抱月は、劇団の若い者たちと談笑しながらも、須磨子のことが気になっていた。 (須磨子のそばに、少しでも長くいたい…)
しかし、抱月は、酒席を逃げるようにして立ち去って行く…。 これまで、父親らしいことをやってきたとは言えない。しかし、三男の真弓の具合が気になってはいるのだ。早くうちに帰りたかった。真弓の顔が見たいのだ。 いや、それは口実かもしれない。このまま、盃を重ねていけば、だんだんに理性を失っていきそうな自分が怖かった。 酔いにまかせて、また、須磨子に声をかけそうな気がする。
抱月は、子どもの様子を窺うためにも、早くうちへ帰らねばならなかった。それなのに、居酒屋に足を踏み入れていた。 苦い酒であった。実父の佐々山一平のことが思われた。また、養父の島村文耕のことが思い起こされ、目の前に浮かんでくる養父の顔をまともに見ることができない。そして、暗く、自分を責めるような妻の顔が思い浮かんできた。そして師の坪内逍遙の顔が思い浮かび、師匠の舌打ちでもしそうな顔を見ると、申し訳ない気持ちと反抗的な気持ちとが入り混じって湧いて来る。 師の坪内逍遥は、学者としても、評論家としても、劇作家としても、その資質は、自分より遙かにすぐれている。 学者でも負ける、評論でも負ける、何か、先生に勝てるものがあるのだろうか? 戯曲か。それも、創作には間違いがない。翻訳などより、はるかに自分には向いていると抱月は酒の勢いもあって、そう思う。所詮、翻訳など、人の創造したものの焼き直しではないか、無から有を生む、いわばそのような創造的活動こそ、自分はやりたいのだ。創作活動が、評論や翻訳に比べて、優れて高度な精神的作業だとは思わぬ。しかし、評論や翻訳には下地となる他者の作品がある。創作には、少なくても直接的な意味での他者の作品はない。創作は、まさしく己の想像力と物語の構成力が物を言う。 ぐらぐらと揺れる頭の中で、抱月は創作へのあくなき野望の火を燃え立たせていた。 須磨子は、若い団員たちと語らっているうちに、ふと、我に返ったように、顔を上げ、顔を巡らせながら、抱月の姿を追った。
(いない) そう思ったとき、やるせないような胸のうずきを感じ、いたたまれないように、すっくと立った。 頭の中が膠着しているにもかかわらず、足は、玄関の方に向かっていた。戸口を出ると、闇の向こうを見た。誰の姿もなかった。 奥様の許にお帰りになったのだわと思いながら、抱月の妻の顔を思い浮かべようとしたが、思い浮かばなかった。 あれだけ仕事に夢中になりながら、ちゃんと奥様の許にお帰りになるんだから、奥様っていう人は、それだけ魅力のある人なんでしょうね、と、須磨子は毒突いた。 寒々とした思いが体中を駆けめぐり、戻って飲み直そうと思った。 (つづく)
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