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作品名:抱月と須磨子 作者:沢村俊介

第30回   そのまま朝になってしまっていた
 
 須磨子は起き出していた。
 よく寝たような気がした。
 顔を洗っていると、おなかが鳴った。そういえば、夕べは食べたようで食べていないような気がした。階段を下りて、一人分だけ朝食を注文した。もうひとつ頼むと、それが冷えてしまいそうな気がした。

 抱月は目覚めた。見ると、須磨子がいた。なぜ須磨子がここにいるのか、そして、自分がなぜ須磨子と同じ部屋にいるのかわからないまま、起き上がった。

 須磨子は、こちらを見ない。一生懸命、ご飯を食べているようだ。
 抱月は、苦笑した。
(この人は元気なものだ、こんな時に食欲があるとは…)

「あら、起きてらっしゃったの」
「ああ」
「顔でも洗ってらっしゃったら、夕べはお風呂にも入っていらっしゃらないでしょ」
「そうだったかな」
 抱月は、気だるさを感じながら、洗面台に向かった。顔を洗うと、ザリザリとした肌ざわりがして、髭が伸びているのがわかった。

「帳場で、かみそりを借りて来るよ」
 抱月は、誰に言うともなく、そう言った。

「それじゃ、朝食も頼んで来てね」
 これでも自分は、一応、あの人の師匠なんだから、ふたつ、一緒に頼んでおいてくれてもよかったのに、と不服に思いながら、抱月は、下に降りて行った。

 髭を剃った。
 ちょうど、仲居の人が部屋に朝食を運んでくれていた。
 食膳の前に座る。
 食べるしかないと思う。

 が、何とも、そばで須磨子に見られながら、食事をしているのが、面はゆい。
 飯も喉に通らない。
 この人、どこか、散歩にでも出て行ってくれないかな、と抱月は思う。

「あっ、その焼いたおさかな、おいしいでしょう?」
 須磨子の声が耳に入る。
 やかましいと思うが、放っておいた。

 何か、しゃべってやらなくてはと思う。
 でも、何を話していいか、わからない。
 しかし、この人は妹みたいなものなのだ。妹なら、いつまでも突き放しておくわけにもいくまい。
 抱月は、おなかに力を込めて、言った。
「今日は、奈良に行くんだ、よかったら、一緒に行かないか。俺から君に話したいこともあるし…」

 須磨子は笑った。
 抱月が「俺」と言ったのが、似合わないと思った。それに、抱月がいかにも、偉そうに突っ張っていて、その様子がおかしかった。
(確か、この人、夕べ、子どもみたいに泣いてなかったかなぁ)
 と、須磨子は、ぼんやりと考えていた。
                                
 須磨子がくすくすと、笑ってばかりいるので、抱月は言った。
「嫌なら、とにかく、大阪の駅まで、送っていくよ」

「誰も、いやだなんて、言っていませんよ」
 須磨子に、にらまれた。その顔がかわいくて、抱月は、胸にうずくものを感じている。黙った。

 この人は、わたしをきらっていない、そんな確信が、抱月の心を浮き立たせている。
 でも、そんな心を須磨子に知られたくない。うつむきながら、うれしさを、じっと噛みしめている。
 しかし、しばらくすると、昨夜の悲しみや苦しみが、よみがえり、俺はどうしたらいいのだろうと、頭を抱えたい気持ちになるのだった…。
                                  (つづく)


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