抱月は、困っていた。 相手から反応がないのだ。 (眠っているのだろうか?)
抱月は、背を戻し、このまま寝ていてもしようがないと、半身を起こした。そして、ふとんの上にすわりなおした。 (どうすればいいのだ?) しきりに自分に問いかけるが、答えが出てこない。
しかし、このまま座っているのも悪いと思い、正座をした。 それから須磨子の方を見た。
部屋の暗さに目が慣れてきたのか、須磨子の横顔が見えた。寝てはいないようだ、目が開いているようなのだ。
言葉を選ぶようにして、抱月は、椅子に腰掛けている須磨子に語りかけた。 「君はまだ若い、未来がある。それに、女優としても将来がある。わたしは、教鞭を執りながら、妻子を養っていこうと思う。演劇の作家としての才能もないし、演出家としての才能もない。君はもっと、視野を広げて、大きく巣立って行って欲しい」
須磨子は、抱月を見ていない。 (この人は嘘を言っている) と思った。 (あの手提げかばんの中味は何よ、新しい演劇の脚本を書こうとしているくせに…)
須磨子が何も答えてくれないので、抱月は弱った。しかし、もう少し自分を貶めねば、須磨子は納得し、立ち去ってくれないような気がした。 しかし、その気持ちとは矛盾はするが、須磨子のことを考えてやらねばいけないという気持ちもする。それで、須磨子の心を慰めようとする。 「もし、君が演劇をしたいのなら、わたしがいい演出家を紹介してあげるから」 抱月は、この女は新しい役が欲しくて、わたしの後を追ってきたのだと思っている。わたしのことが好きでやってきたのではない。そう、しきりに思っている。そう思わなければ、わたしは耐えられぬと抱月は思っている。
(いい人を紹介してあげる、と言っているのだ。わるい話ではないはずだ…) そう思いつつも、まるで、判決を聞く前の被告人のような気持ちで、うなだれ、膝頭をしっかりと手でにぎりつつ、抱月は、須磨子の返事を待っていた…。 (つづく)
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