須磨子は芝居が好きだと言った。 自分もそうなのだ、と抱月は思う。
「先生には才能がありますわ、きっと」 抱月は須磨子の目を見ていた。 瞳が輝いているように見えた。 抱月はうれしかった。 しかし、恥ずかしかった。顔を赤らめている。 「いや、僕にはそんな才能なんてないよ。ないからこそ、悩んでいる。でも、そういうように言ってくれて、ありがとう…」 抱月は、視線を落とした。
そうだ、師弟でもない、須磨子とは演劇の良き仲間としてやっていけばよいと抱月は思った。 須磨子を若い女性と見ると、煩悩が先走る。 一緒に芝居をやる仲間と見れば、男女の煩悩よりは、『共に、いい作品をつくっていこう』という思いが前に出てきて、多少、気持ちが軽くなる。
「じゃあ、同じ新劇の仲間として、これからもがんばっていこうじゃないか、そうしょう」 抱月は、須磨子に近づいて行って、同志としての握手をするため、手を差し伸ばした。
須磨子は、ポカーンとした顔をしている。
抱月は、早く握手をしたかった。そして、その後、自分はこの部屋を出て、この良き仲間を、ひとりでゆっくりと休ませてやろうと思った。
しかし、抱月が握手を求めて、手をもっと前へ前へと差し出すごとに、反って、須磨子は顔をうつむけ、なかなか手を差し出してくれないのだ。
抱月は苛立つ。しかし、右手をさらに差し伸ばしたまま、突っ立っていた。
(わたしとでは、仲間になれないというのであろうか?) 抱月は、須磨子の方に差し伸ばした手もだるくなって、気持ちも悲しくなった。
しかし、いずれまた、良い作品に恵まれれば、須磨子と一緒に仕事ができるだろうと思い直していく。それまでは、しばらく辛抱しようと思った。手を降ろした。
「それじゃ、ぼくは、これで失礼するよ」 抱月はくびすを返した。がしかし、いやに、自分のカバンが軽いのだ。 カバンの底に穴でも開いて、中から何かずり落ちた物でもあるのかと思って、振り返り、畳の上を見回す。その目の端に、須磨子の肩が見えた。視線を移す。 よく見ると、須磨子の肩が震えている。泣いているようだった。 「どうしたの?」 抱月は、そう言いながらも、須磨子の悲しみが何やら、自分の胸にも伝わってくるような気がした。
(なぜなんだろう。わたしだって何か悲しいのだ。しかし、どうやって須磨子の悲しみをやわらげてやればよいのだろう?) 抱月は、突っ立ったまま、自分の悲しみがどこから来るのか、そして、須磨子の悲しみは何なのかを考えていた。 (つづく)
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