抱月は、師匠である坪内逍遙に呼ばれていた。
『何だろうか?』と思う。 次の公演のことかもしれないと思う。
坪内逍遙の機嫌はわるそうであった。
「君のところへ、よく、松井君が来ると聞きましたが…」 抱月は黙っていた。 何かを言えば、それは弁解になる。 いや、松井須磨子のみを悪者にはしたくない…。 肯定も否定もしなかった。 芝居の話をした。 美学研究の話はしなかった。
抱月は、坪内逍遙と別れ、暗い気分になっていた。 『あなたは、学者なんですよ。演劇で飯を食おうなんて、大それたことを考えてはいけませんよ。学者の世界では、論文を何本書くか、それが評価されるのですからね』 逍遙の言葉に、自分の劇作家としての才能など、師には認めてもらっていないのだ、と抱月は思わざるを得ない。
学者としての力量もどうかとは思うが、劇作家としての才能はないと見るべきかもしれない。 師も、それほど、自分の劇作家としての才能を買っているわけではない。 いや、ひょっとしたら、師は、自分のことを心配してくれているのかもしれない…。
学者として早稲田に勤めていれば生活は安定したままだ。その安定した生活の中で戯曲を書けばよい。 むしろ、そうした生活の保障があってこそ、落ち着いてよい作品を書くことができるのかもしれない。 しかし、抱月の心の中には、反発するものもあった。 学者になれる者は、それでもいる。 しかし、劇作家となろうとする者は、はるかに少ない。たぶん、それは、劇作家となれば、学者より才能を必要とするからであろう。 しかも戯曲を書いて飯が食えるなど一握りの人間にしか許されない。 がしかし、少ないものに賭けてみるのも、ひとつの人生ではないだろうか?。
さらに、抱月は考える。 もし須磨子を愛しているなら、その愛する資格には、学者は無用なのだ。須磨子への愛を貫くには、どうしても、劇作家か演出家であらねばならない。そのような演劇の才能があってこそ、ただの中年男が、女優である松井須磨子の愛を勝ち取る資格を有することになるのだ…。 (つづく)
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