろう」
「……」

「軍之進、そういうことはしてはならぬ」
 軍之進は逆らいたくなる。このご家老様を死なせてはならぬのだ。
「しかし、われらは、ご家老さまに犬死をさせしたくありませぬ」

「馬鹿者!。犬死にはならぬ。むしろ、おぬしたちの企ての方が、もっと無謀で、結果的に、良民たちを苦しめることになる」
「しかし…」
「よいか、もはや、槍や刀で戦さをする時代ではないのだぞ。確かに鎮撫使の一行は数とすれば少ない。わが藩は、3千の士卒がおるからのぉ。しかし、武器弾薬は、雲泥の差があるのじゃぞ。官軍の鉄砲は最新式のものなのじゃ」
「しかし、われらには、われらの正義と意地がございます」

「正義?、それが正義なのか。戦さがはじまれば、3千の藩士のうち、何人が加わると思うのか?。せいぜい2割がいいところであろう。平和に馴れ切ってしまった藩士たちにどれだけの勇気と行動力があるというのか。それに、官軍に、街中(まちなか)で火を放たれれば、良民たちの家屋敷はどうなるというのだ」
「されど、意地があります。城下で、鎮撫使一行の兵士たちに狼藉を働かれ、城下の町民たちも難儀をしております」

「そのような意地など、何になる」
「今、ご家老様がお腹を召され、良民の家屋敷を災禍から守りたいというお気持ちは、わかります。しかし、鎮撫使たちにわが藩が屈服致したとして、その後、新政府のもとで、良民、百姓たちにとって、本当に暮らし良い世の中になりましょうか?」

「馬鹿者!。成る、成らぬの問題ではなかろう。若い者たちは、何もかも新政府のせいにする。新政府のみに頼ってはならぬ。おぬしたち若い者が、士農工商の身分を解消し、真に四民平等の世の中にしていくのじゃ。とかく、政府、政府というが、政府ではない、人民ひとりひとりが目覚めなくてはならんのだ。そういう思想的な先導者として、おぬしたちが、がんばらねばならぬ。この荒れ始めた時の流れを正していくのは、新政府のお偉方ではないのだ、おぬしたち若い者なのだぞ。命あってこそ、世のため、人のために尽くせるのではないのか!」
 軍之進は、うなだれていた。
 
 自分の無力さに、忸怩たる思いがした。
 自分は何を文武修道館で学んできたのであろう。悔しくて涙がにじむ。なぜもっと、町に出て、田に出て、良民や百姓たちのことを知り、これからの世の行く末のことを学んで来なかったのだろう。自分はただ、剣の上達のみに心を奪われていた。

「武士の意地や面目にこだわるのは、この際、わしだけにしておいてくれ。頼む、軍之進、このとおりじゃ!」
 家老が、頭を下げられておられる。
 軍之進は、膝頭を固く握り締めながら、顔面を伏せ、嗚咽していた。
                                 (つづく)


← 前の回  次の回 → ■ 目次

■ 20代から中高年のための小説投稿 & レビューコミュニティ トップページ
アクセス: 8565