抱月は、宿の夕食には、ほとんど手をつけなかった。いや、ほとんど手をつけられなかった。胸がいっぱいで。
抱月は、須磨子の居る場所から離れ、窓辺の椅子に腰掛けていた。
自問自答しているのだ、『須磨子を本当に愛しているのか、愛していないのか』と。
好きなのだ、それははっきりしている。 愛している、とも言えないことはない。が、愛するとは一体、どういうことなのか。 愛するとは、苦労しても、一緒に生きる、ということではないのか。
家を出よう、大学の教授の道を捨てようと、抱月は思った。 その地位を捨てて、後に残るのは、演出家としての道しかない。 しかし、今、わたしの目の前にいる、この女には、女優としての才能はある。わたしには演出家としての才能はないが、この女を得れば、その才能があるいは伸ばせるかもしれない。もっとも、それは賭けだが…。
しかし、たとえ、その賭けに破れてもよい、わたしは、この女が好きなのだから。そのときは、専門学校の予科の英語教師になって、この女を食わせていけばよい。 賭けるか、丁半、五割の可能性だ。
他人から見れば、五割だけの可能性に賭けるのは愚かだと言うに違いない。七割、八割の勝算があってこそ賭けるべきなのだから。 しかし、この女を愛し、この女の才能を信じるならば、演出家として成功できる可能性は五割を少しは超え、五割五分、いや、六割にはなるかもしれない。
抱月は、己の想念の中で燃えていた。
大衆に喜ばれるような演劇を披露してみたい、それは亡き父への鎮魂ともなろう。このわたしの目の前にいる子羊を犠牲にしても、己の演劇への夢を果たしてみたい…。
わたしとて、家を捨て、大学を捨てるのだ、この女とて、犠牲を払ってもらわねばなるまい。 居直りの中から、勇気が呼び覚まされる。
抱月は、少しからだをねじって、須磨子を見た。 彼女ときたら、正座をしつつも、うなだれていた。
(わたしが、ふがいないばかりに…)
抱月は、深呼吸をした。 そして、勇気を振り絞って、須磨子に語りかけた。 「あなたは、本当に演劇をやりたいのですか?」
返事はなかった。女は、こちらをとて向いてくれなかった。 青白い顔をしていて、抱月の目には、女が少し怯えているようにも見えた。
抱月は、しかし、言葉を続けた。 「わたしは、戯曲作家として、また、演出家として、自信はない。しかし、大学は辞めようと思う。そういう追い込まれた状況でなければ、わたしなどの才覚では、とても、この演劇の世界では、成功などおぼつかないと思う」 (つづく)
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