部屋にかすかに風が流れてきた。 その風に涙を乾かしてもらおうと、須磨子は顔を上げた。 部屋が薄暗くなっていた。 (今、一体、何時なのかしら?) 須磨子は窓辺へと視線を移す。 薄暗さの中で、誰かいるような…。ぼんやりとながら、人影がみえるのだ。 目を見張る。すると、顔だけが白く浮かんでいるように見えた。その顔は、しかし、白いというより青白かった。が、それはまぎれもなく、抱月のものだった。 思わず須磨子は立ち上がって、そばに行った。 「どうなさったの?お顔の色がわるいわ」 須磨子が覗き込むように言っている。
抱月は力無く答えた。 「少し、考え過ぎたようだ、頭に酸素が回らなくなっている。考え込むと、こうなることがときどきあるんだ。だから、心配は要らないよ。でもしばらく、ここで休ませてくれないか」
「でも、その椅子では、からだがえらくて大変ですわ、少し横になってお休みになったら…」 「いや、ここでいい」 まるで駄々っ子みたい、と思って、須磨子は苦笑している。
須磨子は立ち上がって押入れに向かい、敷きふとんを出して部屋の真ん中にそれを伸べた。 「さぁ、横になって、お休みになって」
「構わないでくれって、言ったろう」 窓辺の椅子に座ったまま、抱月は怒ったように、そう言い放った。
「じゃ、わたしがこの部屋から出ていきますわ。それなら、ここで安心してお休みになれるでしょうから…」 須磨子は、本当に出ていきそうであった。 抱月はあわてた。 「いや、君の方が疲れているんだ、出ていくなら、わたしの方だ」 抱月はすでに椅子から立ち上がっていた。 そして、窓辺から畳の上を数歩、歩き、出口の方へ向かおうとした。が、誰かが自分を止めようとしている。 目の前に、女の髪があって、須磨子の匂いがした。抱月は、頭の中が真っ白になり、目がかすみ、その場で膝から崩れ落ちていた…。 (つづく)
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