「わしらは、鎮撫使の一行と一戦交えねばなるまい。ここで戦わねば、出雲武士としての面目が立たぬ」 恩田清介が、若い藩士たちの集まりで、激しい口調で話していた。むろん、聞いている藩士たちも激昂している。 がしかし、恩田清介とは親しい石川軍之進は、その様子を冷めた目で眺めていた。 今、若い藩士たちが集まっているのは、松江藩(出雲藩)の藩校、文武修道館の一室である。文武(勉学と武道)の両方を修めんと、この藩校で学んでいる若い武士たちが50人ばかり集まっていた。 時は、慶応4(1868)年2月である。 この1月には、鳥羽、伏見街道において、旧徳川幕府軍と薩摩・長州藩からなる官軍との間で、戦さが行われたばかりであった。 昨年の慶応3(1867)年12月には、将軍徳川慶喜が、朝廷に大政奉還を願い出て、その勅許を得ている。そして、朝廷からは、王政復古の大号令が出されたのであった。
時代の流れは、急速に朝廷側、すなわち新政府側に傾いていた。 新政府は、松江藩(=出雲藩)が徳川の親藩であることから、その動向に不信感を募らせていた。そして、新政府は、松江藩に対して、恭順の姿勢を示せとばかりに、鎮撫使一行400人を松江(今の島根県の県庁所在地)の城下に派遣したのであった。
寄り合い(会合)の席で、みなの前に出て、しゃべっている恩田清介は上士の子だった。 下士の石川軍之進にとって親友であった。親友の言葉ではあるが、今、石川軍之進は慎重であった。 最善の策は、城代家老の大橋茂右衛門以下、松江藩が一致団結して、長州藩の兵士たちで構成されている鎮撫使(ちんぶし)の一行と、一戦を交えることだと、石川軍之進は思っている。 その戦さを、軍之進を望んでいるのだ。 しかし、家老以下の上層部は動こうとしない。 それゆえに、今、若い武士たちは、自分たちだけでも立ち、若い者だけで徒党を組み、鎮撫使の先発隊一行の宿舎を奇襲しようともくろんでいた。 その奇襲が成功し、藩の上層部がそれに同調してくれればいい。 そうなれば、鳥取藩の米子城に駐在している鎮撫使の一行の本隊と、松江藩挙げての戦さになっていくであろう。 しかし、石川軍之進には、われわれ若い者の奇襲が成功したにせよ、藩の上層部がそれに付いてくるとは思えないのだった。 昼間のお城勤めでは大した働きもせず、夕刻になれば、和多見界隈に繰り出し、酒と女にうつつをぬかしている上士たちに、何ができるだろうかと、軍之進は思っている。 もっとも、石川軍之進には鬱屈したものがある。軍之進は石川家の嫡男ではない。次男で部屋住みの身分。父はすでに亡くなっており、兄の家に居候をしているのだ。 しかも、石川家は下士に属する。家禄は低い。兄が分家をさせてくれるはずもない。どこかの下士の家に養子に入れればいいのだが、今の時期、おいそれとそのような、うまい話がころがっているはずもない。 今は、藩の財政も厳しく、上士階級ですら藩は分家を認めないし、養子ですら、上士は上士、下士は下士同士と決めており、上士同士の養子縁組ならともかく、下士同士の養子縁組などは認められなくなっている。藩としては、養子縁組をして婿取りをするくらいなら、その家を廃止にせよと迫っているのだ。 武士とはいえ、下士階級であり、しかも次男で、部屋住みの身分でしかない石川軍之進には、さほどの未来が開かれていないのだった。 みんなが激論をしているのに、軍之進は、目を閉じていた。 勤皇が正義なのか、佐幕が正義なのか。そして、そのどちらにつくのが有利なのか、軍之進は、そのことすら整理がつかないのだ。
(俺の死に場所はどこなのか?) そんなことを考えていると、ふと、加代のことが思われた。 部屋住み(嫡子でなく居候)の身では、加代を幸せにできるはずもない。加代の父親は、元は武士だったらしい。しかし父親は目を患い、自ら武士の身分を捨て、浪人して鍼按医となり、日々の暮らしを立てているらしい。 仮に、自分が加代のことをどうしても嫁にしたいと思ったにせよ、元は武家とはいえ、加代が町家の娘であることに変わりはない。兄が加代と夫婦になることを許してくれるはずもない。 (加代さんには、自分なんかよりもっとふさわしい男がいるさ) 軍之進は腕を組んだ。胸が痛く、濡れてきたからだった。
「軍之進、一緒に帰ろう」 軍之進は、自分が呼ばれたのに気づき、顔を上げた。声を掛けてくれたのは、友人の恩田清介であった。 「ああ」 軍之進は、気を取り直すかのように、明るく答える。
寄り合いが終わり、軍之進は、恩田清介と連れ立って、帰途についていた。 「おまえ、今日は、いやに神妙だったな」 恩田清介が、軍之進の顔色をうかがうように言う。 「いや」
「軍之進、しかし、おまえは、付いてきてくれるよな」 「ああ。しかし、清介、おまえの家の方は、いいのか?」 「どうして?」 「いや、今度の決起で、おまえが、もし死ぬようなことがあれば……」 「馬鹿なことを言うな。確かにおやじ殿は亡くなった。しかし、おふくろと妹は、俺なんかよりずっとしっかりしている。俺なんかがいなくても、ちゃんとやっていけるさ」
「俺は次男だからいい。しかし、おまえは…」 軍之進は、顔を曇らせている。
「軍之進、おまえも心配症なやつだな。俺は全く心配していないぜ。それに、仮に俺が決起の責任を取らされて切腹になったところで、おまえがいるじゃないか」 「なにっ!?」 「妹の八重のやつ、おまえのことが好きなんだ」 「……」 軍之進は、頭の中で、何かが固まったのを感じていた。 (俺には、好きな女がいるんだ!) しかし、軍之進は、そのことが親友にも打ち明けられなかった。 それに加代とのことは、自分の片想いだとも軍之進は思っているのだった。 (つづく)
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