須磨子は、鹿にえさをやっていた。
抱月は、ベンチに腰を掛け、頭を抱えている。 すぐそばには須磨子がいるというのに、ひとりで悩み、考え抜いていた。
創作には才能がいるが、翻訳にはさほどの才能はいらないのではあるまいか。努力すれば、原作の思想に近づけるかもしれない。 大学にいて、何ができるだろうか。 大学に居ても、大学人、教養人を相手にするだけではないのか。 大学の中で、学部長の役職などに就けば、それなりに俸給が上がり、研究費も上がってくるのは魅力的な話だが、それなど微々たるものに過ぎぬのではなかろうか。 それに、自分は、学長や学部長などになれる器でもない。 ましてや、自分が上のポストに就くために、理事会のメンバーの人間に胡麻をするなどもってのほかで、また、偉くなればなるだけ、部下の人事に奔走しなければならない。そんなことで、時間を取られるのは愚の骨頂だ。
大学を飛び出して、自由にやりたい。 文芸協会では限界がある、自分の芝居をしたいのなら、自分で劇団をつくるしかあるまい。 それができるのだろうか。 いや、できる、できないではなく、やらねばならない。
でも、文芸協会から飛び出し、その自分に何人の人間がついてきてくれるかだ。しかし、大人数はいらない、むしろ、少人数でなければ、彼らの生活の面倒を見てやることができない。
大学を飛び出し、自分の劇団をつくる。 抱月はため息をついた。できそうにもないことを考えている。しかし、すでにわたしの胸中に飛び込んで来た小鳥の始末をつけるには、何かをしなければならないのだ。
逃がすか、それとも、自らもその小鳥とともに大空に飛び立つのか。
小鳥が自らこっそりと逃げてくれれば一番よいのだが。しかし、この小鳥は逃げそうにない。自分が逃がしてやればよいのだが、このかわいい小鳥を逃がしては未練が残りそうな気もする。 ならば、小鳥とともに、己も空に向かって飛び立つか。しかし、自分の背には羽根がない。仮りに、かすかに飛び立つことはできても、すぐに失速して、墜落することになりかねない。
抱月は苦しみながら、それでも、依然としてそばについている須磨子をちらりちらりと見遣ってはいるのだ。須磨子は躰を固くしているようだが、抱月には、須磨子の躰から、何かを求めているような熱っぽいものが発散しているように感じられるのだ。 何かとは、おそらく、わたしの愛なのだ、わたしが須磨子を求めさえすれば、須磨子は素直にわたしを受け入れるだろうと、抱月は思った。
抱月は考え続けていた。頭痛を感じる。おそらく、頭脳の酸素が不足しはじめたに違いない。 (つづく)
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