抱月は、顔をやや赤くしながら、考え込んでいる。 女の方から、先に『好きです』と言わせてしまった。 悔いがあるが、それも仕方がない。
好きでもどうしようもない、というようなことが、この世の中にはある。 そういうことが、この女にはわからないのだ。 しかし、この女に、どう答えたものであろう。
抱月は、さらに考え込む。
この女は、わたしのことを好きだと言った。どの程度のものかはわからない。 しかし、女の身でそういうことを言うのは、勇気の要ることではないのか。とすれば、多少の返答はしなくてはならないのではなかろうか。
女優としての才能をわたしは買っているのです、とでも答えておこうか、それとも、魅力のある女性だと思っていますよ、とまで言わなくてはいけないだろうか。
が、抱月は思いがけなくも、自分の口から言葉が発せられるのを聞いていた。 「わたしには、人を好きになる資格がない」 頭の中で考えたこととは、少し違う言葉が発せられていたのだ。 むしろ、『わたしとて同じなのだが、そのようなことは世間が許してはくれないのです』とでも言おうと考えていたような気がする。
「じゃあ、わたしは……」 須磨子の声がした。 抱月は、即座に答える。 「君は、素敵な女性ですよ、そんなに自分を卑下することはない」
抱月は、目に涙がにじんでくるのを感じた。なぜだ、なぜなのだと自分に問いかけている。
須磨子は、間近にいる抱月の顔をしっかりと見た。
抱月の目に、涙が滲んでいる。 この人はわたしを好きなのだ、そう思った、そう思ったとき、体を浮かせ、ベンチからずり落ちるように、抱月の頭を胸に抱きかかえていた。
抱月は、驚いた。 しかし、女の柔らかなからだを感じていた。
どうしたらいいのだろう、抱月は頭の中が真っ白になっていた。
抱月は、深呼吸をしている。自分を落ち着かせようと躍起にはなっているのだ。
しばらくして、抱月は、女にささやく。 「わたしは、あなたを幸せにはできませんよ」 「……」
「大学を辞めたら、何の収入もない、仕事を見つけても、妻への仕送りに消えてしまう、そんな風になってもいいんですか」 「……」
「仮に、芝居が書けても、その芝居をお客さんが見に来てくれるかどうか、わからないんですよ」 「……」
須磨子は、抱月の問いかけには、何も答えなかった。 しかし、須磨子には、抱月のすべての言葉が、自分への愛の告白だと感じられた。 (つづく)
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