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作品名:抱月と須磨子 作者:沢村俊介

第17回   須磨子を追い返す口実を考える

 須磨子は、おかしくて笑っている。
 目の前で、大(だい)のおとなが泣いているのだ。
 見たこともない、聞いたこともない。
 まるで、子どものようだと思った。

(わたし、こんな情けない男のことを好きに…)

 宿の人がこちらを不思議そうに見ている、須磨子は恥ずかしかった。
 早く、部屋に上がりたいと思った。

「泣くのは、部屋に上がってからにしてください」
 抱月は須磨子の声を聞いた。

 須磨子に立つよう、促されている。
 恥ずかしい、泣き顔を見られるのは。
 わたしは、年寄りなのだ。その年寄りが、これ以上恥ずかしがってもいられないのではないか。
 須磨子に迷惑がかかる、そう思って、猫背になりながら、よたよたと、須磨子の肩も借りながら、抱月は、宿の階段を一段ずつ上って行く。

 抱月は、這うように部屋に入った。そして、うずくまり、畳に顔をくっつけるようにして寝そべった。泣いた、恥ずかし気もなく泣いた。
 
 抱月は、目の前で、何やらヒラヒラするものがあるのに気がついた。
 須磨子が、宿の手ぬぐいを目の前にかざしているのだ。
 見上げると、須磨子が、あきれたような顔をしているのに気がついて、抱月はドキッとした。
(須磨子さんに、あきれられている…)
 抱月はあわてて起き上がり、窓側の廊下の隅にある洗面台に向かう。
 蛇口をひねって顔を洗った。鏡を見た、目が赤くにごっていて、みくにいと思った。
 洗面台に顔を伏せ、それでもその両端を両手でにじりしめながら、
(勇気を出さなくては)
 と思った。
 
 深呼吸をして、部屋の中に戻る。
 が、須磨子の姿がない。
 拍子抜けがした。せっかく、追い返してやろうと思ったのに、くそっと舌打ちしたいような気持ちであった。
 
 窓辺の椅子に座り、須磨子が戻るのを待つことにした。

『分別をわきまえないといけないよ』
『わたしは、大学にしがみついて生きるしか能のない男なんだよ、わたしに、演劇の才能があるなんて、幻想を抱いてはいけないよ』
 抱月は、しきりに、須磨子を追い返すセリフを考えていた。
                               (つづく)


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