四男の夏夫が死んだ。三男の真弓に続いてのことだった。 夏男は4歳になるかならないかであった。 妻の憔悴振りには、見かねるところがあった。 罰が当たったのだと思った。 もう、42歳もなる男が、15歳も年下の若い女に心を奪われているのだ。 夏男の葬儀には、師の坪内逍遙も顔を見せていた。坪内先生には合わせる顔がなかった。 葬儀のあと、ひどく空しいものを感じた。 夏夫は何のために、この世に生まれてきたのであろう。しかもよりによって、わたしのような、家庭を顧みない男の許に生まれたのだ。 抱月は、おのれを責めた。しかし、責めても責めても救われず、苦しかった。 酒に頼った。しかし、胃の腑が痛くなり、酒にも頼れなくなった。体を横にしても、寝付かれなかった。どこか、頭の中の一点が覚めていて寝付かれない。 それに妻の顔を見るのがつらかった。 やつれた後姿を見ていると、胸の内が苦しくなってきて、その苦しみに耐えられなかった。 明け方近くであった。 寝床から立ち上がる。寝不足で頭がふらつく。 しかし、そのボーッとした頭でタンスを明けた。お金があった。妻がためていたお金だと、うっすらと感じた。 しかし、伸ばした手は、その金をにぎりしめていた。
こっそりと家を出た。妻や大学にはあとで連絡をしようと思った。 下りの汽車に乗り込んだ。 鉄山業の経営に失敗した父の無念さが、ふと、抱月の心に忍び込む。
京都で降りた。 知恩院、三十三間堂を回る。 一人の天才の設計によるものでないことはわかっている、多くの職人たちの手によって成ったものなのだ。それがわかっていてもなお、これら建造物の壮大さに、打ちのめされるような気がした。 わたしには、何ができるのだろう、それを考え続けた。 旅館を訪ねた、3軒目のところで、やっと泊まりにありつけた。
須磨子は、何かを抱月に伝えたかった。 抱月には、何事も誤解されたくなかった。 本当の自分を理解してもらいたかった…。
2度ほど、抱月の研究室を訪れた。しかし、研究室のドアはカギがかかっていた。仕方なく階段を下りて、大学の事務室を訪れた。 「島村先生は、お休みなんですか?」 「先生は、京都や奈良の寺院を視察に行かれるということなんですが。それで、1週間ほどは、授業は休校なんです。しかし、めずらしいこともあるもんですね、あの真面目な先生が…」 須磨子は、自分が非難されているように感じて、顔を赤らめていた。大学を逃げるように立ち去って行く。ひどく心が高揚していて、急いで宿に帰る。 何か胸騒ぎがするのだ。 と、いつのまにか、身支度をして、下宿先を出、東京駅に向かっていた。 (つづく)
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