松江藩から、鎮撫使の川路副総督に、内々の連絡があった。 松江藩としては、鎮撫使一行の出した要求のうち、一項目は認めることにしたようだ。すなわち、松江藩としては、新政府への恭順を示すために、筆頭家老が切腹をするというのだった。 副総督の川路利恭は、本隊の駐留する米子の城へ戻ろうと思った。 一応、松江藩は恭順の意思を持っているのだ。それを総督に伝えねばならない。 それに、どうも、松江藩の若侍たちが、この宿泊所を襲う計画もしているらしい。ここはいったん、米子まで戻った方がよいのかもしれない。
川路は、加代に使いを出していた。 と、加代が、ひとりで、宿泊所の後藤家までやって来た。 「本当に、おぬし、総督に会ってみたいのか」 川路は、加代に問うている。 「ええ」
「会えるかどうかわからぬぞ。それに、たとえ会えたにしても、総督が、おぬしの願いを素直にお聞きとどけになるかどうか、わからぬのだぞ」 「副総督さま、どうか、三位中将の総督様に、お会いできるよう、お取り計らいくださいませ」 「……」 「お願いいたします」
「どうしてかのぉ?」 「どうして、って、わたしの父親が、若い頃、ご家老様に大変お世話になったからでございます」 「世話になっているからといっても、昔は昔、今は今じゃ。いつまでも、昔の恩義を引きずる必要もなかろうに」 「受けた恩義は大切にする、それがこちらの気風でございます」 「そうか、まぁ、よい。ともかく、わしとの約束は守ってもらうぞ」 加代は覚悟を決めたように大きく頷いている。
川路は、加代を、本隊のいる米子城まで連れて行くことにした。 たぶん、加代は三位中将を口説くことはできないであろう。 いや、あの三位中将が、仮に加代の言い分を聞いたにせよ、どのような態度に出るか、川路には、かなりの興味があった。 松江の城下から、伯耆の国(鳥取藩)の米子の城まで、約8里(32km)ほどある。 川路たち鎮撫使一行の行列の最後に、一丁の駕篭がつき従っていた。 父親には内緒で、しかも軍之進にも何も告げず、加代は、川路の用意した駕篭に乗り込んでいるのだった。 加代は、軍之進は何も言わないが、軍之進の気持ちは何となくわかるような気がした。 しかし、軍之進の心がどこにあるのか、わかっているとはいえ、加代には自分に何ができるのか、皆目わからなかったのだ。 わかっているのは、自分でも何かができるのではないかという思いだった。 軍之進たち松江藩の若侍たちは、何かをしようと思っている。自分は侍でもない、男でもない。 でも、女の自分でも、何かができそうに思えるのだった。 しかし、その何かをしようと思えば、女としての自分を犠牲にしなくてはならない気がした。 軍之進とはもう別れなくてはならない、いや、これで軍之進も心置きなく、武家の娘さんとの結婚を考えられるにちがいない。 加代は、熱い涙をこぼしながらも、くちびるをキッと結んでいた。 (つづく)
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