抱月は、ふと、われに返った。 自分が仰向けに寝ているのがわかった。 暗い天井が見える。 が、頭の中が朦朧としていて、考えることができず目を閉じた。
もうだめだ、おれなんぞ、このまま死んでしまえばいいと思った。体がどんどんと地の底に沈んでいくようであった。
抱月は眠っていた。 須磨子は、じっとすわっていたが、ふと薄暗い部屋の中で、手提げかばんを見た。 もう少ししたら、起こしてあげて、着替えでもさせてあげなくてはと思った。手提げかばんを持ってきた。軽い。中を明けてみた。
紙が入っていた。下着のようなものは何もなかった。それでも、手をつっこんでみた。手にさわったものを取り出して、目の前で見る。万年筆、インク壺、インクを吸い上げるスポイドなどがあった。あとは何もなかった。
(なに、この人は。この人は何をしに、京都くんだりまで来たの?) しかし、手元のものをよく見ると、ただの紙だと思っていたのは、縦横に罫線のある原稿用紙であった。
(何か、書きたかったのかしら) そう思ったとき、いや、この人は新しい戯曲を書きたかったのだと思えてきた。この人にとって大切なのは、わたしではなくて、演劇だったのではと思い、悲しかった。 しかし、あらためて、下着がひとつもないことに気づき、なんという生活感のない人なのだろうと、須磨子はあきれてしまっている。
おなかが減ってきた。須磨子は帳場に降りて行って、夕食を頼んだ。 食事が来て、抱月を起こそうかと、ちらりと思ったが、それはやめて、ひとりで膳に向かった。
抱月は目覚めた。 部屋にかすかな電灯がともっていた。 ここはどこだ、頭を動かす。ふすまの具合からしてわが家ではない。はたと、大阪の宿にいるのだ、と気がついた。 半身を起こして、須磨子を探した。背をねじると、窓辺に人影が見える。 椅子に、誰が腰掛けて眠っているような…。 よく見ると、須磨子だった。 一瞬、自分の置き場所を取られたと、抱月は思ったが、須磨子がいたことに、ほっとしている。 抱月は、横になったまま、窓辺に座っている人に声をかけていた。 「すまなかった。寝てしまっていたようだね」 が、須磨子から返事はない。 (つづく)
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