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作品名:抱月と須磨子 作者:沢村俊介

第3回   公演のあとの打ち上げ

 公演が終わった。
 直会(=打ち上げの飲み会)があった。

 早くうちに帰らなくてはと思うが。三男の具合も悪かったし。

 抱月の父は、島根県那賀郡小国村(現在は、浜田市金城町小国)で、たたら業(製鉄業)を営んでいたが失敗してしまった。そのため、抱月は12歳のとき、働きながら学ぶことを決意し、小国村から、浜田の町(現 浜田市浜田町)に出た。裁判所の給仕をしながら勉強を重ねていたのだが。事業の失敗した父は、酒におぼれ、抱月の下宿先を訪れては、酒代をせびっていた…。

(あの頃、わたしは父を恨んでいたものだが。しかし、今、自分が父親になってみて、どれほど父親として、子どものことを想ってやっているだろうか。わが父のことを、とやかく言う資格が、今の自分に果たしてあるのだろうか?)

 しかし、今回の公演では、逍遥先生にすべてを任され、やって来たのだ。
 すぐに、うちへ帰るわけにはならない。

 今回の公演を振り返ってみれば、多少の満足感はあった。
 しかしながら、もう少し、舞台をていねいに仕上げたかったという思いもある。美術の才能のないのを嘆いた。お金のないことを嘆いた。美術スタッフを欲しいと思った。
 
 そんなことを考えて酒を飲んでいると、三男の真弓の顔が浮かんできた。真弓は苦しそうだった。抱月は眉を顰め、それを悟られぬよう、面を下げている。
 
 三男は喘息なのだろうか…。抱月が真弓の胸に手をやると、心臓の音がドクドクとわが耳にも届きそうであった。それほどの大きな震源が心臓の内部にあれば、真弓の小さな胸など、こわしてしまうのではないかと思われた。

(芸術ばかりに熱中して、これまで父親らしいことをやってきていないような気がする。それに何と言っても、今、わたしは若い女に心を奪われているのではあるまいか。わたしは明治4年の生まれだが、あの人は明治19年の生まれ。15歳も年が違うというのに…)

 抱月は、自戒の念にとらわれている。

「ごくろうさまでした」
 見ると、目の前に須磨子がいた。何だろうと思っていると、須磨子の手にとっくりが、見えた。
 みんなの目を気にしながらも、抱月は、杯を差し出している。

「どうですか、舞台の方はやりやすかったですか?」
 須磨子が小首を傾げている。抱月は、言葉を継いだ。
「いえ、あなたのタラッタの踊り、よかったですよ。でも、舞台の大道具などで、あなたの踊りに邪魔になるものはなかったでしょうか?」
 須磨子は不満だった。
(先生ったら、もっとましなことを言ってくださればいいものを)
 しかし、須磨子はすらりと答えた。
「そんなもの、舞台がはじまれば、なんてことないものですわ」

(そうなのかもしれない、この人にとっては、すべての世界が自分を中心に回っていくように見えるのだろう。しかし、それが、いかにも、すべてをわが身に求心して、舞台の華となりうる資質となっているのかもしれない)
 抱月は、そう思った。
 抱月は、須磨子のそばを離れて、劇団員たちのところに行ってしまった。

 須磨子はひとり残された。
 時々、抱月を盗み見た。抱月は若い団員たちの話を聞きながら、実に楽しそうであった。
(ああ、あの陰気くさい先生にも、あんな明るい面があるのだわ…)
                                  (つづく)


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